「一誠!ちょっ……苦しいってば!」
お姫様抱っこではない、米俵でも担ぎ上げるように抱き上げられた私は、苦しさを訴えようと声を上げた。お腹に一誠の肩が食い込んで苦しいし、そもそも超目立ってたじゃないか!入学早々こんな悪目立ちなんて御免こうむりたい!

私の訴えに一誠は慌てて私を下ろし、「ごめん、苦しかった?大丈夫?」と労わるような声を出した。どちらかといえば、目立っていたことを謝罪してほしい。
連れてこられたのは職員および来賓専用の駐車場だ。人気は少ない。
今日は生徒および父兄は自家用車での来場は基本的に禁止されているからだ。来賓客らしいおじさんが数人、車のそばで煙草をふかしていた。

大きな木を背にして、一誠はうっすらと滲んだ汗をぐいと拭った。
はあはあと乱れた息が苦しそうだ。

「一誠こそ大丈夫?……ねえ、それより、あの、今の人誰?知ってる?あの、さっきの人、ジェイル・オドワルドって―――」
「みやこちゃん!」

ジェイル・エドワルドって言わなかった?
そう尋ねようとしたのに、一誠は「帰ろう!」と意味が分からないことを言いだした。
一誠の大声に、来賓客のおじさんの一人が怪訝そうにこちらを見やるのが視界の端に見て取れる。
私は慌てて声を潜め、一誠に落ち着くようにと声をかけた。

「ちょっと、落ち着いてよ。帰るってアパートに?なんで?今から入学式で、」
「違う、実家に!地元に!帰ろう!」
「は?はああ?何言ってるの?明日から学校始まるんだよ?春休みはもう終わったでしょ?」
「退学しよう!」

何言ってんのあんたー!
そう声を上げようとして口を開けたが、結局口から零れたのは違う言葉だった。

「……シャルル・エンヴァ―?」
私が口にした名前に、一誠は思いっきり分かりやすく動揺する。
背にした木にどんとぶつかり、木の葉が一枚はらりと舞い落ちた。

「なっ、なに……み、みやこちゃん、そ、その、その名前」
「シャルル・エンヴァ―。ジェイル・オドワルド。ウィンゼル・ハーミルヒ」

畳み掛けるように名前を呟くと、一誠は喘ぐように「みやこちゃん」と私を呼んだ。
一誠の額に滲む汗は先程の私を抱えての全力疾走によるものなのか、それともこの現状のせいなのか、分からない。
分からないけれど、私は追及をやめる気にはなれなかった。

「一誠、今の名前の意味、分かる?」

私はさっぱり分からない。
一誠だって分かるはずがないと思う反面、彼なら何かを知っているのではないか?という思いが湧き上がってきた。
私の真剣な視線を受け、一誠は空を仰いで、苦悩しているようにぎゅうと目を閉じた。
そうしてから、がしっと私の肩を掴んで「みやこちゃん!」と叫ぶ。

「あの、俺の話、聞いてくれる?」
勿論、と答えを返す前に、キキィー!という耳障りなタイヤのスリップ音が辺りに響いた。
どうやら駐車場に猛スピードの車が入ってきたらしい。
不快な音に思わず眉を顰める。
こんなうららかな春の日に、どんな奴が、と車を睨み付けると、その運転席から出てきたのはうら若い女性だった。車は黒くて長細くてぴかぴかした、多分ベンツか何かだ。
グレーのパンツスーツを着た彼女は、さっと腕時計を見やり、満面の笑みを浮かべる。そうしてから、がちゃりと後部座席のドアを開けた。

「ああほら、間に合いましたよ、お坊ちゃま!式までまだあと15分ございます!」
誇らしげな声は大きく、少し離れたこちらまでよく聞こえる。
私と一誠、それから来賓客のおじさんが「なんだなんだ」と見つめていると、後部座席のドアからへろへろと危ない足取りで、一人の男性が出てきた。
遠目にも分かる、明るい髪の色をした男性だ。

彼は荒い運転に酔いでもしたのか、車にもたれかかるようにしている。
運転手らしい女性はその彼の背をさすりつつ、「申し訳ありません。少し急ぎすぎましたかねえ?」などととぼけたことを口にしていた。
どうやら悪態をつかれたらしい女性は「まあまあ!間に合ったじゃありませんか!」と笑顔で答えている。

その人は、もういい、という風に右手を軽く振り、少しふらついたまま校舎の方へとーーーつまりこちらへと歩き出した。
その人が近づくにつれ、その美貌が鮮明になる。

染めているのではない、色素の薄い髪。ちょっと灰色がかった不思議な瞳。
羨ましいくらいの白い肌。ハーフかクウォーターなのか、少し外国の血が入っているようで、スマートな体型や高価そうなスーツはまるでモデルみたいだった。
そしてその人と目があった瞬間、私の脳天を、本日何度目になるかの雷撃が襲った。

アイリーン・フォン・エグゼルデ

フォン、は王家に連なる者のみが許されたもので、エグゼルデというのは国の名前だ。
ジェイルの騎士団はエグゼルデの王家に仕えるもので、つまりアイリーンというのは、その。

「アイリーン王女……?」
ジェイルに恋する女子その4、である。

ブロンドのぼんきゅっぼん美女のアイリーン王女と、目の前の男性は勿論別人だ。
そんなことはわかっている。けれど、でも!今朝から頭に浮かぶ名前はいったい何なのだ!
朝から4人も!しかもそのうちの一人は幼児のころからの知り合いだというのに!
何がどうなっているのかさっぱり分からない!

