私には前世の記憶がある。 こんなことを実際に口に出そうものなら、私の両親は心の病気かと心配し、友人たちは口元を引き攣らせながらドン引きするだろう。 しかし、私には(多分)前世の記憶があった。 多分、というのは、それを証明できるものが何も存在しないからである。 ただ、夢だと言い切るにはあまりにもリアルな“誰か”の人生の記憶が、毎晩夢の中で繰り返されていることだけは確かなのだ。 ということで毎晩の夢を前世の記憶と仮定するとして、そのときの私の名前はジェイル・オドワルドという、はちみつ色の髪をした男性だった。 中流貴族のお家に生まれた彼は、厳しくも尊敬できる父親に優しい母親、優秀な執事やメイドに温かく見守られ、健やかにまっすぐと育っていった。 そして品行方正な彼は16を過ぎた頃に、その優秀な頭脳と剣技によって、見事、夢にまで見た騎士となったのである。 この国にお仕えしたいという熱意は、ぬるま湯のような人生を送っている私には少し理解しがたいものではあったけれど、ジェイルは騎士団で一生懸命働いた。 そして良い仲間に囲まれ、騎士団の中で少しずつ力をつけていくのと同時に、彼の壮絶なモテ人生は幕を上げたのである。 私が見た感じ、ジェイルはそれほど特別に美形でもお金持ちでも名誉や権力を持っているわけでもなかったし、女の子の扱いに長けているわけではなかったが、とーにーかーく、タイミングを外さない男だった。 意識してやっているわけではないが、ときたま、女子のハートにちゅどーんと手榴弾を投げ込んでくるのである。 しかし、意識していない分、余計にたちが悪い。 彼は気付かぬ内に、彼を慕う女性をどんどん増やしていったのである。 それは、ぼんきゅっぼんな自信家の王女様だったり、可憐なメイドだったり、清楚で一途な許嫁だったり、一見冷徹・実は乙女な同僚の女性騎士だったり、若干ストーカー気味だけどフランス人形張りの美少女だったり、ブラコン街道まっしぐらの妹だったりして……なるほどこれがハーレムかと、私は思った。 『ときめけ!メモリアル〜girl's side〜』をプレイし、難攻不落の王子様たちに腹を立てている私をよそに、夢の中では毎晩代わる代わる様々な女子たちがジェイルに恋に落ちて行った。 くそ、ジェイル。そのスキルが私にもあれば私にも一人や二人くらいなら王子を攻略できたかもしれないのに! しかし彼はそのモテっぷりに反して、誰かに特別な恋情を抱くこともなく、残念ながらどこぞかの戦場でその命を落とした。 ちなみに私は彼視点で周囲を眺めているため、自分が死ぬ瞬間もしっかりと実感することができた。できてしまったのだ。 胸に矢が刺さる衝撃、目の前がぱちぱちと白く瞬く様子、血が失われて冷たくなる体の感覚、強烈な眠気―――これが死なのだと、私は絶望した。 テスト前の修羅場の晩、うたた寝をしているときにそんな夢を見たものだから、翌日のテストの出来は最悪なものだった。 私はこんなところでこんな意味のないテストを受けずに、両親に親孝行するだとか、世界の平和に尽くすだとか、もっとするべきことがあるのでは……なんてことを考えてしまったためである。そんなあのときの自分に今思う。いいからテストを真面目に受けろ!大学受験に失敗したいのか! まあ、とにもかくにも前世の記憶は現在の私の人格形成に大きな影響を及ぼした。 残念なことにモテ要素は欠片も引き継げなかったらしく、モテた経験どころか、一度たりとも告白されたことなどない。 まあ、べつに、好きな人もできなかったんだけど、と拗ねた心でつぶやいた。 ジェイルの記憶のことを、誰かはただの妄想だというだろうし、誰かはただの夢だと言うだろう。 けれど、私にとっては前世の記憶ということで自分を納得させている。 そう割り切ってしまえば、毎晩の夢もそれほど恐ろしいものではなかった。 もしかしたらあちらが実の私なのでは?こちらの私の方が夢なのでは?それとも私の頭がおかしいのか?などと怯えて暮らすよりはずいぶんと精神的に楽になったのである。 そして。 物心ついたころからずっと私に付きまとっていた前世の記憶は、私の18年間の生活にとっては普通のものであり、そのせいで何かが起こるだなんて、思ってもみなかったのであった。 しかし、その日は来てしまった。 桜が咲き誇る入学シーズン。 私は真新しいリクルートスーツを身に纏い、慣れないストッキングを身に着け、4年間通うことになる大学へと足を進めていた。 両親に心配されながらの一人暮らしも3日前からスタートし、何とか部屋も片付いたところである。 