チョコレート日和というやつですか。

彼とあたしのファースト××・2









「聞いた聞いた?2組の蓮井君と6組の紫藤さん、付き合ってるんだって!」
「らしいねー。今日の昼、食堂でめちゃくちゃラブラブだったって話じゃん。でもさー、何で紫藤さん?そんな可愛かったっけ?」
「っていうかさ、紫藤って最近二色君に告られたっていう噂なかった?あれどうなの?マジ?」
「マジでしょ。だから二色君、わざわざ手回したんでしょ?すごかったらしいじゃん。だから紫藤さん、今んとこ虐められてないんでしょ。森岡とかすっごい悔しそうだけどね」
「あ、それ聞いた。森岡さん、二色君のこと好きだったもんね〜。一時期すっごい噂になったし」
「や、でも二色君一刀両断だったらしいじゃん?告ったとき『ごめん好きな子いるから』の一言でしょ?」
「あー、あれはよかった。森岡って何かちょっと調子乗ってるとこあるしね。スカッとした」
「でもさあ、紫藤さんさ……」
「うん、今まで二色君が抑えてたけど、今度は蓮井君でしょ?ナイト様じゃん。こりゃ今度こそファンクラブ黙ってないんじゃない?」
「だよねえ」




一連の話の流れをトイレの個室で耳にした私は、びしりと凍りついた。
今まで話していた女の子達が「どうなるのかね〜」なんて話しながら出て行ったところで、とりあえず息を吐く。
肺まで機能停止するところだった。
ああしかし!レンという彼氏をつくれば、きっと二色君もくだらない虐めはやめてくれる。それで終わりだと思っていたのだ。

なのに。
「新しい敵を作っただけだというのですか神様……!」
思わず口から出てきた言葉に、当然ながら返答は無い。
よよよとトイレの個室の扉にもたれかかり、そうして溜息を吐く。

……私、いったいどこで道を間違ったんだろう。

レンに彼氏のふりを頼んだところ?二色君に告白されたときは、それが最善だと思ったんだけど、墓穴を掘っただけらしい。
「私の馬鹿……!」
何でこんなに馬鹿なんだ!と自分を責め、「時間を巻き戻したい……!」と悶える。
いや!けれど、あの時はあの時できっとあれが最善だったはずだ!と自分を慰め、うんうんと頷き、ふうと息を吐いた。

いやはやしかし。
「どうしよう」
今からでもレンとの恋人疑惑を消しに行くべきか、いやしかしもう手遅れのような……なんて考えつつ、天井を見上げる。
レンにこれ以上迷惑をかけるのはちょっと、こう、あまり気分のいいものではない。
彼氏のふりをしてもらうだけでも随分と迷惑をかけていそうなのに、これで「レン!ファンクラブへの対応は任せた!」なんて言おうものなら、絞め殺されるかもしれない。
いや、あれで一応フェミニストなところもあるから絞め殺されはしないか。

まあ、絞め殺されるとか絞め殺されないとか、そういう恐ろしい話は置いとこう。
さて、それじゃあ今からどうしよう、とうんうん悩みつつ個室のドアを開け、私はひぎゃっと声を上げた。
だってドアを開けたその向こうには、私が世界で最も憎むべき生物がいたのである。
長い触角に黒光りするボディー。よく台所なんかにいる、憎いアンチクショウ。
その名も。
「ごっ、ごき……!」

泡を噴いて倒れてしまいたいと思ったが、幸か不幸か私はそこまで可憐ではない。
びったんとトイレの個室のドアに張り付いて、悲鳴を飲み込んだ。

ななな何で学校のトイレに、こ、こいつが……!
ひいいと悲鳴を上げそうになる自分をどうにか落ち着けて、細く息を吸う。
奴は人の気配を悟るプロだ。何故か人に向かって飛んでくるのだ。ここで私に気付かせてはいけない!
ともすれば「ギャー!」と悲鳴を上げてしまいそうな自分を何とか落ち着かせ、そろりと個室のドアに背中をくっ付けたまま、トイレから出ようとする。
しかし人の気配に気付いたのか、憎いアンチクショウはぴくりと触覚を動かした。
そうして、かさりと、身を動かす。

「っひ、い、」
来るな、来るな、っていうか本気で来ないでー!
そう思った私の心情など露知らず、奴は何を思ったか、かさかさかさとこちらに猛ダッシュをかまし、そして。
「いやあああああああああああー!」
私はトイレから逃げ出したのだった。


