チョコレート日和というやつですか。

彼とあたしのセカンドバトル・4









翌日。
私はいつも通り自宅から自転車に乗って最寄の駅に向かい電車に乗ることはなく、何故か家を出た瞬間に蓮井家所有の高級車に引きずり込まれた。
お母さんにヘルプコールを送ったものの、お母さんは笑顔で『あらあ、蓮君がお迎えに来てくれたの。よかったわねえ』なんてぽわぽわと蓮にお礼を言うばかり。
そしてレンは『いいえ、美咲さんを遅刻させるわけにもいきませんから』なんて胡散臭い笑顔を浮かべ、お母さんに挨拶してから運転手さんに車を出させた。

そして。
「……れ、れん、おこって、る?」
「当然だろうがこのくそチビが」
あたしはレンに頬を抓られたというわけである。






昨日、あれからどうなったかというと、答えはとても簡単である。
二色君が茫然自失となりながら、『ごめん、ええと、また日を改めて』なんて言葉を残して蓮井家を後にしたのだ。
それからあたしは桜ちゃんと一緒にかくれんぼをして、昼食をごちそうになり、昼からはレンのお父さんの趣味である和菓子作りに付き合い、おやつの時間にそれをいただき、夕方から夜にかけてレンのお母さんと観劇、夕食を食べに高級料亭へ……という超過密スケジュールをこなし、やっと家に帰って来たというわけである。
ちなみにレンはといえば、二色君とのデート(というとレンに殴られた)が駄目になってしまったので、一人寂しく買い物に出かけてしまったのだが、それを根に持っているのだろうか。






「レン、ごめんなさい、頑張って二色君との友情を取り戻してね、本当にごめんなさい」
頭を下げてそう言うと、レンにがっちりと顎を掴まれて上を向かされた。
秀でた額にかかるしっとりとした黒髪も、男にしておくには勿体無いほどの長い睫毛もくっきり二重の瞳も、つうっと通った鼻梁も、薄めの唇も。全て見慣れたものだが、やっぱり綺麗だ。
レンはその綺麗な容貌を歪め、あたしの名前を低い声で呼んだ。
思わず背筋がぶるりと震えてしまうような声音に、けれどあたしはきょとんとした表情をつくった。
レンはどSである。ここで震えたりなんかしたら、多分これでもかと言わんばかりに苛められてしまうに違いない。

「お前は本当に子供のときから碌なことをしないなそんなに俺が嫌いか」
ひくりと口元を歪ませたレンに、私の背筋をつっと冷や汗が伝った。
「れっ……レンのこと、だっ、大好き」
誤魔化すようにへらりと笑ってそう言うと、レンはごつりとあたしに頭突きをしてきた。い、痛い!おでこが痛い!
涙目で睨みつけると、レンはおでこをくっ付けたまま、ふんと嫌味ったらしい笑みを浮かべた。

「美咲、」
「な、なに?いや、ちょ、近くない?近いよね、顔めちゃくちゃ近いよね」
あたしはあんたみたいに異性慣れしてないんだからそうやっていたいけな女の子をいじめるのはどうかと思うんだけど、と早口言葉のように言い切った私に返ってきたのは、それはもう背筋も凍りつくような低く甘い声だった。あまりの甘ったるさに、怖気がする。

「覚えてろ、この貸しは高いぞ」

まるで甘く睦言でも囁くような声音の言葉が、耳のすぐ傍で紡がれて、あたしは思わず『ひい!』と声を上げた。
「かかか、貸しって、ちょっと、お、幼馴染なのに」
「幼馴染だから、だ。いい加減に姿勢を正せ、学校に着くぞ」
言葉と同時にレンは制服のボタンを一番上まできっちりと留め、ネクタイをきゅっと結び、少しばかり乱れた髪をさっと整えた。
いつも通り、学校で見かける我が校の誇る学生会・書記―――ついでに言えば、我が校の騎士様・蓮井蓮様の御姿である。
この”ナイト”という爆笑を誘う呼称は、レンのその美貌と綺麗な立ち居振る舞いなんかが原因なのだろうが、いやしかし本当に笑える呼称である。


