花鬘<ハナカズラ>

〜2章〜




「どこか痛むところはございませんか?」
「はい、いたい、ない」
「よく眠れますか?」
「はい、ねる」
「食欲はございますか?」
「そく……よく……?」
「ええ、お食事は以前と同じ程度召し上がられますか?」
「おしょくじ。はい、たべる」

こんなやり取りの後、アズさん―――彼女はお医者さん見習いのようなものらしく、倒れてから毎日お薬を届けに来てくれていた人だ―――はシュヴェルツの方に視線を向けて、にこりと笑った。
「もう大丈夫のようですね」

私のベッドに腰掛けたシュヴェルツは「ああ」と頷き、私の頬を軽く摘んでくる。同時に私はやめろとその手を叩き落した。
シュヴェルツは今度こそ「たしかにいつも通りのリツだな」とちいさく笑う。
メイドさんたちもアズさんの言葉を聞いて嬉しそうにしていて、私は心配をかけて申し訳なかったなぁと思うと同時に、心配してもらって嬉しいなんて、思ってしまった。

アズさんは持ってきていたお薬を籠に詰めなおし、これは必要ないようですね、と言葉を紡ぐ。
体調不良で倒れ、目覚めてからちょうど1週間目。
毎日食後にアズさんの持ってくる苦い薬を飲まされていたのだが、ついにあの薬ともお別れか!と両手を挙げて喜びたくなった。

アズさんは多分アリーやリアンと同じく20代後半くらいの年齢で、ココア色の髪と瞳をしている。
背中の真ん中くらいまでありそうな長い髪を一つに纏め、特に化粧らしい化粧もせず、アクセサリーの類も一切つけず、黒っぽい服を着ている彼女は、その落ち着いた雰囲気もあってかアリーやリアンよりずっと年上に見える。

普段の姿を見ると地味に見えるが、顔立ちは整っているし、オリヴィアさんみたいに綺麗に髪を結ってお化粧してドレスを着たら素敵だと思うんだけどなぁ。
そんなことを考えつつ、アリーの淹れてくれた紅茶を飲み込む。
ベッドに入ったままの飲食には未だに慣れず、零してしまうのではないかと心配になった。
それにしても、アズさんが持ってきた薬を籠に仕舞い直したということは、もしかしてやっとベッド生活から解放されるのだろうか。

「わたし、げんき?」
「はい、お元気になられました。本当にようございました」
微笑むアズさんに向けてこっくりと頷き、次いでシュヴェルツを見やる。

「さんぽ、いく、いい?」
「お前はそれしか言葉を知らないのか?」

シュヴェルツは呆れたように溜息を吐いた。
1週間の間、ベッドから出ることは許されなかった私は、毎日毎日シュヴェルツに散歩散歩と言い募っていたのだ。
シュヴェルツは私の散歩コールに「まだ駄目だ」と言おうとしたが、アズさんは苦笑して「あまり動かないのもお体に悪いですから。そうですね、少しずつ外に出る時間を延ばしていただけばよろしいかと」とシュヴェルツの言葉を止めてくれる。
長くて難しい言葉の意味はよく分からなかったけれど、アズさんはこちらを向いてにこりと笑ってくれた。
きっと散歩ぐらい許してあげなさいよ、という素晴らしい言葉が紡がれたのだろう。
アズさんの笑顔に私もにこりとしてから、「さんぽ、いく」と―――すでに決定事項だという意味をたっぷりと込めて―――シュヴェルツに告げた。
シュヴェルツは呆れたように息を吐く。

「まったく。まだ病み上がりだということを忘れるなよ」

意味はよく分からないが、おそらく了承の言葉だろう。それ以外が許されるはずがない。
そう信じ、分かった分かったと頷いて、ではさっそく、とベッドから出ようとする。
しかし、足を床に置いて立ち上がろうとした瞬間、ふらりとよろけてしまった。
思わず近くのシュヴェルツに掴まると、ほら見ろと言わんばかりのシュヴェルツと目が合う。
むっと眉を寄せようとしたけれど、その前に無言で手を差し出され、「なに?」と首を傾げた。

「なに、じゃない。散歩に行くんだろう」
そうだ、散歩に行く、と頷く。
しかしシュヴェルツはいつものようにお仕事に戻るんだろう。
シュヴェルツは毎日暇さえあれば部屋に来て、「もっと食べろ」「もっと寝ろ」「ベッドから出るな」と小言を言ってすぐにお仕事に戻っていたのだ。

