花鬘<ハナカズラ>

〜3章〜







デジャヴ。

なるほどこれがデジャヴか!というほど同じ状況に、私は置かれていた。
森の中、木々の間の泉。そこを囲む複数のへんてこな格好をしたおじさんたち。メイドさんが数人、心配そうにこちらを窺っているところまでそっくりだ。
違いを上げるとすれば、おじさんたちは誰も倒れていないということ、そして前回は真昼間で今回は夜中というくらいである。
おじさんたちは皆額に汗をにじませ、疲労のせいなのか荒い息を吐き出す程度で、誰も膝をついてさえいない。
私がこちらの世界に来てしまったときと非常に酷似した状況ではあるが、勿論というべきか、知らない場所である。

これはいったいどういうことだ。
アズさんは?オリヴィア様は?ていうかここどこ?今度は何が起こった?と辺りをきょろきょろ見回す。
空を見上げれば、さっきまでオリヴィア様やアズさんとすったもんだしていた時と同じ、月も星も見えない闇が広がっていた。
泉を囲むように、いくつかの松明が焚かれている。

ゆらゆらと揺れる松明の明かり。その逆光でうまく人の顔が見えず、ぎゅっと目を凝らした。
すると、前回と同じようにメイドさんたちがタオルを持って私を迎えてくれる。
何がどうなっているのか分からないが、相手に敵意は無いようだ。
メイドさんがタオルで体を包んでくれ、何やらいたわるような言葉をいくつも落とされた。言葉は勿論異世界語である。
日本語でなく悲しむべきなのか、それともまた全く知らない世界に飛ばされることなく、一応少しは学習している言語圏に居るらしいことを喜ぶべきなのか悩むところである。
しかし何にせよ、一瞬にして自分の居る場所が変わるという驚愕体験は何度目だろうが心臓に悪い。私は口を開いた。

「もうしわけありません。ここ、なに?」
ここはどこですか、と尋ねると、メイドさんはちょっと驚いたように目を見張り、顔を見合わせてから「シャトー城(ヴィア・シャトー)でございます」と答えてくれた。
「びあ、しゃとー?」
自分でも口に出してみて、全く知らない場所だとがっかりする。
いや、この世界で私が知っている地名など、無いに等しいのだけど。

強い風がびゅうと吹き、濡れた体をじわじわと冷やしていく。
それと同時に、少しずつ混乱が忍び寄ってきた。
その混乱をそのまま吐き出すように、慌てて口を開く。

「わたし、なに、ここ、いる?いく、したい、わたし、へや!」
いや違う。部屋じゃなくって、私の元の世界、それが駄目ならせめてさっきまで居たはずのところへ!
叫びながら頭に浮かんだのは、オリヴィア様とアズさんの顔だ。

あの二人はいったい何をしたのだ?
オリヴィア様は元の世界へ、家族のもとへ帰してくれると言っていたではないか!

それなのに、とあたりを見渡す。
知らない場所、知らない人たち。いくら2度目とはいえ、全く知らない場所に突然飛ばされるというのは、ひどく不安なものだった。
アリーやリアンがいてくれたら。せめてさっきまで一緒にいたオリヴィア様やアズさんでもいいのに!
混乱と不安の真っ只中にいる私を、メイドさんたちは二重三重にタオルでくるみ、濡れた靴を脱がせて新しいものに履き替えさせた。
靴が大きすぎることに文句を言う余裕もなく、メイドさん達に促され、結局連れて行かれたのは女性用だと思われる素敵なお部屋だった。

濡れた服を脱がされ、柔らかな夜着に着替えさせられる。
多分絹のそれは、すべすべと肌触りが気持ちいい。
寒かったでしょうと用意されたあたたかい紅茶にはミルクと蜂蜜が落としてあるらしく、ほのかに甘い。
暖かい部屋に暖かい紅茶。その二つのおかげで少しは気持ちが落ち着いた。
大きなソファに深く腰掛け、ふうふうと紅茶を冷ましていると、突然扉ががちゃりと開けられた。む?と視線をドアへと向ける。

