花鬘<ハナカズラ> シャーロットのお屋敷は、外から見ても大分立派だったが、中に入ってみても素晴らしかった。 私の少ない語彙では表現しにくいが、部屋も廊下もやたらと広く、手の込んだ作りの調度品が置かれている。 上品な花器や趣味の良い額に入れられた絵画が飾られ、廊下のどこにも埃一つもないくらい、隅々まで整っていた。 お城みたい、と思う私に、シャーロットは「狭いところでお恥ずかしい限りですが」と先を案内してくれる。 ここが「狭いところ」ならば、元の世界の私の家はいったい何なのだ。さては一般人の私に喧嘩を売っているな? そんなことを考えながらシャーロットの後について廊下を歩む。 その歩みがようやく止まったのは、お屋敷のずっとずっと奥の方だった。 「どうぞ、こちらです」 そう言って、シャーロットは飴色の扉をゆっくりと開ける。 その先の広い部屋は、今までお世話になったどの部屋よりもすっきりとしていた。 壁はやさしいクリーム色をしていて、よそのお屋敷みたいにごちゃごちゃと色んなものを並べておらず、絵画の一枚もない。 その代わりにというのか、部屋の扉を開けて最初に視界に入るのは大きな窓だ。重そうなカーテンは開かれており、美しい湖が見えた。ちょっと凝った作りの窓枠と合わせて、この景色こそが一枚の絵画のように見える。絶景だ。 高級ホテルの一室のような部屋に、思わず「わー」と声を漏らすと、シャーロットに艶やかな微笑を送られた。 「姫、今日はこちらの部屋でお休みください。何か足りないものがあればすぐに用意させますので、どうぞ何なりとこの者たちにおっしゃってください」 シャーロットの言葉に、優雅な礼をとったのは、2人の女性だ。 私も彼女たちにぺこりと頭を下げて、よろしくお願いします、の言葉を紡ぐ。 彼女たちは一瞬びっくりしてから、私より更に深く頭を下げたのだった。 部屋に入り、これまでの旅路ですっかり仲良しになったジュリアとゆっくりしていると、シャーロットの妹さんが部屋の扉をノックした。 薄青のドレスを身に纏った彼女は、にこにこしながら私を見つめて口を開く。 「リツ様、お夕飯の時間まで、わたくしとお茶をいたしませんか? わたくし、リツ様がいらっしゃると伺って、いろんな種類の甘味をご用意いたしましたの! ぜひ召し上がっていただきたいですわっ」 きらきらした瞳を向けられ、勢いよくそう言われた私は、彼女に向って首を傾げて見せた。 早口の言葉は、さっぱり聞き取れない。 「もうしわけありません、なに?」 ごめんなさいもう一度言ってください、の意味を持つ言葉に、彼女はちっとも気分を害した様子を見せず、にこにこしながら「お茶をいたしませんか? 異世界の乙女様」とゆっくりと言葉を紡ぐ。 お茶に誘われているのか! とようやく気付いた私は慌てて「はい」と頷いた。 *** 別の部屋に用意されたお茶のセットは、彼女の言う通り、たくさんの種類のお菓子とお茶が用意されていた。 わー!と目を輝かせる私に、ジュリアは苦笑する。 「リツ様、あまり甘いものを食べ過ぎると、御夕食が食べられなくなりますよ」 「だいじょうぶ。すこし、たべる」 子供ではないのだから、そのくらいはきちんと考えているとも。 そう思いつつ、席に着くと、ジュリアはそうっと後ろに下がろうとした。 ジュリアは二人きりの時は親しくしてくれるけれど、他の人と一緒のときは身分を弁えてということなのか、少し離れていってしまう。 せっかくなら3人で一緒にお茶ができればいいけど、シャーロットの妹さんはこんな良いお家のお嬢様なので、もしかしたら騎士であるジュリアと一緒というのは嫌なのかもしれない。 そう思った私だったが、彼女は後ろに下がろうとしたジュリアに「あら」と視線を向けた。 「あなたも一緒にどうぞ。リツ様はあなたがお気に入りなのでしょう? わたくしも、お茶の相手は多い方が楽しいわ」 「はい。じゅりあ、すき」 そんな恐れ多いことは、と最初は遠慮した様子のジュリアだったが、二人分の「いいからお座りなさいな」「じゅりあ、すわる。おちゃ、いっしょ」の言葉を受けて、おずおずと椅子に腰を下ろした。 ちょっと困惑した様子のジュリアに、シャーロットの妹さんはにっこり微笑む。 「自己紹介がまだでしたわね。わたくし、ベルリットと申します。どうぞ、ベルと呼んでくださいませ」 「はい、べる。わたしは、りつです。おはつにおめにかかります」 「ジュリア・フォルスナーでございます」 ジュリアは本当に自分が参加していいのかと戸惑っている様子だったが、ベルはにっこり笑ってから、「ジュリアね」と彼女の名前を呼んだ。 ベルが手ずから淹れてくれたお茶はふんわりと甘い匂いがする。 そのお茶を勧められ、口に含んだジュリアはちょっと驚いたように目を見開いた。 「美味しいです。何のお茶でしょうか? 初めていただきました」 「百千華という、色々な葉や花弁をブレンドしたものだそうよ。何やら色々な効能を持つお茶なのですって。これは、十種類の花弁を混ぜ合わせた『恋する乙女の吐息』という名のつけられたお茶なの。肌にとってもいいんですって。私も先日初めていただいたのだけど、それ以来病み付きになってしまって。美味しいわよねえ」 うっとりと語るベルに、ジュリアも「ええ、とても」と微笑む。 