そんなこんなで、素晴らしき女子大生ライフの記念すべき1日目だというのに、変態と遭遇してしまった私は、ほとんど50m走レベルの速度で逃げ出した。 逃げる際に股間に蹴りを入れたおかげか、変態が追ってくる様子はない。 転びそうになりつつ飛び込んだ校門には【第○○回 入学式】の看板が立てかけてある。 校門周辺はかなり込み合っており、新入生およびその父兄がごった返していた。 その人ごみに飛び込んで、ぜえはあと乱れた息を吐き出す。 さっきの変態は何だったんだろう。 息の乱れを直しつつ、先程の変態を思い出す。 変態の彼は“ジェイル”の名を口にして、私は彼を見て“ミリエリッテ”を思い出した。 ……思い浮かんだ一つの可能性に、まさかねえ、と乾いた笑いが零れる。 いやあ、だって、まさか、ねえ?私の前世がジェイルであるように、彼の前世がミリエリッテだったりして―――なんて、ねえ? ありえないありえない、と軽く首を振って、自分の奇想天外な思いつきを否定した。 もしそうだとしたら、ミリエリッテはどこまで執念深いのだと乾いた笑みが漏れる。 それより今は入学式のことだ。私はどうすればいいんだろう。受付がどこかにあるはずなのだけど。 きょろきょろとあたりを見渡していると、「あ!」とどこかで声が上がった。 「いた!みやこちゃん!」 みやこちゃん、とは私の名前だ。花咲みやこ、という。 そして私を呼ぶこの声の持ち主は、桜庭一誠(さくらば いっせい)という。彼は私の幼馴染で、この大学に通う2年生でもある。 ふわふわのひよこみたいな、くせっ毛の彼は、私を見つけて嬉しそうにこちらに駆け寄ってきた。 170センチしかない身長が不満らしい一誠は、しかし幼馴染の贔屓目を外してみても、ちょっとしたアイドルくらいに格好良い。 しかも、頭も良くて、運動部の花形・サッカー部で活躍なんかもしているものだから、中学、高校とモテにモテたのである。それなのに彼女は一人も作らず、一誠に告白する女子はことごとく惨敗しており、高校時代の奴は見事「ホモじゃないか」説を打ち立てた経歴の持ち主だ。 一つ年上のくせに、一誠は昔から「みやこちゃん、みやこちゃん」と私についてくる。 思えば、小学生のときも中学生のときもずっと登下校は一誠と同じだった。 高校も学力が同程度だったから同じところに通うことになり、一緒に登校。 サッカー部の一誠と帰宅部の私だったので、さすがに下校は別だったけれど、テスト期間中で部活がないときや、通学路に痴漢が出たときなんかは一緒に下校することもあった。 そして何故か大学までも一誠と同じところに通うことになってしまったのである。 決して私が一誠を追いかけたわけではない。そもそも一誠はもう少し上のランクの大学を狙えたわけだし、できれば地元の高偏差値の大学に進みたがっていたはずだ。 それなのに、一誠がセンター試験を終えたとき、彼は私に尋ねた。いつものような、ひまわりの笑顔で。 『みやこちゃんはA大希望なんだよね?』 彼としては最終確認のつもりだったのだろう。 前々から一誠には地元の大学を薦められていたが、私は一人暮らしをしたかったのだ。 両親もやってみなさいと一人暮らしには賛成していたし、A大はそこそこ偏差値の高い大学なので、先生も賛成してくれていた。 一誠だけが「みやこちゃんはこっちに居た方がいいよ」と反対していたのである。 しかし結局私は折れず、一誠はそれまで志望していたはずの地元にある偏差値の高い大学をやめ、私が希望していたA大に合格してしまったのである。 一誠の志望校のランクダウンに先生は反対し、一誠の両親も難しい顔をしていたが、結局どうにか納得してもらったらしい。 合格した一誠は、私の両手をぎゅっと握って『みやこちゃん、待ってるからね』と笑った。 その笑顔を見た私は、まさか「実はちょっとB大もいいなとか思ってる」なんて言えるはずがなかった。 そして結局一誠は私より一足先にA大に通い始め、A大のある場所と地元では公共交通機関で片道4時間かかるというのに、ほぼ毎週のように地元に帰ってきていた。 帰省費用は月に1度は両親が、そのほかは一誠が自分のアルバイト代で出していたらしいが、そんなに地元が好きならこっちの大学に進めばよかったのに…… そう思っていたが、一誠なりにいろいろ考えた結果の進路なのだろう。 私はそう納得して、一誠は地元に帰ってくるたびに私にも会いに来ていたことを思い出した。 離れた場所に住む一誠だったが、なんやかんやと毎日メールしていたし、そんな私に会いに来るくらい暇なんだったら、別に週末の度に帰ってこなくてもよかったんじゃないのかなぁなんて考える。 ちなみに、一誠とは引越しの手伝いをしてもらったときに会ったから、2日ぶりだ。 彼はスーツを着た私を眩しそうに見つめて、「みやこちゃん、よく似合うね」と笑った。 ……一誠のこういうところは少しずるい。平気な顔でこんなことを言うのである。 少し照れくさく、きゅっと小さく笑って「ありがと」と呟くと、一誠はより一層ぴかぴかの笑顔になった。 「ええと、それより。一誠、何でここにいるの?」 「入学式のお手伝いだよー。受付してたんだけど、もう交代の時間だから。