―――いったい彼は誰だ?私は誰だ?一誠は?朝の変態やさっきの黒髪美青年は?

理解できなさすぎて、頭がくらくらする。
貧血のような感覚に、足にぐっと力を入れて踏ん張ると、一誠が慌てたように「みやこちゃん?」と支えてくれた。
ありがとう、か、大丈夫。そのどちらを口にしようか悩んでいると、校舎の方から男性らしき人影が2人ほど近づいてきた。ダークグレーのストライプのスーツと、真っ黒のスーツが視界に映る。

「申し訳ありませんが、こちらは生徒及び父兄の利用は禁止となっております」
凛と張りのあるテノールの声。これは真っ黒のスーツの男性のものらしい。
頭痛を感じつつ、ちらとそちらに視線を向けると、ちょうどストライプのスーツの男性が運転手の女の人に何かを伝えているところだった。
運転手さんはぺこぺこと頭を下げている。

「すみません、お坊ちゃまをお送りするだけのつもりで!すぐに出ますので!ではお坊ちゃま!またお式が終わるころにお迎えに参りますので!」
彼女は一息にそう言いきって、車に飛び乗り、去って行った。
排気ガスくさい空気を不快そうに手で払ったストライプのスーツの男性は、くるりと身を翻し、私たち3人の方へ顔を向ける。

「あーほらほら、新入生は早く受付を済ませて、ホールに向かって。受付の場所は―――」
ひどくなる頭痛のせいで下を向いていたが、男性の言葉が詰まったのを不思議に思い、のっそりと顔を上げる。

センスの良いストライプのスーツを身につけたのは、自分と同じ年頃の男性だった。
どうやら一誠と同じく、入学式のお手伝いの人らしい。
ネクタイは結びなれないのか少し形が崩れているが、その上の顔は崩れたところのない、芸能人みたいに綺麗な顔だった。

イライザ

イライザは、ジェイルの家に仕えていた若いメイドだ。
野菊のように可憐な彼女もまた、ジェイルに恋する女の子だったのである。
いや、でも、待って。何でこの名前が!

混乱する私。固まる男性。
言葉に詰まる二人を不思議に思ったのか、真っ黒のスーツの男性も近づいてくる。
「正隆(まさたか)?どうーーー」
どうした、と問おうとしたのだろう口は、開いたまま固まった。
私の頭を襲う雷撃はいったい何度目なのか、分からなくなる。

綺麗に磨かれた革靴。綺麗な折り目のスーツ。ピシッとアイロンのかかったシャツ。形よく結ばれた深く落ち着いた色合いのネクタイ。
ぎゅっと寄った眉根が硬質な雰囲気を漂わせており、大学生というよりはすでに社会人10年目といった貫禄があった。
意志の強そうな眉と、真っ直ぐ前を見つめる黒い瞳。引き結ばれた口元は、私と目が会った瞬間、薄らと開かれた。その唇が、ジェイルの名前を口にする。
次いで私も、その声に応えるように、一人の少女の名前を口にした。

エルリット・オドワルド

オドワルドの家名が示すとおり、エルリットはジェイルの家族ーーー妹だ。
両親とジェイルにしか心を許さなかった、無口で寂しがりやで、かわいい妹。
兄に近づく美女たちにきつい視線を送り続け、両親に「ジェイル兄様を誰とも結婚させないで」と懇願していた妹のことである。

何故そんなエルリットの名前まで。
可愛気の欠片も見つけられないような男性を見つめて、私は頭を抱えた。
隣で一誠が「みやこちゃん!?」と声を上げる。

……もう、何がどうなっているのか分からない。

私は今度こそ、精神的疲労のせいなのか、くらりと意識を手放した。


かくして私の薔薇色の予定だったキャンパスライフは幕を上げる。
その後に巻き起こる嵐の気配を漂わせて。




***


その昔、一人の大貴族令嬢・ミリエリッテ・イルディオンは願った。
「願わくば、来世では彼に子ども扱いされないように、同じ年齢に」

その昔、一人の中貴族令嬢・シャルル・エンヴァーは願った。
「願わくば、来世では誰よりも早く彼に出会えるように」

その昔、一人の女性騎士・ウィンゼル・ハーミルヒは願った。
「願わくば、来世では彼を傍で守れる力を」

その昔、一人の王女・アイリーン・フォン・エグゼルデは願った。
「願わくば、来世では彼が気後れしないほどの身分に」

その昔、一人のメイド・イライザは願った。
「願わくば、来世では彼に釣り合うほどの身分に」

その昔、一人の少女・エルリット・オドワルドは願った。
「願わくば、来世では彼と血の繋がりなど無いように」



そしてその昔、一人の騎士・ジェイル・オドワルドは願った。
他人が聞けば羨むような、それは贅沢な願いだった。

「願わくば、来世では女性から応えられないほどの好意を受けぬよう」



前世の私、ジェイルに一言言わせて欲しい。
どうしてそこで“異性”と言わないで”女性”にしたのだと。
おかげで来世のあなたは、男女関係で再び苦労しそうですと。











      



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