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花鬘<ハナカズラ>







しばらく無言のときが流れて、私が再びうとうとしだしたとき、少し慌てた足音を立てて、おじさんが一人とお姉さんが一人、そっと部屋に入ってきた。
このおじさんは知っている。私がこの世界に来てしばらくご飯を食べなかったり、眠らなかったりで軽く体調を崩したときに部屋に来ていたおじさんだ。
多分60歳くらいで、髪と髭は真っ白だ。おそらくお医者さんなのだろう。
おじさんはシュヴェルツとリアンに少しベッドから離れるように言って、自分はベッドの傍に膝をついた。

「リツ様、どこか痛むところはございますか?」
「なに?」
「吐き気はございますか?」
「なに?」
私の「なに?」のみの返答に、おじさんはしばらく悩んだ後、「食事を摂られますか?」と尋ねてきた。

「はい。おしょくじ、たべる」

すっごく空腹だけど、それがどうかしたのか。
おじさんは私の返答に「食事が出来るなら、まあ吐き気は無いのでしょう」と言葉を紡ぎ、失礼しますの意味を持つ言葉を口にする。
脈を測られたり何だりされ、じっとしていると、アリーが食事を載せたカートを押して戻ってきた。

ご飯、ご飯!と起き上がろうとすると、やっぱり少しくらくらする。
それでも空腹には勝てずに、ぐっと腕に力を入れて、無理やり起き上がろうとした。
するとシュヴェルツが背中を支えてくれて、大きなクッションを背中の後ろに置いてくれる。
クッションを挟み、ベッドの枠に凭れながら、私は何だか鈍くきしむような腕を持ち上げ、体温程度の温かさのスープをスプーンですくおうとした。
しかし、寝すぎたのか、うまく力が入らない。
ふるふると震える手に、自分のことながら何だこれは!とびっくりしていると、シュヴェルツが私の手からスプーンを引き抜いた。

ああっ、大丈夫。ちゃんとスプーンを握れるから私に食べ物を!
そう思いつつ、慌ててシュヴェルツの方へ顔を向けると―――ちょっと目の前がちかちかした―――、シュヴェルツはスプーンでスープを掬って、私の口元に運ぶ。

も、もしかして食べさせてくれるのか?小学校の低学年にインフルエンザにかかって以来、人に食べさせてもらったことなんてないので、やっぱり躊躇してしまう。しかも人目があるし。
しかし、何よりお腹が減ったのだ。すごく減っているのである。
戸惑いながらも口を開けて、スープを飲み込む。
温かいスープが喉を通って、胃に落ちた。

薄味で具もほとんど入っていないスープは、それでも空腹のお腹には優しい。
もっと、と口を開ければ、シュヴェルツは「自分でやれ!」なんて言わずに、スープを掬って食べさせてくれた。うむ、美味しい。
そうしてスープのお皿が空になるまで、誰もほとんど口を開かなかった。
いつもならスープ一皿でお腹がいっぱいになるわけがないが、一食や二食抜いただけで胃が小さくなったのか、結構お腹がいっぱいになってしまった。
まだ体調があまりよくないせいもあるかもしれない。

ごちそうさまでした、と手を合わせると、スープのお皿は下げられて、もう一度おじさんはいくつかの質問をして―――あまりよく分からなかった―――助手らしきお姉さんを連れて、部屋から出て行った。
アリーもリアンも少し名残惜しそうだったけれど、それでもシュヴェルツに何かを言われて、部屋から出て行く。
結局シュヴェルツと二人きりになり、私はシュヴェルツは部屋に戻らなくていいのかと首を傾げた。

「しゅべるつ、へや、いく?」
「いや、ここにいる」

えっ、何で?私はもう一度眠るつもりだぞ、シュヴェルツも部屋に戻って寝たほうがいいと思うけど。
そう思いつつ、「へや、いく」と言ってみたが、「いいから寝ろ」と言葉を切られてしまった。
もしかして、心配してくれているのだろうか。でも多分もう大丈夫だと思うんだけど、とシュヴェルツを見つめると、やっぱり「寝ろ」と言葉が降ってきた。