そこから現れたのは、黒い髪に黒い瞳の男の人だった。
身に着けている服も真っ黒だ。異世界に来て、初めての日本人カラーに私はちょっと驚いた。
懐かしい色合いの髪と目に、私も目をぱちぱちさせてその人を見つめる。
シュヴェルツより少しばかり体格のいいその人は、こちらにするりと近づいてきて、ソファに座る私をじろりと見下ろした。
頭のてっぺんから足の先までじろじろと検分され、居心地の悪さを感じる。
この人は誰だ。そして私は本当にどこに来てしまったのか。オリヴィア様とアズさんはいったい何をしてくれたんだろうか。
たしかに両親のもとに返してくれるといっていたはずなのに、と思う。

「それが今度の妻か?」
―――魔王かと思った。
そんな失礼な言葉が飛び出るくらい、低い声だった。重低音のその声は、寝ない子供を脅しつけるのに役立ちそうである。

しかし、ええと、彼は何と言った?
「いーあ……?」
イーア。つまり、姉、だ。
“彼女が私の姉ですか?”その文章を導き出したのち、私ははっと目を見開いた。

お、おとうとー!
しゅ、シュヴェルツ以外にも弟が!?

驚きのあまり、紅茶の入ったカップを落としそうになる。
メイドさんが慌てて私の手からカップを取り上げた。

「い、いーあ?わたし?あなた?」
あなたも弟なの?と問うたつもりだったが、彼は私の質問に答える代わりに私のたどたどしい言葉使いに少し眉を寄せ―――更に魔王っぷりが増した―――軽く溜息を吐く。

「“また”か。……しかし今度は少しは話せるらしいな」
「はなす、できる、すこし。わたし、あなた、いーあ?しゅべるつ、おなじ?」

ということは3兄弟ということなのか?全然似てないけど、とじろじろとその人を見つめる。
シュヴェルツとこの人の相似点といえば“男性”で、“何か偉そう”、といったくらいだ。
私とこの人だと、“髪と目の色が同じ”というくらい。
ちなみにシュヴェルツと私だと更に共通点が無く、“同じ人類である”というくらいである。
このように私とシュヴェルツは勿論似てないし、私とこの人も勿論似てないし、シュヴェルツとこの人も全然似てない。
みんなお父さんかお母さんが違うのか、なんて他人事のように考えたところで、彼は「しゅべるつ?」と聞き慣れぬ単語を聞いたような表情を浮かべた。

「わたし、しゅべるつ、いーあ」
「何だ、すでに夫がいたのか?」
「あなた、しゅべるつ、いーあ?」

元の世界で私に二人の兄弟がいたように、こちらの世界でも二人の兄弟がいるらしい。
この似て無さでまったく同じ両親から生まれた、ということはないだろうから、父親か母親が一緒なんだろうけど……どっちなんだろう。
そんなことを考えながらシュヴェルツの顔を思い出し、目の前の人の顔を見つめ、うーん、と小さく唸る。

やっぱり、ぜんぜん、似てない。

シュ ヴェルツは口を開けばただの口うるさい小姑だが、口を開かなければ人形みたいに整った顔をした正真正銘の美人である。
すらりとした体格はモデルのようだし、さらさらの髪もひそやかな良い香りも、悔しいほどに綺麗なのだ。
それに対して、と目の前の彼をじろじろと眺める。
シュヴェルツが人形だとしたら、彼は魔王様である。
さっきからぴしぱしと肌に伝わるのは、メイドさんたちの緊張だ。その視線は我が子が目の前の魔王に一飲みにされるのではないかと恐れる母のようだった。


黒い髪には親近感が湧くが、興味無さ気にこちらを見下ろす黒い瞳はちょっぴり怖い。
メイドさん達のはらはらした空気を感じつつ、二人とも何となく近寄りがたいという意味ではよく似ているかもしれないなんて考えた。
シュヴェルツは氷の瞳を向けられそうでこわいし、この人は腰に刺してある剣でばっさりいかれそうでこわい。