「さっさとしろ、どうしてお前は子供のときからそんなにとろいんだ。言っておくが俺は自分の隣に姿勢の悪い女を置くのは絶対に御免だぞ」
え?え?え?とレンの言葉の意味が分からずに、間抜けな表情を浮かべるあたしを、レンは呆れたように見下ろした。
「お前が言ったんだろうが ――― 彼氏のふりを、すればいいんだろう」
苦く零された言葉に、あたしは目を丸くした。レン、覚えていたのか。っていうか、やってくれるのか!
あたしは稀に見るレンの優しさに、感動の余り涙を流しそうになった。

「ありがとうレン、この貸しは多分いつか返せればいいなあと思う」
「必ず返せよ」
「分かった、任せておいて!」
とりあえず口先だけでそう言うと、レンは一瞬眉をひそめ、けれどすぐにいつも通りの表情に戻った。
ゆるやかに失速した高級車は、校門のすぐ傍で止まる。
我が校にはそれなりにお坊ちゃんとお嬢さんが通っているので、校門に吸い込まれてゆく生徒達も特にこちらを気にした様子は無い。
無い、が。

「ににににに、二色君がいる二色君がいる二色君がいるじゃないのレン!どうする!」
そう、あたしとレンを乗せた車の前の車は、何と二色家の車だったのである。
嫌な偶然が起こってしまった!と真っ青になったあたしに、レンは嘲るようにふんと笑みを浮かべた。
「別にいいだろうが。だいたい、それが目的だったんだろう」
「いや、そうなんだけど、そうじゃなくて、まだ心の準備が」
そう言っているうちに、二色君は車から降りて、ふっとこちらを振り返った。
レンの家の車の窓は、何と言うんだったか、外から中を見えない仕様にしてあるのだが、二色君はナンバープレートでレンの家のものだと分かったらしい。
彼は校門の近くで足を止め、レンが車から降りてくるのを待っているようだった。

「レン一人で降りて!あたし裏門で降りるから!」
「馬鹿を言うな、さっさと降りるんだ」
「だだだ、だって!」
何だか色々不安になって涙ぐんでしまったあたしに、レンはふうと息を吐いた。
そして優しく頭を撫で、ついでに目元に口付けを落とす―――ような男なら、あたしは間違いなくレンに惚れていただろう。
だがしかし、相手は我が校の騎士にして、超絶冷酷で極悪非道(だとあたしは信じている)の蓮井蓮様である。
あたしは無理矢理車内から引き摺り下ろされた。


ドアを開けたとき、二色君はいつものようにふんわりと微笑んで、口を開いた。
昨日のことをどう思っているのかは知らないが、それはいつもと同じ柔らかな微笑みだったのである。ちょっと怖いくらいに、いつも通りだったのだ。
ちなみに周囲の女子達はうっとりと、二色君の花のような微笑を見つめている。朝からキラッキラの微笑みは、周囲の女の子の視線を独り占めだ。

「蓮、おは―――」
よう、の言葉は二色君の形のよい桜色の唇から紡がれることはなく、まだ寒さの残る空気に溶けていった。
二色君の視線があたしに突き刺さる。綺麗な顔に浮かぶのは、ただ驚きだけで、あたしは思わずごくりと喉を鳴らしてしまった。
「紅、悪いが、こういうことだ」
冷や汗をだらだらと流す私に、レンは珍しくも微笑んで、手を差し出した。
「行くぞ、美咲」

ああはいもうご主人様の仰せのままに、とその手を取ったあたし。
口元だけで微笑みを浮かべ、瞳ではバッチリと『もう少ししゃんと歩けないのかお前』と馬鹿にしてくるレン。
ただただ驚いたように目を見開く二色君。
そんな3人を見て、周囲の人間は一様に『これは夢か』と目を擦ってみたり、近くにいた友人と『何が起こっているんだ』と話し始めた。





そしてレンに導かれるままに自分の教室に入ったあたしは、クラスメートの女子に囲まれ、やっとあることに気付く。
そうだった!レンも割とモテるんだったー!ということに。
騎士様の呼称を笑っている場合ではなかった。
レンは二色君と並んで女の子に騒がれているのである。レンはなかなかの頻度で彼女を変えるので、彼女になったとしても虐められたりはしないが、やはり目立つものは目立つ。
騎士様の新しい彼女はいったい誰になるのかしら、立候補しちゃおうかしら、とそういう話を数日前にも聞いた気がする。
全身に突き刺さるいくつかの視線に、あたしはひとすじ、冷や汗を流した。


そして何を隠そう、これが私の非平和・非平凡生活の序章だったのである。
嗚呼、私に平穏を返してください、神様。











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