美女二人が優雅にお茶をする様子はとても絵になって、私もつい、うっとりしてしまった。 そういえば、こうやって同じ年頃の女性とお茶をしながらおしゃべりしたのは、この世界に来て初めてのことかもしれない。 アリーやリアンや他のメイドさんたちとは、こんな風に一緒に席についてお茶をしたことがなかったからだ。 言葉はよく分からないところがあるものの、何だかとっても楽しい。 きゃっきゃと弾む女子トークの中、ベルが「そういえば」と目を輝かせる。 シャーロットと同じ、色気の溢れる目元からは、きらきらと何かがほとばしっている。 そうして、少女漫画に憧れる女の子のように、ベルはほうっと熱っぽい吐息を落とした。 「リツ様はしばらく、お忍びで隣国に行ってらしたのでしょう? 見聞を広げるために他国へ伺うだなんて、リツ様は随分と思い切ったことをなさるのだと、わたくし、感動しておりましたの! できることなら、わたくしがお付添いしたかったですわ!」 ベルは楽しそうにそう言う。 紡がれた言葉に眉をぴくりと動かしたのは、ジュリアだ。 ベルはそのことにちっとも気付かなかった様子で、瞳をきらきらさせながら、「わたくしも行ってみたいですわ」と異国に想いを馳せている。 “お忍び”や“見聞を広げる”の単語の意味はよく分からなかったが、おそらく「しばらく隣国に行ってたんでしょ? いいなー、私も旅行したーい」くらいの意味だと判断して、こっくり頷く。 ベルはやっぱり「羨ましいですわぁ」と熱っぽいと息を落とした。 「ねえねえ、そういえば、ジュリアさんはムーアの騎士なのでしょう? あちらの国は気候も穏やかで、良い国だと聞いていますわ。ねえ、あちらでは花の蜜を使った香水が流行しているって本当? すごく良い香りなのだと聞いたけれど、うちの国には入ってきてないのかしら。それから、わたくし、ムーアの果物を干したものが好きなんだけど、それを生地に刻んで入れたサーリャンという揚げ菓子があるんでしょう? うちの料理人でも作れるかしら? 難しいと思う?」 明るい声で紡がれる質問に、ジュリアはにっこり笑いながら丁寧に返答していく。 ベルはその度に「わあ、いいわねえ」「素敵ねえ」「行ってみたいわあ」とうっとりした。 女子三人でのお茶会は、1時間を過ぎても、会話が尽きることは無い。 ベルは楽しそうに笑いながら、カップに残ったお茶を飲み干した。 するとすぐに、控えていたメイドさんが、新しくお茶を入れてくれる。 その様子を眺めていると、ベルはにこにこしながら口を開いた。 「それにしても、明日はお久しぶりにご夫婦のご対面ですわね。きっと、シュヴェルツ様もお喜びになりますわ」 「はい。あす、あう、しゅべるつ」 ベルの言葉の通り、明日にはお城に着くそうで、つまりはこの旅も終わりになる。 ジュリアともそこでお別れになるのだろう。せっかく仲良くなったのに、何だかちょっと寂しい。 そう思いつつちらりとジュリアを見やると、彼女もちょっと寂しそうな表情で、私を見つめた。 ちょっぴり寂しさを味わっている私たちを放って、ベルはしばらく“氷の王子”と“異世界の乙女”というきらきらした単語を紡ぎ、うっとりと夢見るように語っている。 意味が分からないながらも、こくこくと相槌を打つ私に、ベルは「あ」と小さく声を上げる。 「そういえば、私、つい3日ほど前にちらとシュヴェルツ様を拝見する機会があったのですけれど、もともと細身でいらっしゃるのに少し痩せられたようで、顔色もあまりよろしく――」 ベルが言葉を紡いでいる途中に、ノックも無く、ドアがするりと開けられた。 そこから部屋に入ってきたのは、シャーロットである。 彼はいつもの通り艶やかな微笑を浮かべて、「こら、ベルリット」と妹をたしなめた。 「ベル、リツ様が不安になるようなことを言うものではないよ」 「しゃーろっと。しゅべるつ、げんき、ない? おつかれさまでございます?」 おそらくさっきベルが言ったのは、そういう意味の言葉だったはずだ。 慌てて真偽を尋ねると、シャーロットは優雅に微笑んでさらりと髪を揺らした。 「大丈夫ですよ、リツ様。そうですね……最近ほんの少しお疲れのご様子と伺っておりますが、リツ様のお顔を見れば、すぐに元気になりますよ」 「げんき……なる……?」 「ええ、必ず。さあ、そろそろ食事の準備が整ったそうですから、お茶会はもうおしまいにしましょう。ベル、リツ様をご案内してさしあげなさい」 「はあい、シャーロット兄様。リツ様、こちらです」 ベルは椅子から立ち上がり、スカートの裾をそっと直して、そう言った。 ――シュヴェルツ、大丈夫かなあ。 体調不良らしい弟のことを思いつつ、きゅっと眉を寄せる。 でもきっと、シャーロットが大丈夫と言うのだから、大丈夫なんだろう。 そう思って、私はベルの後について歩き出した。 そうしてシャーロットのご両親、つまりこのお屋敷の主人に招かれる形での夕食となったのだが、私とベルは、お茶会で散々甘いものを食べお茶を飲んだせいか、ちっとも食事をとることができなかった。 そのせいで私はジュリアに、ベルはシャーロットにお叱りを受けたことをここに付け加えておく。 【 NEWVEL様の小説ランキングに参加しています 】 もしよろしければ、応援していただければ嬉しいです。(1ヶ月1度) |