言われなくても寝るけど、と思いつつ、「しゅべるつ、ねる?へや?」と尋ねてみる。
心配していただくのはありがたいが、シュヴェルツはどうやら忙しそうだし、自分の部屋できちんと寝ておかないと明日が辛いだろう。
そう思いながら紡いだ言葉に、ああ、と頷きが返される。

しかしどうも嘘っぽいというか、さっきは椅子にかけて軽く眠っていたみたいだけど、それは眠るとは言わないんだぞと眉を寄せる。
そうしてしばらく悩んでから、まあいいかと掛け布団を軽く持ち上げた。
先日からシュヴェルツのベッドにも何度かお邪魔したし、今日は私のベッドを半分貸してやろうと思ったのである。
シュヴェルツは私の行動の意図が理解できずに僅かに眉を顰めたが、「ここ、いい」と告げてやると、やっと意味が理解できたのか少し驚いたような表情を見せた。

この年になって、日常的にお兄ちゃんや弟のさとちゃんと一緒のベッドで寝ることはないが、3人で怖い映画のDVDを見て、リビングで布団や毛布を持ち寄って眠ることはそう珍しいことでもない。
年に2回くらいは3人で「俺たちはどうしてこう反省しないんだろうな」「いや、でも、面白かったよ。怖かったけど。っていうか見ようって言い出すの、いつもお兄ちゃんでしょ」「やばい、俺、夢で見そう」と言い合いつつリビングで転がる羽目になるのだ。
それと同じか、と思いつつ、入るなら早く入れと布団を持ち上げた。う、くそう、手がぷるぷるしてしまう。

シュヴェルツは一度断ってきたが、やはり姉としては弟が無理な体勢で寝て―――というか、そんな椅子に座ったまま眠れないだろう―――体調を崩すのが心配だ。
私はばさりと布団を動かし、シュヴェルツを急かした。

「私はいいから早く寝ろ。夜中に暴れるな」
というような言葉が繰り返されたけれど、結局はシュヴェルツもベッドに入るということで落ち着いた。
人の体温は気持ちよく、規則的な脈拍は眠りをさそう。
しかも、さっきと同じように、髪を指で梳いてくれるというサービス付きである。
眠気はすぐにやってきて、私はそれに逆らうことなく目を閉じた。
シュヴェルツからは、前と同じ、ラベンダーみたいな匂いがした。









翌朝、私が目を覚ましたとき、隣にシュヴェルツはいなかった。
結局自分の部屋に戻ったのか、部屋のどこにも姿が無い。
ただ、僅かに残る香りが、シュヴェルツがたしかにここに居たことを告げていた。

むにゃむにゃしながら身を起こすと、まだ少しくらくらしたけれど、昨日ほどではない。
ただ、スープは一晩ですっかり消化されてしまったらしく、相変わらずお腹はぺこぺこだった。
部屋にはタマもミケもおらず、とても静かで、早朝の静かな気配だけがする。
そろそろとベッドから抜け出て、重いカーテンを引くと、 眩しい朝日が目を射て、ぎゅっと目を瞑った。

すぐに目は光に慣れて、外を見下ろす。
相変わらず整えられた庭の片隅の大きな木には、白い花が咲いていた。
それを見つめて、あれ?と思う。昨日の昼前、馬に乗って遠出をする前に庭を散歩していたときはまだ蕾だったはずだ。
たしか、アリーは「あと3、4日で花が咲きますよ」と言っていた気がする。それが昨日の今日でもう開花かぁ、まあ昨日は暖かかったけど。
そんなことを思った私は、勿論、まさか自分が3日間も臥せていたなんて思いもしなかった。


ぐいぐいと寝室のドアを開けて、広い部屋の中央に配置されたソファに腰を下した。
部屋はいつも通りきちんと片付けられていて、あくびをしながら更に深くソファに腰かける。
まだ眠いのは眠いけれど、それより体が重いのが気になる。
まだ完全に回復したわけではないのだろうか。

