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花鬘<ハナカズラ>






<シュヴェルツ視点>



冷えた空気、静かな月のない夜。
虫も眠るような真夜中に、ゆっくりと寝台から体を起こした。
さらりと零れる髪を鬱陶しく思いながらかきあげて、ぽつりと呟く。

「……眠れん」

日中の政務のおかげで体はしっかりと疲労を蓄積し、休息を求めているはずだが、睡魔はやってこない。
少し前ならば、こういうときは後宮へ足を向けていたはずだが、今はそういう気が起きない。
それに、と気に入っていた女の顔を思い浮かべ、眉を寄せる。

オリヴィアの柔らかい体も甘い声も気に入っていたし、他の後宮の女をうまくあしらって面倒ごとを起こさないのもいいと思っていたが、リツに対する最近の行動はさすがに目に余る。
最初にリツに会いに行った聞いたときは、その不躾だったらしい態度はつまらん嫉妬だろうと呆れたが、一度言っておけばもう面倒ごとは起こすまいと思っていた。
しかし、予想に反してオリヴィアは再度リツと顔を合わせたという。

それも痣までつけて、と思い出したのは、手首にくっきりと巻きつくような跡だった。
リツは平気だと言っていたが、一応リツは女に分類されるらしい生き物で、子供で、ついでに言えば私の妻でもある。

―――そんな娘によくあんな真似を。

苛立ちながらそう思って、もう一度髪をかきあげた。
そもそも、と妻の能天気な顔を思い出す。

そもそもリツは何故あのとき私に真実を話さなかったのだろう。
たとえばオリヴィアだったなら、間違いなく真実を話して、相手の女の処罰をも求めるに違いない。
……心配をかけたくなかったのだろうか?それとも自分で解決しようとでも思ったか?
どちらもありえるような、しかしリツがそこまで考えられるような気はしない。
まさか『自分(姉)の貧弱さのせいで、弟とその恋人に仲違いをさせないように』などという理由は思いつかず、私は頭を悩ませた。全くの予想外の発想だ。


リツの言動は何から何まで摩訶不思議で、まったく理解できない。
それはすでに当然のことだが、それより何より分からないのは、自身の感情だ。
自分はリツをどう思っているのか、と己に問いかけて、首を傾げる。

以前オリヴィアを想ったのと同じ感情とは異なる。
リツを妻に迎えるまでは、自分はたしかにオリヴィアくらいの女が妻であれば、と思っていた。
それほどオリヴィアは美しく、賢い女だった。―――今までは、が付け加えられるが。
ただし、「何が何でもオリヴィアを」というのとは違う。あくまで、あの程度の女が妻であれば、というだけの願いだ。

その願いに反して、実際に喚ばれたリツは及第点を得るどころかスタートラインにも立てていない。
だが、しかし。
リツの価値はそういうものではないのだとも、最近やっと分かってきた。
素直なところ、知らないことを覚えようときちんと努力をするところ。そして何より、何故だか理由はわからないが、リツは自分の心を和ませてくれる。


もし、自分の立場が違えば。
いずれ国を動かすような立場になるのでなければ、リツを妻に迎えても何も問題はなかったのに。

そこまで考えて、はたり、と思考を止める。

……何故「リツでない他の女が妻であれば」という考えが、「自分の立場が違えば」などという考えになっている。
これではまるで、他の女ではなくリツが良いと言っているようなものではないか?

「……」

もう少し突き詰めて考えれば答えが出そうな―――否、もうほとんど答えは出ているような気がするが、どうにも認めがたい感情に、私は蓋をした。
そんなはずはあるまい。絶対に。
自分にそう言い聞かせ、それより早く休むべきだと寝台を眺める。
しかし。

「眠れん……」

少しでも休んでおくべきだ。
そうわかっているのに、寝つけない。
もう一度後宮にいる女たちの顔を順々に思い浮かべ、溜息をつきながら寝台を降りる。

―――仕方ない。隣の部屋“で”いいか。

これは別にリツ“が”いいというわけではなく、隣の部屋にいるのが、つまり一番手っ取り早いのが、リツだというだけだ。
何故か言い訳のようなことを考えながら、仕方ないだろう、と呟いた。

今頃、くーかくーかと寝息を立てているだろうリツの顔を思い出し、部屋の隅にある戸棚から小さな鍵を取り出す。
何の鍵かといわれれば、リツの部屋と繋がる扉の鍵だ。
以前リツに渡してしまった後、すぐにもう一つを作らせた。勿論自分用である。
今まで使わなかったのは、特に必要を感じなかったためだ。