その人は私が“シュヴェルツ”と“イーア”の単語を繰り返すのに、鬱陶しげな視線を向けてきた。
その視線の冷たさに思わずたじろぐと、その人は不快そうな表情はそのままで「またつまらない女を寄越したものだな」と息を吐く。
低く掠れたテノールの声は、少し聞き取り難い。
しかし、声フェチを公言する友人ならば、奇声を上げて 喜びそうなほどの良い声だった。

ことば、〜できる、何かの比較級らしき単語も聞こえた気がする。
言葉の意味を理解しようと脳内の異世界言語辞書を捲り上げたところで、彼は「おい娘」と私を呼んだ。
今の言葉は、「HEY、ガール!」的な意味だ。

視線を合わせて「なに?」と問うと、彼は今度こそ嘲りか軽蔑か、そんなものを溶かした笑みを浮かべた。
そうして、私にも分かりやすいようにという風にゆっくりと口を開く。

「“今度こそ”逃げるなよ、私のイーア」

悪魔か獣の笑みを浮かべたその人は、テノールの声でそう言った。
メイドさん達がかすかに震える。



お姉ちゃん走らないでね。
言葉の理解が曖昧な私はそう理解して、なるべく気を付けるようにする、と頷いた。






***





―――朝だ。

私が人生二度目の天変地異的瞬間移動を行った夜が明け、窓から朝日が差し込みだす。
どうしてここに来てしまったのか、ここはどこなのか、まったく考えが纏らない。
オリヴィア様は家に返してくれると言っていたのに、と最後に見た彼女を思い出す。

さようなら。そう告げたときの彼女は、優しそうな微笑みを浮かべていた。
わざとこんな場所に飛ばしたわけではないのだと思うのだけど、とシーツに包まりながら考える。
それともオリヴィア様は悪意をもって、ここに飛ばしたのだろうか。
でも、そんなに嫌われるようなことをした覚えもない。
ぐるぐると様々な考えが頭の中を巡るが、ちっとも形になってくれなかった。
細く息を吐き出して、天上を見上げる 。

家に―――それが出来ないならせめてアリーやリアン、それからシュヴェルツのところに帰りたい。
私はそう思いながら、ベッドの上で寝返りをうった。
そうこうしている内に朝食の準備がされたらしい。昨日からずっと傍に居てくれた、お母さんくらいの年齢のメイドさんが「朝でございます。どうぞ、お召し替えを」と呼びに来た。
眠くはないけれど、何だか体がだるい。昨晩はほとんど眠れていないのだから当然だろうか。
もぞもぞとベッドから這い出て、されるがままでいると、簡易なドレスに着替えさせられた。
人に着替えさせてもらうことに慣れてきた自分に違和感を感じつつ、部屋のソファに腰を下ろす。

「エリー様、ご朝食は如何なさいます?」
エリー?ぼうっとする頭で意味を考える。単語の並び的に人名かと思ったけれど、私はエリーなんて名前ではない。
その単語の意味が分からない、というように首を傾げて見せると、メイドさんは一瞬哀れんだように私を見つめ、視線を伏せ、最後には暖かい紅茶と少しのフルーツをお皿に盛った。

「少しだけでも召し上がってくださいませ」
うぅん、と曖昧に頷いて、小さなフォークを手に取る。
見た目はゴルフボール大のさくらんぼ、味はメロン、という果物を半分ほど食べ終わったところでフォークを置いた。
39度の熱が出ても食欲だけは衰えることの無かった自分にとって、こんなにも食欲の沸かない朝は珍しい。
やはり突然環境が変わったことに対するストレスか、と自分のストレス耐性について考える。いや、こんなに貧弱ではなかったはずなんだけどなぁ。
私は小さく溜息を吐いて、紅茶のカップを持ち上げた。

みんな、心配してるかなあ。

以前ピクニックに行って倒れてしまったときのことを思い出して、眉を寄せる。
あのときのアリーやリアンの心配っぷりといったら、こちらが申し訳なくなるくらいのものだった。
あの時はシュヴェルツも疲れていた様子だったし、またあんな風になってないといいのだけど。
そんなことを考えながら見やった窓の外は、やっぱり全く知らない風景が広がっていた。











      


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