憧れの一人暮らし、憧れのキャンパスライフ! 胸をときめかせながら大学へと向かう。 道にはおそらく自分と同じ新入学生だろいうという男女がちらほらと見受けられた。 友達100人できるかな、と某歌を思い出したところで、ざあと強い風が吹く。 その春の匂いのする風に、う、と目を閉じた瞬間のことだった。 「ジェイル様?」 ぽつりと落とされた言葉。 その聞き覚えのある名前に、私はふと後ろを振り返った。 決して自分が呼ばれたなどと思ったわけではないが、慣れ親しんだ名前である。思わず反応してしまうのは仕方のないことだろう。 そうして、振り返った先にいたのは、勿論というべきか、見たことのない男の人だった。 しかしイケメン。超イケメンと言わざるをえない、整いっぷりだ。 イケメンと一言で表すのが申し訳ないレベルの、芸術的な美青年だった。 180センチは優に超えるだろうその人も、私と同じく新入生なのか、ぴしりとしたスーツを身に纏っている。もしかしてオーダーメイドなのかしらなどと思うほど、彼によく似合っていた。 男の人にしてはちょっと長い栗色の髪が、春風にさらさらと流れる。 見開かれた瞳は羨ましいくらい綺麗な二重で、つるんと綺麗な肌には吹き出物などという言葉は無縁のようだった。 どこからどう見ても美青年。そう、男性だ。 しかしその人の姿を視界に入れた瞬間、私の脳裏には一人の少女が思い浮かんだ。 「ミー……」 愛称はミー。その名をミリエリッテ・イルディオンという。 その名前は、前世の私……つまりジェイルに恋したフランス人形的美少女のものである。 ジェイルは特に何も思っていなかったようだが、現代の法律と照らし合わせるならばストーカー規制法で引っかかりそうなことを彼女は何度も何度も行っている。 毎日のラブレター、プレゼント攻撃、子猫のようにすり寄るミリエリッテはたしかに可愛かったし、もしジェイルが彼女と付き合ったならば、ただのいちゃいちゃバカップルである。 しかし彼は彼女に特別な恋情を抱くことがなく、むしろ少し困った様子だった。 自分よりいくつか年下の彼女の付きまとい行動は、他人から見れば微笑ましいものだったのかもしれないけれど、彼にしてみれば「面倒くさい。面倒くさいけど、こんな子供にあまり本気で怒るのも何だし……」という感じだったのである。 何といってもイルディオン家は有力貴族であり、ミリエリッテはそこの一人娘であり、適当に扱おうものならオドワルド家の危機が訪れそうだったからでもある。 『あぁっ、ジェイル様!本当に本当にお素敵ですわっ!私の愛しい方!』 私の記憶の中では、ミリエリッテにぎゅうぎゅうと巻きつかれながら、ジェイルは嘆息を落としていた。 あれ、でも、どうしてこんな名前が突然思い浮かんだのだろう。 ぽかんとしながらそんなことを考える私の正面で、美青年は長い脚をすぱすぱと動かし、私の正面1メートルのところで止まった。 自分よりだいぶ大きい初対面男性にまじまじと見下ろされるのは、ものすごく居心地の悪いことだ。思わず身を引いてしまうのも仕方のないことだろう。 何か妙な言いがかりでもつけられるのでは、と肝を冷やした私だったが、彼は何故だか震える息を吐き出して、ゆっくりと口を開いた。 「ジェイル様……!」 その人は感極まった様子で声を上げ、私に手を伸ばした。 勿論ミリエリッテの小さい手ではない、男性らしい少し骨ばったものである。 え、と思う間もなく、その手が私を抱き込む。ふわりと香ったミントの香りは香水か整髪料か歯磨き粉か……じゃ、なーい! 「ちょっ、イヤー!」 何すんのこの変態!と大声を上げるが、周囲の人はこちらをじろじろと眺めてくる割には何もしてくれない。 たとえばこの人がもっとおじさんだったり、明らかにおかしな風体をしていたら誰かが助けてくれたかもしれないが、相手はスーツを着た美青年である。 むしろ私の方が怪訝な視線を向けられてしまった。ええい、世の中の美形万歳という風潮は廃れてしまえ! 「ちょっとやめてよ離してって言ってるでしょっ、離せー!」 一向に離れようとしない変質者。 きつく抱きしめられ、きしむ肋骨と押しつぶされる内臓の悲鳴を聞き取り、私は変態の顎にがっと平手を打ちこみ、「離れろこの変態!」と怒声を上げた。ついでに股間に蹴りも一発。 それだけのことを行って、私は悲鳴を上げて駆け出した。 一言言わせてもらうなら、変態のスーツについてしまったファンデーションの跡は、決して私の責任ではない!ということである。 |