悲鳴を上げて逃げ出したトイレ。
そこから飛び出た瞬間、私は物凄い勢いで誰かにぶつかった。
勢いが激しすぎたせいで―――断じて私の方が体格がよかったとかではない!――その誰かを押し倒すような形で二人して床にべしゃりと倒れる。
運悪く唇を強打してしまったらしく、口の中にじわりと血の味が広がった。
「いひゃ……」
痛い、と口にしようとして、けれど間抜けな発音になった言葉に、私の下になった人も痛みを堪えたように自分の口元を手で覆う。

「あう、ご、ごめんなさ……い…………」
いたた、と思いっきりぶつけた唇に手を置いて謝罪の言葉を口にして、ゆっくりと身を起こす。
そうして見下ろした先には、綺麗な造りの顔があった。
さらさらの髪、白い肌、ぱっちり二重の瞳、桜色の唇。

「ギャー!にっ、にしき、二色君!」

私は何てことを、何てことをー!と真っ青になりながら二色君の上から飛びのく。
二色君は床に倒れた体をゆっくりと起こして、ぼんやりと私を見つめた。
「ひっ、ごっ、ごめんね!本当にごめん!どっか打った?頭?腰?あああごめん本当に!」
二色君を守る会のメンバーに殺されるかもしれない。
そう考えると血の気も引くというものである。
私は『怪我は無いか!』とまるで痴女のように二色君の体を触りまくり、そうして自分のやったことに気付き、慌てて両手を上に上げた。

「ごごごごめん今のは怪我が無いか調べようとしただけで、セクハラとかそんなのじゃなくて……!」
一人慌てる私を他所に、二色君は呆然と唇に指先を置いて、そうして口を開く。
「くちびる、」
ぽつりと零れ落ちた言葉に、私は「あああごめんぶつけた?!痛い?!」と声を上げた。
そう言われれば、二色君の可憐な桜色の唇には薄らと血が滲んでいる。
ああ、その綺麗な白い肌に傷が付かなくて喜ぶべきなのか。でも唇に怪我を負わせたって、それだけでも二色君を守る会の攻撃理由にはなる。

「ごめんごめんごめん二色君、本当にごめん、いいい、痛い?痛いよね!ああっ、保健室、保健室行こう!」

はっ!でも唇の怪我は消毒液は使えない!
そんなことを思って真っ青になった私とは対照的に、二色君は一瞬にして顔を真っ赤にして、ごめん!と声を上げた。
「へ?」
何で二色君が謝るの?と目をぱちくりさせると、二色君は真っ赤になったまま「ごめん!」と再び声を上げる。
「や、あの、私がぶつかったんだ、けど……」
二色君のあまりにも混乱した様子に、私の語尾は小さくなった。

この人は何でこんなに赤くなってるんだろう。

思わずそう首を傾げると、二色君は混乱した様子のまま、その白く細い指先を私へと伸ばす。
ひやりとしたその指先が私の唇に触れて、思わずぎゅっと肩を竦め、目を瞑った。
「ごめん、紫藤さんも、唇切れ―――」
そこまで二色君が言葉を紡いだ瞬間、廊下の向こうで、バサバサバサっと何かが床に落ちる音がした。
ふとその音が下方向へと視線を向けると、我がクラスメイトであり大和なでしこ系美人であり、そして何より以前二色君に告白して玉砕したという森岡さんと、その友人グループがそこにはいたのだ。

やばい!二色君に怪我を負わせたことがばれる!と心の中で叫んだ瞬間、森岡さんは憤然とこちらへとダッシュをかまし、床に座り込んだままの私の胸倉を掴んで無理矢理立たせた。
え?え?な、何。いや、私が悪かったけど、ちょっと待って―――そう思った私に、森岡さんは思いっきり平手を打ち付けた。
ぱあん、といい音が響く。

ぶったね!親父にもぶたれたことないのに!
一瞬そのフレーズが浮かんだ私を許して欲しい。
しかし神様と森岡さんは許してくれなかったらしく、彼女は「蓮井君と付き合ってるのに、何で二色君とキスなんてしてるのよ!」と悲鳴のような声を上げた。

―――キス?

何言ってんの森岡さん。
私の突っ込みは、言葉になる前に喉に戻し込まれたのだった。











<戻る     彼とあたしの恋愛模様トップへ   次へ>