みやこちゃん、道に迷わなかった?」 「うん。あっ、でも、変態に会った」 「うん」の頷きで笑顔になり、「変態に会った」の言葉で顔を青くした一誠は、私の肩をがしりと掴んで「大丈夫!?」と大声を上げた。 「怪我は?春だから変な奴もいるから !変なことされなかった?怖くなかった?大丈夫?」 「う、うん。いや、うーん?うん、まあ、怪我はない」 変なことはされたし怖かったけれど、とりあえず目に見える外傷はない。 けれど一誠の心配は尽きないらしく、やっぱり一緒に来ればよかっただの、これからはあんまり一人で出歩いちゃダメだの、小学生の子を持つお母さんか!というレベルの口うるささだ。 言っておくが、知らない人についていくとか、危険な場所に立ち入るとか、激しい夜遊びをしたような経験は私にはない。むしろいい子すぎるくらいの模範的な生活をしていたというのに、一誠はとても厳しかった。 お母さんでさえも、「一誠君は心配性ねえ」と苦笑していたくらいである。 お母さんの苦笑とともに思い起こされるのは、高校最後の学園祭。 その午後6時から8時までの打ち上げ会だって、一誠が「絶対にだめ。そんな遅くまで外にいて、何かあったらどうするの?」と口うるさかった。 結局、お父さんとお母さんに了承をもらい、打ち上げ会に参加した私は、会場となったカラオケ店から出た瞬間、信じられないものを目にする。何って、平日ど真ん中の夜だというのに、一誠がそこにいたのである。 あのとき私は思った。 ――― 一誠、超、お母さん。 若干ウザさを感じなかったといえばうそになる。 そもそも平日だというのに学校はどうしたのか。そう尋ねたが、返答は特になかった。 そして、一誠のひまわりスマイルはいつでもどこでも力を発揮するらしい。結局私は「三次会いこうよー!」という友人たちに謝りつつ、一誠に付き添われて帰路につくこととなった。 あのときのことを思い出しつつ、大丈夫だってば!と言おうとしたとき、ぴしゃりと叱責の声が飛んだ。 「静かにしてもらえないか」 氷の声に思わず身を竦めて、声の方向を見やる。 そこにはどうやら同じ新入生らしい男性がいて、一誠を見下ろしたようだった。一誠は慌てて「すみません」と謝罪している。 私からは一誠の陰になって彼の顔がよく見えず、謝るためにひょいと顔を覗かせ、―――その瞬間、びしゃりと雷に打たれたような衝撃が私を襲った。 ウィンゼル・ハーミルヒ その名は、私の前世・ジェイルの同僚の女性騎士の名前だ。 長い漆黒の髪と、同じ色の瞳を持つ、クールビューティ。たまにツンデレ。 勿論というべきか、ジェイルに恋する女性の一人だ。 いや、こんな名前は今浮かぶものではないはずだ。 二人の顔立ちが兄弟のように似ているというわけでもない。 それに、ウィンゼルは女性で彼は男性。性別でさえも異なるのだ。 そう思いはするものの、頭に浮かんだ名前はなかなか消えそうにない。私は目の前の美丈夫を眺め、ウィンゼルとの共通点を見出そうとした。 一つの手も加えていなさそうな黒髪に、賢そうな細い銀のフレームの眼鏡。切れ長の瞳と薄い唇。 多分190センチに届くかというような、一誠と比べると頭一つ分くらい長身の男の人だった。 周囲を撥ね付けるような、ぴりりとした雰囲気を漂わせていた彼を見つめつつ、そういえばウィンゼルも彼と同じような硬質な雰囲気を纏っていたなと、一つの共通点を見つけ出した。 それでも、彼とウィンゼルは勿論別人だ。それだけは間違いないことだった。 目をぱちくりさせて彼を見つめる。彼もまた驚いたようにこちらを見つめていた。 そんな私たちを交互に見つめ、一瞬怪訝な顔をした一誠もまた、「まさか」と彼を見つめて呟く。その言葉を、私は聞き逃さなかった。 「まさか?」 どういう意味? 不思議な言葉に、一誠を見上げる。その見慣れた横顔が視界に入った瞬間、また、一人の女性の名前が雷撃の如く私を襲った。 シャルル・エンヴァ― 頭に浮かんだその名前に、私は驚いた。 ウィンゼルが女性騎士の名であるなら、シャルルはジェイルの許嫁の名である。 勿論彼女もジェイルに恋に落ちていた乙女の一人で、もしジェイルが戦場なんかで命を落とさなければおそらくシャルルと結婚していたはずだった。 ……のだけど、いや、そんなことはどうでもいいとして、どうして一誠を見てこの名前が?と混乱する。 私の幼馴染の一誠は、やはり勿論、清楚で淑やかだったシャルルとは全く違う人間である。 目の前の彼と、ウィンゼル。 一誠と、シャルル。 どこからどう見ても、まったく違う人間だ。それなのに、どうして? メガネをかけた長身の彼は、混乱する私を見下ろして、驚いたように目を見開いたまま茫然と言葉を紡いだ。 「ジェイル・オドワルド……?」 その名は私の前世の名前、のはずだ。 他人に言えば夢か妄想で済まされてしまうだろう、その記憶の中での私の名前。 何故それをこの人が?私は何故だか妙に恐ろしくなった。 「あ、あの、わ、私―――」 思わずじりりと後ずさったところで、一誠が長身の彼の視線から私を隠すように、前に立った。 そして、ひょいと私を担ぎ上げたかと思えば、脱兎のごとく逃げ出したのだった。 |