ややこしい国の政についての話ができるわけでもなく、夜の相手ができるわけでもない。
だが、夫が眠れないと言っているのだから、添い寝くらいはしてもらってもいいだろう。
それから、口づけくらいは夫の権利だ。
そう自分に言い聞かせ、リツの部屋へと繋がる扉を開ける。

部屋の主が眠りについたその場所は静寂に満ちていた。
それでも、そこかしこにリツの気配を感じるような気がして、何となく心が落ち着く。

きっと眠っているに違いない妻を思い浮かべつつ、そっと寝室のドアを開ける。
起こさぬようにそうっと歩み寄ったが、ベッドの中にはリツはいなかった。
不思議に思いながらシーツの間に手を入れ、まだ温かいことに気付く。
用を足しにでも行ったのだろうかと思いながら、ソファへと向かう。仕方が無い、戻ってくるまで待つか。
そうしてソファに腰を下ろして、ふうと息を吐き出した。

多分あいつは部屋に戻ってきて、自分がいるのに気付き、目を丸くするに違いない。
どうやって入った?何の用だ?と不審がることだろう。
部屋に戻れと騒がれそうだが、無視してベッドに押し込み、布団を被せてしまえば、きっとすぐに眠ってしまうに違いない。
すやすやと気持ちよさそうに眠る、妻の寝顔を思い出して、思わず小さく笑みが零れた。

「……リツ」

感情のままに小さくその名を呼んでみて、何とやわらかな響きだろうと思う。
たいして美人でもない、賢くも無い、というかむしろその対極にあるようなリツが、こんなにも心を癒してくれるというのはいったいどういうことか。

全く認めたくは無いが、おそらく、きっと、私は―――

そこまで思ったところで、外でピーッと高い笛の音が鳴った。
その甲高い不快な音に、思わず立ち上がる。
城内の不審者を報せるその音が鳴らされるのは珍しかったが、稀に―――年に一度くらいは―――聞く音だ。
しかしたいていはすぐに取り押さえられ、捕縛・拘束される。

だから、心配はいらないはずだ。
そう思うものの、今傍に居ないリツのことがどうしても頭から離れない。
胸騒ぎを感じつつ、リツの部屋から廊下へと出る。
リツの部屋の前に控えていた騎士が僅かに驚いたようにしながら、それでもそっと礼を取った。

リツはどうした?
そう尋ねようとしたとき、廊下の向こうからばたばたと騒がしい足音が聞こえてくる。
誰かのその慌てように、さらに胸が騒いだ。

走ってきた騎士は私の姿を見止め、慌てて膝を折って礼の形を取ってから「リツ様が」と硬い声を上げる。
そしてその者の短い報告を聞き終わる前に、私は冷えた体で駆け出した。










「シュヴェルツ様」

そう言って微笑んだオリヴィアは、額に汗を滲ませ、真っ青な顔色をしている。
今の状況さえなければ、もしかしたら体調くらいは心配してやったかもしれないほど、今にも倒れそうな顔色だ。
視線を移した先、泉から引き上げられたアズは寒さのせいか、それとも自分の行為に恐れをなしたのか、小さく震えていた。


泉は僅かに波紋を残している。
その脇にリツ付きのメイドが4人。一人は泣き崩れ、二人はそれに倣うように涙を落とし、一人は呆然と泉を見詰めている。
もう一人メイドがいたはずだが、そんなことはどうでもいい。

「リツは」

妻の名を呼ぶ自分の声が、震えている。
いったいこれはどういう感情によるものなのか、分からない。
怒りか、不安か、絶望か。
自分の中でぐるりぐるりと様々な感情が入り乱れ、暗雲となる。

薄暗い闇が松明の灯りで照らされ、泉の中に何かが浮かんでいるのが目に入った。
ぷかりぷかりと浮かぶ、小さな何か。
それがリツの靴だと気付いて、ざあっと血の気が引いた。
オリヴィアもその痕跡に気付き、ふふっと小さく笑う。
泉からその女に視線を滑らせると、オリヴィアは私の視線が自分に向けられたことに満足気に微笑んで、しなやかな動作で髪をかきあげた。



「もうあの女はいませんわ」
そう言ってオリヴィアは笑う。まるで子供のように。

「ですから、ねえ、わたくしを妻にしてくださいませ」
胸の前で手を組み、以前「今度のパーティーでは一番に私と踊ってくださいませ」と甘くねだってきたのと同じ声でそう言った。

「わたくしを貴方の妻に。わたくしならシュヴェルツ様をきっと満足させてあげられますわ」
あの女よりも。
そう付け加えて、オリヴィアは狂ったように笑い出す。その声は夜を震わせた。





こうしてリツは私の前から消えた。
ある冷えた、月のない夜の日のことだった。











      


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