花鬘<ハナカズラ>






<シュヴェルツ視点>



リツが倒れた。

十分ほど前にリツと散歩に行ったはずのメイドは、真っ青になってこちらに駆けてきて、開口一番にそう言った。
最初、リツのことだから木にでも登って落ちたのではないだろうなと馬鹿げた考えが頭を過ぎったが、メイドの様子からどうやら本当に体調が悪く倒れたらしいと判断する。

敷物から立ち上がると同時に、近衛兵がリツを抱きかかえてこちらに走ってくるのが見えた。
倒れたと言われても、さすがにこれほどの近場に来るくらいで医師を連れてきてはいない。
リツがもっと脆弱ならほんの少しの距離だろうと医師も連れて来ていたかもしれないが―――そもそもそんな面倒な女なら遠くに出すのはやめておくか。

しかし何も今日に限って倒れなくともいいだろうと小さく毒づくと、アーノルドがとんと肩を叩いて「ほら、俺が居てよかっただろ」と言葉を紡ぐ。
たしかに、今日は昼で切り上げてリツを少し遠くまで連れて行ってやろうかと思うとこの男に言ったとき、「俺も行く俺も行く。いい加減に俺にもリツ様見せろって!」から始まり、「いや、本当に連れて行ってください。いやいやいや、いざというときに俺も居た方が何かと便利だって!」としつこかったことを思い出す。

アーノルドなら少なくとも応急処置はできるだろう。
僅かに胸を撫で下ろし、近衛兵からリツを受け取る。
そうしてふと、眉を寄せた。

「アーノルド、」
「……毒か?」

リツの顔色は尋常ではなく悪い。
いつもはふっくらと淡く色付いている肌が、白く、というよりは青紫色になっている。
その変わり様に、背筋に冷たいものが走った。
どうやら吐いたらしく、口の端が汚れている。それを拭ってやってから、リツを敷物の上に寝かせた。
アーノルドは真剣な眼差しでリツを見つめ、脈を測っている。

「あ、アーノルド様。リツ様は―――」
メイドが震える唇で言葉を紡ぐと、アーノルドはそちらに目もくれずに「リツ様が今日口に入れたものは?朝から全てだ」とリツの様子を見たまま尋ねる。
二人の内、一人のメイドは青くなり震えてリツを見つめ、何も考えられないようだったが、もう一人―――たしか、リアンといった気がする―――が口早に言葉を口にした。

「朝食は王子と一緒に摂られましたので、毒見はおそらくヴィヴィが行ったかと。昼食でしたら、スープとパン、サラダ、紅茶。勿論全て2人以上で毒見を行っております。私とシャナが担当しております」

そうかと頷いたアーノルドは、「他には何か?」と更に言葉を促す。
メイドはしばらく考えてから、いいえ、と首を横に振った。

「本日はそれだけです。ああ、いいえ、先程お茶と焼き菓子を召し上がりましたが。ですがそれもお茶は私が毒見しておりますし、焼き菓子の方は彼女が毒見しております。お茶の方はお二人に出させていただいたものと同じものでございますし、焼き菓子の方はあちらで休憩中の方々にもお出ししております」
メイドの言葉に、アーノルドはなるほどと頷き、表情を曇らせた。

「アーノルド、」
その名を呼べば、アーノルドは「毒、は間違いないと思う。だが、どこで摂取したのか分からない」と眉を寄せる。
「とにかく少なくとも俺じゃ分からない。城に戻って医師を呼んだ方がいい」
アーノルドはそう言うなり、さっと立ち上がり、休憩中だった騎士の一人の名を呼んだ。

「先に城に戻れ!姫が倒れた、即刻城に戻るから手当ての準備をしておけと伝えてこい!」
怒鳴るような声に、一団の一人が御意の言葉を上げる。
すぐに一頭の馬が城に向かって駆けて行った。

「シュヴェルツ、行くぞ。俺が抱いていくか?」

横たわったままぴくりとも動かないリツを見やり、アーノルドはそう言った。
私は気を失った人間を馬に乗せたことはない。おそらくアーノルドに任せた方がよいのだろう。
では頼む―――そう言おうとして、口を開いた。

その間に、ちらりと、視界にリツが過ぎる。
青い顔に、ぐったりと力の無い体。いつもは言葉も分からないのに騒がしく、寝ていても人を殴るわ蹴るわの暴れ様だというのに、今のリツは本当に呼吸をしているのかどうかさえも疑わしく思える。

―――しゅべるつ!

