チョコレート日和というやつですか。

彼とあたしのファースト××・3









何言ってるの森岡さん、と突っ込みを入れる前に、真っ赤になった二色君が「違う!」と慌てて立ち上がる。
そうして私の胸倉から森岡さんの手を外し、私を自分の背に庇った。
「今のはそんなのじゃなくて、」
「じゃあどうして紫藤さんも二色君も唇切れてるの?!」
「それは」
口ごもった二色君の隣で「いや、あの……キスとかしてないんだけど」と恐る恐る言葉を紡ぐと同時に、森岡さんはキッとこちらを睨みつた。
しとやか系の美貌は今にも泣きそうに歪んでいて、思わず言葉に詰まる。

森岡さんは、二色君のことが、好きなのだ。
一生懸命というのはおかしいかもしれないけれど、森岡さんはとにかく二色君が好きで好きで好きで、だから、まあこういう風に私にとってはわけの分からないことで怒ってしまうのも仕方のないことといえば仕方のないことなのかもしれない。
これがいわゆる恋は盲目というやつなのだろうか。

そう思いながら森岡さんを見つめると、森岡さんは涙目になりながら再びその白魚のような手を振り上げた。
避けようと思えば避けられたかもしれない。
けれど森岡さんの強い色をした瞳は、まるでメドゥーサのそれのように私の体をかちんと止めた。
ぎゅっと目を閉じ、やってくるであろう痛みを想像してぐっと拳を握った瞬間、ぱんと乾いた音が空気に溶けた。
けれど予想していた痛みは無く、不思議に思いながらそっと目を開ける。
私の視界いっぱいに広がるのは、紺色のブレザーだ。

―――え、うそ、ちょっと、これは、まさか。

呆然と目の前の背中を見つめると同時に、森岡さんがひくりと喉を引き攣らせる。どうして、と小さく声が聞こえたような気がした。
視界いっぱいに広がるブレザーは言うまでもなく二色君のもので、そして森岡さんの平手を受けたのも言うまでもなく二色君である。

自分の背に女の子を庇って、他の女の子の平手を受ける。
そんな私は超少女マンガ的展開が実際に、しかも自分の目の前で起こるというか自分が当事者となるなんて、考えたこともなかった。
たとえば私が森岡さんの後ろにいる森岡さんの友人AやBだったら内心で『ひえー!すごい!こんなこと実際にあるんだー!』だとか『少女マンガ!少女マンガ!』だとか興奮できたのだろうが、自分が当事者になるとそんなことを思える余裕はない。
頭が真っ白になって、私は間抜けにもぽかんと口を開けたまま、目の前のブレザーを見つめていた。

「に、しきく」
森岡さんは搾り出すように二色君の名前を呼ぶ。
その涙の滲んだ声に、私は思わず二色君の背中からそろりと横に出て、「も、森岡さん」と窺うようにその名前を呼んだ。
瞳にたっぷりと涙を浮かべ、ショックを受けたような表情で二色君を見つめる森岡さんは、私が言うのも何だけど物凄く綺麗で、そして私が二色君だったら間違いなく抱きしめていたと思う。
長い睫毛は濡れていて、リップの塗られた唇は泣くのを我慢しているように震えていた。

そうしてその大きな瞳から涙が零れるその瞬間、森岡さんはぎゅっと唇を噛んでこちらに背を向け、たっと走り去る。
森岡さんの友達も「雅!」「待ってよ!」と慌てた様子で森岡さんを追いかけて行った。
その後姿を眺め、私はとりあえず、森岡さん達が廊下の向こうに落としていってしまったプリントに視線を止める。
次にそろそろと二色君に視線を向けると、二色君は曖昧に微笑って、ごめんね、と何故か謝罪の言葉を口にした。

「ごめん、紫藤さん」
え、何で二色君が謝るの。
そう思ったけれど、二色君は何故か自分の方が傷付いたような表情で、そっと私の頬に手を伸ばす。
その冷たい指先が頬に触れて、思わずぎゅっと目を瞑ると、二色君はやっぱり「ごめんね」と苦しそうに言葉を紡いだ。
二色君の触れたところがぴりっと痛む。