ぐーっと腕を上げて伸びをしたり、首を回したりしていると、かりかりかりかりと小さな音が聞こえた。
最近聞きなれてきた、タマかミケが何かを引っかく音だ。
最初、壁やドアを引っかくので、それは駄目だ!引っかくならこれにしなさい!とアリーに用意してもらった木切れで爪を研ぐように躾けたはずだが、木切れは部屋の隅にちょんと置いてあるし、二匹はいったいどこで爪を研いでいるというのだろう。

音の発信源を探ろうときょろきょろしていると、私とシュヴェルツの部屋を繋ぐドアから音が聞こえる。
寝起きで体がだるかったけれど、よいしょよいしょと鍵のかかっていないドアを押した。
すると僅かな隙間からにゃー!とタマの声が聞こえて、タマとミケがドアの隙間からぴょんと頭を出した。
二匹は隙間を潜り抜けて、私の部屋に入り、にゃーにゃー言いながら足元に纏わりついてくる。

なんて可愛いんだ!寂しかったのか!

ドアから手を離し、床に座って二匹を膝の上に乗せた。
二匹はしきりに体を摺り寄せてきて、その可愛さといったら、それはもうたいへんなものである。
よしよしとミケの頭を撫でると、タマは自分も自分も!というふうに、頭をこすりつけてくる。

可愛い可愛いとにやけていると、タマとミケに続いて、シュヴェルツがドアを開けて入ってきた。
床に座り、猫と戯れている私を見下ろして、シュヴェルツは小さく息を吐き、何事かを呟いて、二匹を私の膝の上から退かす。
聞こえた“ソファ”の単語に、多分「床に座るな!ソファに座れ!」と言われたのだろうと判断し、立ち上がろうとした、そのときだった。

突然体がふわりと浮いたのである。
勿論、魔法というファンタジックなものによるものではなく、シュヴェルツが私を抱き上げたのだ。
以前、塔から逃げ出して部屋に連れ戻されるときには荷物でも持ち上げるように抱き上げられたものだが、今回は正真正銘、お姫様抱っこである。

昨日から妙に優しいシュヴェルツだが、何だか落ち着かない。
こんな風にわけの分からぬ優しさを発揮してくれるのなら、いつものように「何をしている!」と叱られた方が落ち着く!なんて考える。

シュヴェルツは丁寧な動作で私をソファに座らせた後、これまた丁寧な動作で私の額に手を置いた。
「熱は無いな」
熱でも測られているのだろうか。きょとんとシュヴェルツを見つめていると、シュヴェルツは朝日を浴びた私を見つめ返してきて、「顔色も随分よくなったな」と呟く。
しばらく無言で見つめ合っていると、シュヴェルツがゆっくりと口を開いた。

「リツ、」

同時に、きゅるるーと私のお腹が鳴る。
……いや、だって昨日スープしか食べてないし!そのスープだって薄味だし具が無いしという修道女メニューだったではないかと、日本語で捲くし立てる。
するとシュヴェルツはいつものように呆れたように、けれど笑って、食事にするか、と言葉を紡いだ。
うんと頷いて、ベルを鳴らすシュヴェルツを見つめる。
シュヴェルツは何だか疲れた様子だったけれど、それでもたしかに、こちらに視線を向けたシュヴェルツは晴れやかな表情で口を開いた。

「おはよう、リツ」
「おはよう、しゅべるつ」

挨拶を返して、窓の外を見やる。
最近ではもう見慣れてきた風景だったけれど、それでも初めてこの景色を見た気がした。

晴れた空には雲ひとつなく、朝日を浴びた木々がさわさわと柔らかく歌っている。
窓の外には朝早くだというのに、庭師らしき人が大きな剪定鋏を持って歩いている。
彼とすれ違うように、どうやら寝坊してしまったらしい若いメイドさん2人がきゃあきゃあ高い声を上げながら走っていった。
どこかから鳥の声が聞こえて、耳を澄ますと誰かが廊下を走る足音が聞こえる。

それらを感じながら、私は何だか幸せな気分になって、誰に言うでもなく、おはよう、と呟いた。
なんだか、この世界に、初めてきちんと足を着けた気がした。








〜 1章 おしまい 〜




      


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