リツの間抜けな発音で名を呼ばれたような気がして、私は「いや」と声を発した。

「いや、いい。私が運ぶ」
紡いだ言葉に驚いたのは、誰よりも自分だった。
アーノルドに任せた方が確実だろう。そう判断したはずだが、と自分の口元を押さえると、アーノルドは微かに笑って「分かった」と頷いた。

「まあ、悪路でもないし大丈夫だろ」
アーノルドはそう言って、傍に繋げてあった馬を放した。

「落とすなよ」
「分かってる」

今からでもアーノルドに頼むべきだ。そう思うのに、何故かそういい出せない。
ちいさな体を前に置き、手綱を握ったところで、シュヴェルツ!とアーノルドから声がかかった。
ふいとそちらを向けば、にやりと笑みを返され、「落とすなよ」と先程と同じ言葉が繰り返される。
もう一度「分かった」と言葉を返そうとしたところで、アーノルドは今度は真剣な眼差しでこちらを見つめた。

「落とすなよ、お前の“イーア”(妻)だろう」

イーア。―――それは、誓いをたてた者、という意味だ。
幾日も前に、群集の前で誓いを立てたことを思い出す。

戸惑うように差し出された手の感触と、あのときの微かな唇の感触が淡く蘇り、手綱を持つ手に力が入った。
リツは、まだ子供でじゃじゃ馬で考え無しで食い意地が張っていてすぐに手も足も出るし言葉がわからないくせにぎゃあぎゃあと騒々しいし今まで自分が想像していた自分の妃となる女とは正反対の女だ。 これが妻となってから、何度神を恨んだかは覚えていない。

しかし、稀に、本当にごく稀にだが、愛らしいと思える瞬間も無くはない。
この女が自分の妻でよかったと、ほんの僅かに思うことも、ある。
だから。

「リツ」
死ぬな。

胸の奥でだけ呟いた、その言葉に、リツは笑いも頷きもしなかった。







***





<アリー視点>



「―――毒?」

ひやりと静かな部屋で、シャナがまさかという表情でその単語を口にした。
私は体の震えが止まらなかったけれど、ぎゅっと自分の体を抱きしめて、こくりと頷く。
隣でリアンが「おそらく」と頷いた。
彼女も顔色はよくないが、それでもしっかりとした口調で言葉を紡いでいく。

「それとも誰か、リツ様の体の不調に気付いた者は?」
リアンの言葉に、皆しばらく無言だったが、しばらくするとぱらぱらと「いいえ、私は気付きませんでした」「わたくしも、特に」と首を横に振った。
シャナも「私も気付きませんでした」と言ってから、思案するようにふと視線を伏せた。リアンは皆の返答に軽く頷く。

「とりあえずこのことは内密に。遠出をして、少しお風邪を召されたと、他人から何か聞かれた場合はそう答えるように」

リアンの言葉に各々が頷きを返す。
その中で、シャナはぶるりと震え「あの、リツ様は何のお茶を召し上がられましたか?」と尋ねてきた。

「何のお茶?」
リアンはシャナの質問の意図が分からないというように、首を傾げる。
私もシャナの意図するところが分からなかったけれど、それでも「花茶よ」と言葉を紡いだ。
「花茶―――何の花茶を?」
シャナの問いに、たしか、と記憶を探る。

是非リツ様にも召し上がっていただきたいから、と他のメイドに譲ってもらったものだ。
この時期にしか出回らず、その量もほんの僅か。香りもよく、ほのかに甘い、珍しい花茶。
彼女の主人が他国からわざわざ仕入れたという花茶は、私も初めて見るものだった。