二色君の指が私の頬から離れてすぐに、自分でも森岡さんにぶたれた頬を擦ってみると、手にほんのちょびっとだけ血がついていた。
多分森岡さんの綺麗に伸ばされた爪のせいだろう。
それでもたいした痛みはなかったし、以前大荷物で両腕がふさがっていたときに道で転んで顔面スライディングをしたときに比べれば、今回のこの傷など全く問題無い。

むしろ二色君の白い肌が、私の代わりに森岡さんの平手を受けたせいで赤くなっていることの方が私には心配だ。
二色君を守る会の方々にバレたら、森岡さんも怒られるだろうが私も怒られる。
怒られるどころか、制裁としてジャーマンプレスやクロスチョップを受けねばならぬかもしれない。何て恐ろしいのだろう。
どうしよう、先に先生に「二色君を守る会から虐められる可能性があります」とでも言っておくべきか!などと考え出した私に、二色君は心配した様子で「保健室行こうか?」と少し腰を屈めて私と視線を合わせる。

ぱちりと瞬きをした二色君の睫毛は私より長いんじゃないかと思うほどで、私は一瞬それに見蕩れてしまった。
凛さんとどっちの方が長いだろうなんて考えて、慌てて首を横に振る。
いやいやいや、こんなところを二色君を守る会の人間に見られたら本当の本当にまずいことになる。
凛さんの教えてくれた妙な噂のように『レンと付き合いながら、二色君にも手を出した悪女』という恐ろしいレッテルを貼られることだけはごめんだ。
私は慌てて二色君から離れ、大丈夫!と声を上げた。

「に、二色君こそほっぺた赤くなってるから、保健室行って来た方がいいよ」
そしてこれ以上私には近付かないで、と身を引きながら言葉を紡ぐと、二色君はきょとんとしてから赤くなった頬に手を置いた。
「これくらい平気だよ」
そう言って微笑った二色君は、おそらく映像に収めれば二色君を守る会に高値で売れただろうというほどのキラキラっぷりで、その眩しさに私の目は眩んだ。
爽やかでキラッキラで王子様ルックスの二色君の笑顔は、レンという表と裏の使い分けの激しい男の幼馴染として過ごしてきた私には眩しすぎる。

思わずうっと目を瞑ると、二色君はやっぱり100万ドルの笑顔で「どうかした?」なんて言葉を口にした。
どうもこうも、二色君のきらきらっぷりに目が眩んだだけである。
まさかそんなことを言えるはずがなく、「や、何でもないんだけど」とごまかすようにへらりと笑った。

二色君のキラキラ笑顔と私の愛想笑いでは天と地ほどの差があるわけだが、他人から見れば二人でアハハウフフと笑いあっているようにも見えるわけで、―――翌日、私は大後悔することとなるのであった。


















翌日、一日も経てばさすがに叩かれた頬の赤みも引き、小さな傷跡だけが残った。
とは言ってもどうせあと2,3日もすればこの傷跡でさえもなくなるだろう。
レンは「女が顔に傷をつけるな」と眉を顰め、どこで傷を作ったんだとしつこく問い質してきたが、そこは黙秘権を行使しておいた。
あまりにもしつこいので冗談で「レンのファンが原因だよ」と言ったら本気で魔王でも召喚しそうな雰囲気になったので、全力で否定しておいたのだが……誤解してないだろうな。

ということで今日も今日とてレンに無理やり車に乗せられ、私は半ば拉致されたような形で学校に向かうことになった。
レンの朝は無駄に早いので私なんてまだ寝癖をつけたままである。
トイレで髪を直さなくてはと寝癖のついた髪をちまちまと弄っている私の隣で、レンは寝不足なのかあくびを噛み殺したようだった。

「レン、寝不足なの?」
私は昨日9時に寝たけどね!と優越感を感じつつ言葉を紡ぐと、レンはじろりと冷たい視線をこちらに向ける。
そうして制服のポケットの中から、買ったときとほとんど変わらない小奇麗なままの携帯を取り出し、かちゃかちゃとそれを弄って私の眼前にかざした。
ぱちぱちと瞬きをして見つめる先には着信履歴がずらりと並んでいて、しかもその名前は全部女の子の名前だった。
フルネームで入っているその名前は聞いたことのある響きのものばかりで、私は「レンの元カノ、だよね」と画面を見つめながら呟く。