多忙らしいのに、ありがたいことだとは思うけれど、これでもう私も元気になったわけだし、そんなに無理をして顔を見に来てくれなくても大丈夫。
今までありがとうの気持ちを込めて、差し出された手をぽんぽんと叩く。
そうしてそのままドアの方へ向かおうとすると、シュヴェルツは「待て」と私の後ろ首を掴んできた。
危ないな、何をする!と眼を吊り上げると、シュヴェルツは「一人で勝手に行くな」と隣に並んだ。

「……おなじ、いく?」
もしかして一緒に散歩に行くの?と問えば、シュヴェルツはそうだと頷く。
そんな余裕があるのか?仕事はいいのか?と思ったけれど、そういう文章を組み立てるのが面倒で、私はそうなのかと頷くだけにしておいた。

メイドさんたちは「シュヴェルツ様がご一緒に行ってくださるなら私達はご遠慮しておきます」と微笑んでいる。
えー、みんなも来たらいいのに、と思ったけれど、みんな忙しいのかもしれない。
それじゃあちょっと行ってきます、とメイドさんたちとアズさんに手を振った。
みんなが微笑ましそうにこちらを見つめている、けれど誰かの視線だけが、僅かに違う色を宿していた。









「ひーす、ろざりあ、あーろっく」

庭に出て、咲き誇る花の名前を紡いでいくと、シュヴェルツは少し驚いた様子で「覚えたのか?」と言葉を紡いだ。
うんと頷き、すずらんに似た小さな花を指差す。

「しゅーど!」

個人的には花は花!木は木!くらいのアバウトさでいいと思うのだが、メイドさんたちの花知識は豊富で、散歩に行く度に様々な花の名前を教えられるものだから、もう覚えてきてしまった。
多分散歩コースに咲く花なら全部の名前を言える気がする。

シュヴェルツはふむと頷き、よく覚えたな、と多分お褒めの言葉を口にした。
散歩についてきたタマとミケも『よく覚えたにゃー!』と褒めてくれるように、にゃーにゃー言いながら足元に擦り寄ってくる。
いや、これは『遊んで欲しいにゃー!』の意味だろうか。

よいせとタマを抱き上げてやると、ミケが自分も自分も!と催促してくる。
さすがに二匹は重いし無理だ。タマをシュヴェルツの腕に抱かせ、今度はミケを抱き上げると、ミケは満足気に喉を鳴らした。
私が臥せっている間、二匹はシュヴェルツの部屋に預けられていたので、もしかしてもう顔を忘れられたんじゃないかと心配をしてしまったが、いらぬ心配だったらしい。

私は久しぶりの逢瀬ににこにこしつつ、ミケの背中を撫でてやった。
シュヴェルツはタマを抱えたまま、何とも言いがたい表情でこちらを見つめてくる。

「しゅべるつ、たま、いいこいいこ」

黙って抱えるだけじゃなくて、ちゃんと撫でてあげないかと指導してやると、私の言葉にシュヴェルツは僅かに眉を寄せてから、そっとタマを撫ではじめる。
ぎこちないその動作ににやにやしていると、タマはシュヴェルツの撫で方が気に入らなかったのか、シュヴェルツの腕からぽーんと飛び降りてしまった。
そうしてしっぽをふらふらさせつつ、お庭を進んでいく。

「たま、とまる!」

こら!一人、じゃなかった一匹でふらふらするんじゃない!
慌ててタマの後を追いかけようとするが、タマは器用にするすると木々の間を抜けて行ってしまう。
シュヴェルツは「すぐに帰ってくるだろう」と暢気なことを言うが、タマは家猫で、ほとんど外に出ていないのだ。たまに私といっしょに散歩に出るくらいなのである。
もし迷ったらどうするんだ!ということで、私は時計兎を追いかけるアリスのごとく、タマの後を追いかけた。
アリスと違うことといえば、一人ではなくてシュヴェルツも一緒に追いかけ始めたことくらいである。

「うぎゃっ」
ひー!顔にクモの巣らしきものが!と慌てて服の袖で顔を拭う。
タマはどうやらこれを新たな遊びだと勘違いしたらしく、私達に捕まらない程度の間隔を空けて、前を進んでいく。

私は顔についたクモの巣を掃いつつ、「たま!」ともう一度大きな声で名前を呼んだ。
早く戻っておいでという気持ちをこれでもかと込めたのに、タマはにゃーと一声鳴き声を返しただけで、決して止まろうとしない。
がさがさと木々の間を潜りぬけ、頭やら服やらに葉っぱをいっぱいくっ付けた私に、シュヴェルツは何やら呆れた様子で「いい加減に諦めろ。すぐに戻ってくる」とタマ捜索隊としての職務を放棄するようなことを言ってくる。
腕の中のミケは自由にお散歩中のタマが羨ましいらしく、腕の中でもぞもぞしだした。