シュヴェルツ様がリツ様を外にお誘いになられたのなら、とびっきりのお茶を探さなくては!と悩んでいた私に、彼女はその花茶のことを口にして、内緒よ、と少しだけ味を見せてくれた。
それは、たしかにわざわざ他国から取り寄せる価値はあるだろうと思うほど、素晴らしいものだった。

香りは深く、百や千の花を混ぜたような甘い香り。
口に含めばほのかな甘さが舌に溶け、香気が上る。

これはと思い、彼女に頼んで少しだけ分けてもらうことにした。
彼女はわざわざ主人に頼み込んでくれ、その主人も「シュヴェルツ様とリツ様に召し上がっていただけるなら」と分けてくれたのだ。
僅かではあったけれど、それでもお二人に楽しんでいただく分のお茶は淹れられそうだと安堵したのを覚えている。

それにしても、何という花茶だったかしら。
記憶を探ってみるが、どうも思いつかない。眉を寄せ、その旨を伝えると、シャナは「百千華かもしれません」と呟いた。

「ひゃくせんか?」
「私の祖父がリディという小国の生まれで、聞いたことがあるんです。何種類かの花茶を合わせて作るのですが、花の種類や配合の量を変えて様々な効能を持つお茶を作るらしいのです。鎮静、鎮痛が主のようですが、媚薬のような効果を持つものでしたり、その……毒のようなものも、あると……」
「ですが、召し上がられたのはリツ様だけではないわ。王子も同じものを召し上がったし、私も念のため毒見をしたし……それなのにリツ様だけが、なんてことが在り得るの?」
「それは……詳しくは分かりませんが、女性にだけ効果を発揮するものもあるとは聞いたことがあります。リアン様の場合、口にされた量もさほど多くは無いでしょうし、あまり効果がなかったのかもしれません。それに、リツ様はまだ幼くていらっしゃいますし、効果が大きかったのかもしれません」

そう言うシャナの表情は沈んでいて、リアンも柳眉を寄せて後悔を表している。
他の2人も同様だ。私は―――

「アリー、あなたの責任ではないわ。それにまだあのお茶が原因と決め付けるには早い。可能性のひとつでしか無いのだから」
リアンの言葉に、シャナも慌てて頷きを返す。
「も、申し訳ありません。わたくしの考えすぎかもしれません」
シャナが縮こまって謝罪の言葉を紡ぐ。

「それでもその可能性も捨てきれないでしょう。シャナ、ドアル医師に今のお話をお伝えしてきて」
リアンの指示に、シャナは「はい」と立ち上がり、急いで部屋から出て行く。
それを視界の端に入れ、リアンはふと柳眉を寄せた。

「アリー、あのお茶を取り寄せて、貴女に譲ってくれたメイドの主人はどなた?」
それは、と花茶を譲ってくれたメイドの顔を思い出す。

「イドア家のシリィ様に仕えていたかと……」
「たしか、シリィ様はオリヴィア様と親交が深かったわね」
リアンの表情に苦いものが浮かぶ。彼女は「考えたくはないけれど」と前置きしてから、私たちを順番に見つめた。

「今後、リツ様には決してオリヴィア様を近づけないように。それから、彼女と親交のある者についても―――いいわね?」

はい、と全員分の声が返る。
リアンはリツ様の寝室の方へと視線を向け、きりりと唇を噛み締めた。
城に戻ってすぐに医師に診ていただいたものの、未だに何の毒なのかがはっきりせず、解毒薬が作れていない。
もしシャナの話にあったように、あのお茶が原因なのだとすれば、解毒薬を作る助けになるだろうか。
けれど、もし、もし万が一リツ様が―――と恐ろしいことを考えてしまって、胸が張り裂けそうになる。


神様、どうか、リツ様をお救いください―――


私はきつく唇を噛み締め、手を祈りの形に組んだ。












      


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