その言葉に返事をすることもなく、レンは再び携帯を弄り、私の眼前にかざす。
次は何だと画面を見つめると、そこにはやっぱり色んな名前の女の子からメールが届いていたらしい履歴があり、私は幼馴染の恋愛遍歴に思わず眉を寄せた。
レンは生徒会に入ったりその寡黙さでナイト様なんて呼ばれて硬派を気取っているようだが、結構彼女の入れ替わりが激しいのである。
しかもその彼女は、いったいどこで見つけてくるのかと毎回疑問に思うほど可愛かったり美人だったり頭がよかったりフェロモン大爆発だったりする。
さすがの私も担任の教師と付き合っているという話を聞いたときには「レンの馬鹿!不潔!変態!もう二度と近寄るな!」となじったものである。

今となっては懐かしい思い出だなぁなんて大きく頷くと、レンは「見ろ」と私の顔面に携帯を押し付けた。
「ぐぎゅ」
変な声を出した私に、しかしレンは携帯を押し付けたまま「見ろ」と再び言葉を紡いだ。
だからそうやって押し付けられたら見えるものも見えないでしょうが!と携帯を掴み、レンから奪い取る。
そうしてから着信履歴とメールの受信履歴を眺め、あることに気付いた。

「レンの元カノってみんな常識ないの?これとか夜中の2時53分に着信入ってるんだけど。うわ、すごい。この人なんて1分置きにかけてきてる」
どうやらレンは今朝3時には携帯の電源を切ったらしく、それ以降は着信履歴には何も残っていなかったが、その分メールの方は大量に届いていた。
電話出てよ!少しでいいから!など、ヒステリックな言葉が並ぶメールを眺めていると、レンは目元をぎゅっと押さえながら口を開く。

「眠れたと思うか」
「……とりあえず3時以降は眠れたみたいだけど」

私の返事にレンは拳をぐっと握ったのだが、ちょ、ちょっと、殴ったりしないだろうな。
一応これでもフェミニストなレンのことだから、さすがに殴ったりはしないだろうが、怖いものは怖い。
だってレンが私のことを殴らなくなったのは小学校を卒業してからのことで、それまでは私は散々レンに殴られてきたのだ。殴るというよりは小突くというレベルだったが、それでも怖いものは怖かった。
勿論私もやられてばかりではなく、やり返しはしたが、武道の心得のある男と喧嘩をして勝てるはずも無い。
一瞬にして過去のレンとの喧嘩を思い出し、拳を握ったレンに思わず身を引いた私だったが、予想に反してレンは疲れたように息を吐き出してシートに凭れ掛かっただけだった。

「学校に着くまで休む。騒ぐなよ」
そう言い残してレンは口を閉ざし、目を瞑る。
どうやら本気でお疲れらしい。大声で歌でも歌って睡眠を邪魔してやろうかとも思ったが、手の中に残された携帯に視線を落として、私も口を閉ざした。
レンの携帯に残された女の子たちからの大量のメッセージは、多分、おそらく、昨日私とレンが付き合っているという噂が校内に広がったことが理由だろう。
2時53分という非常識極まりない時刻に電話をかけてきたらしい女の子の名前は他校の女の子だったので、もしかして妙な連絡網で校外へも伝わったのかもしれない。
不在着信となっているから、間違いなくレンは無視したのだろうが―――ひいい、すごい。何人分の名前があるのだ、この着信履歴。

よく知っているはずの幼馴染の携帯は、私にとって果てしなく未知の領域だった。
恐ろしくなってそっとレンの制服のポケットに携帯を返す。レンはそれに気付いてはいるようだったが、反応する元気もないのか目を瞑ったままだ。

「……レン、その……ごめん」
ぽつり、呟くように謝ったが、レンは目を瞑ったままだ。
もしかして本当に眠ったのだろうか。そう思いつつ、しょんぼりと肩を落として「レンのばーか」と呟くと、頬を抓られたのでどうやら眠ったふりをしていただけらしい。
狸寝入り反対!












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