チョコレート日和というやつですか。

彼とあたしの初めの一歩・3










眉を顰めて、今一度黒板に書かれた自分の解答を見つめる。
正直本気で何がどうなってこんな答えが出てきたのか理解できそうにない。
丁寧に書かれたルーズリーフの文字とは違って癖のある自分の文字を眺めて、 何だかちょっと哀しくなってしまった。



「……紫藤、書き終わったなら席につけ」
「はあ」
先生のイライラした声に何とも気の抜けた返事をしつつ、ゆっくり教壇から降りて自分の席に向かう 途中、どうやらずっとこっちを見ていたらしい二色君と目が合った。
今回のことで少しだけ感謝したけれど、でも、相手は敵!と思ったあたしは即座に戦闘態勢に 入った。もとい、ちょっと疑うような目を向けた……というか。

だが、そんなあたしの厳しい視線なんてものともせずに二色君はすぐに、こう、……にこっと!キラ キラオーラを振りまきながらはにかんだような笑顔を見せてくれた。
、綺麗な弧を描く桜色の薄い唇、優しく細められた目、サラサラの髪。
……な、何と言うか花も羨むような美しい微笑みに、あたしはほんの少し嫉妬してしまった。
だが、嫉妬という醜い感情は、二色君の浮かべる天使の微笑みによってぱっと浄化される。
代わりと言っては何だけど、ほわっとした暖かい気分になってしまい、あたしは敵である彼に笑顔を 返してしまった。ま、それは、 それはふにゃりと情けなく可愛らしさの欠片も無い、笑みだったけれど。

すぐに『しまった!』と後悔したが、後の祭り。
二色君は一瞬だけビックリした後、今度はすごく嬉しそうな表情を浮かべてくださった。
ててて、敵に笑顔を見せるなんて、現代武士・紫藤美咲の名折れだ!
そう思って、一生懸命笑顔を消して睨み付けようとして、けれどやっぱり今回はとっても助かったので 我慢しておいた。
そんなあたしの何とも愉快な百面相の間、二色君はいつもと同じ柔らかい笑顔を浮かべていて、 余計にむなしくなる。
とりあえず、1ミリ程度の目礼をして、あたしはささっと席についた。背中に先生からの負のオーラ を感じながら。










チョークの匂いって何だか妙に甘い気がするのはあたしだけだろうか。
制服の袖に付着したチョークの粉を払って、手を洗う。
パシャパシャと冷たい水が手からどんどん体温を奪ってゆくのを感じ、きゅっと蛇口を閉めて、 正面の鏡を見つめた。
「……平凡な、顔」
鏡の中の自分が苦笑するのを見て、自分の言葉を聞いて、少しだけ泣きたくなった。
たしかに女の子たるもの『もっと綺麗になりたい、もっと可愛くなりたい』って思うのは当然の ことだ。でも、でも。
「にしきくんの、ばか」
悔しい、と強く唇を噛んだ。血が滲む、まで。

二色君が”すき”だなんて言わなかったらよかった。
そしたらずっと中途半端な温い幸せの中にいたと思うのだ。
あんなに綺麗なひとに”すき”なんて言われたら、ちょっと自分について考えてしまう。
あたしのどこがいいんだろう、なんて思うから。
社交辞令で『可愛いね』なんて言えないこともない顔立ち。中の中レベルの頭。スマート でもぼんきゅっぼんでもない普通のスタイル。まあそれなりの運動神経。
とにかく、どこをとっても”普通”のあたしのどこが気に入ったのだろうか、彼は。

そう考えて行き着く答えは、二色君みたいな素敵な男の子に憧れる女の子にしてみれば、最悪に 悔しいというか悲しい答えだった。
自分があまりにも素敵過ぎる人だから、”普通”の女の子と付き合ってみたくなったのか、とか、 いいお家のお坊ちゃんだから、いろいろと一般市民には計り知れない悩みとかがあるのかもしれない。 だから、今回あたしにお付き合いを申し込んだのは、ちょっとした反抗期の一環なのかもしれない、 とか。
考えれば考えるほど、ずしんと苦しくなってゆく。

―――でも、だけど、何であたし?

「ほんと、分っかんない……」
塗れた手を振り、レッツ自然乾燥―――したところ で、やっぱり個室にダッシュで入った。 廊下の方から、森岡さんとその友人A・Bの声が聞こえてきたからである。
ぴたりと呼吸さえも止める勢いで口を閉じて動きも止める。
そうしてから、耳を澄ました。気分は女探偵である。

「雅、どうするのー?二色君のこと」
「……どうする、って、どうしようもないじゃない」
「そーだけどさー、雅、二色君のこと1年の時からスキだったじゃん。紫藤なんかより雅の 方が可愛いんだし、……盗っちゃえば?」
「できるわけないでしょ?!家まで、使ってきたんだから……!」
言葉と同時に嗚咽が聞こえて、あたしはぎょっとした。
い、”家”って何だ。それを使うとどうなるんだ!なんて思って。
「そりゃあ……そうだね、ごめん。二色君もさー、頭おかしいよねぇ、絶対雅の方が可愛いし頭いいし 性格いいのに!見る目なーい」

嫌だなあ、自分を否定されるというのはとてもつらい。くるしい。
ずしんと体が重くなって、胸がぐるぐるしだす。
自分のことは嫌いじゃない。でも、そんなふうに言われると、やっぱりつらい。
そんなに自分に自信を持てない。肯定はいらない、でも否定は、しないで欲しかった。
「あんな子、いなきゃよかったのに」
あ、と言葉の意味を理解した瞬間、全身が重くなった。
トイレから去っていくゆったりとした足音、高い笑い声、最後にピチョンという水音を聞いて、 あたしは一筋だけ涙を流した。
早く教室に戻らなくちゃ、駄目なのに。それでも止まりそうもない涙のせいで、あたしは校舎全体に 鳴り響くチャイムを聞きながら、けれど一歩も動くことができず、制服の袖で涙を拭った。

零れる涙をごしごしと拭う。それを何度も繰り返して、大きく深呼吸をした。トイレの芳香剤の匂いが胸いっぱいに広がって、なんとも微妙な気分である。
でも、けれど、なんだかちょっとばかりスッキリ、である。
涙になって、いやなものが流れていってくれたみたいだ。
がちゃり!勢いよく個室のドアを開けて、足音荒く向かったのは洗面台。
蛇口を最大に捻って、流れる水で顔を洗った。最後にポケットから取り出したハンカチで顔を拭いて、 あたしは鏡に映った自分を睨み付け、よしっと大きく頷いた。

見てろよ!二色紅!絶対必ずぎゃふんと言わせてやる!
二色君よりも頭よくってかっこよくて性格のいい男の人と、お付き合いしてみせる!
そして二色君に私とのお付き合いという名の新手の虐めを断念していただくのだ!と力強く拳を握る。
いやでもまずはあれだ。そんなスペシャルクラスの特上男子を見つけなければいけないな、と あたしは深く深く嘆息した。




只今の戦績。
二色紅 VS 紫藤美咲   <1−0>










<戻る     彼とあたしの恋愛模様トップへ   次へ>