「あ、みけ!」
そしてついにミケも私の腕の中から飛び降りてしまって、ぴゅーっとタマに駆け寄る。タマはミケに気付いて、ぴたりと歩みを止めた。
それを好機と、「たま、みけ」とできるだけ優しく二匹の名前を呼んだ。

「へや、いく」
部屋に戻るぞ!おいで!と言ったつもりだったのだが、二匹には一応通じたらしい。するするとこちらに寄ってきて、足元でにゃーと一声を上げた。
まったく、勝手にふらふらしては駄目だろう!そう叱ろうとしたところで、ふわりと、甘い香りが鼻腔をくすぐった。

何だろう。甘い―――花の匂い?

きょろきょろと辺りを見渡したが、奥に入りすぎたせいか、周りには花は無い。
それほど手入れのされていない木ばかりで、私は首を捻った。この、かすかな甘い香りは何だろう。
シュヴェルツの方を見上げ、「はな?」と尋ねると、シュヴェルツは小さく眉を寄せて考え込み、「ああ」と頷く。
そうしてからその辺の木の枝をぱきんと折って、私に手渡した。

「これだろう。シェリの木だ。樹液が甘い香りがする」

意味は分からなかったが、枝の折られた部分からは、ぷんと甘い香りがする。
ふんふんと匂いをかいでいると、シュヴェルツは「食べるなよ」と見張るような視線を向けてきた。
食べる、の単語が聞こえ、『えっ、これ食べられるのか?』と驚く。

ただの木の枝にしては甘い香りがすると思うけど、ううーむ、食べても美味しくなさそうだ。繊維質すぎるだろう。
しかし舐めるくらいはしてみてもいいかもしれない、とドキドキしながらそれを口に入れようとすると、「食べるなと言っただろうこの鳥頭!何を考えている!」と何故か叱られてしまった。
あ、もしかしてさっき、『食べる』の単語に『〜してはいけません』の意味がくっ付いていたのか。よく聞き取れなかった。

ごめんごめんと謝って、シュヴェルツの手から枝を取り戻す。
甘くていい匂い。花の香りのような、バニラのような、はちみつのような、よく分からないけれど、とにかく甘い匂いがする。
部屋に置いておいたら部屋がいい匂いになるかもしれない、と思いつき、私は木の枝を部屋に持って帰ることにした。

タマもミケも今度はちゃんといい子にして私の後に着いて来てくれるらしく、私が一歩を踏み出すと、二匹もするすると歩き出す。
カルガモの親子のようだ、なんて考えて、二匹の可愛さに口元を緩めた。
それにしても、久しぶりの外で、しかも慣れない靴で歩き回ってしまったから足が痛い。
ひょこひょこと変な歩き方になってしまった私を見つめ、シュヴェルツは「どうした」と問うてきた。

「あし、……あし」
痛い、という単語は何だったっけ。
思い浮かばずに、足、とだけ言葉を紡ぐ。
するとシュヴェルツは「痛むのか?」と呟いて、すいと腰を落とした。

まるで跪かれたような形になって、そういえばシュヴェルツのつむじを見たのは初めてだ、なんて思う。
いつもはシュヴェルツが私のつむじを見ているのだろうが、ううむ、どうして人のつむじというのは押してみたくなるのだろうか。
えいとつむじを押してみようとしたところで、シュヴェルツは短く何かを口にした。何度か聞いたことのある言葉だ。

ええと、意味は―――そこまで考えたところで、私の体はふわりと宙に浮いた。
うわっと声を上げて、わたわたと手足を動かす。
ど、どうやら抱き上げられたようなのだけど、いったい何だというのだろう。
もしかしてさっきの「あし」という一単語だけでシュヴェルツの脳内では『もーやだー。足疲れたー。動けなーい。抱っこしてってー』というセンテンスに変換されてしまったのだろうか。
それほど疲れてはいないし、足が痛いといってもちょっと爪先が痛むくらいだから、抱っこまでしてくれなくてもいいのだ。

慌てて「わたし、げんき!あるく!」という言葉に乗せて、降ろしてくれという旨を伝えてみたが、シュヴェルツは私の声なんて聞こえてないように、そのまま王宮の方に歩き出した。
タマとミケは、シュヴェルツと私の後に着いてくる。
私を抱えるシュヴェルツの腕は、今まで気付かなかったけれど、案外たくましかった。












      


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