花鬘<ハナカズラ>







それから2度の夜を越えた日の朝、私はジークフリードの弟だけど、私の弟ではないらしいリドウと一緒に、豪奢な馬車に乗せられた。
今日のリドウは以前初めて会ったときのラフな格好ではなくて、ごてごてした飾りがたくさん付いた服を身に着けている。
どうやら彼は重い衣装に不満のようだったが、脱ぎ出すような真似はせず、お行儀よく座席に座っている。
しかし、馬車が城を出て王都も越えてしばらくすると、「はあ〜あ」と疲れたような息を吐き出して、ごろりと座席に横になった。
そのまま、きらきらしい上着を脱いで、枕にしてしまう。

「りどー」

そんなだらけた格好……羨ましい。私だって、だらだらしたい。
そう思った私に、リドウはぷらりと片手を振った。

「こういう服って何でこんなに窮屈なんだろうなあ。リツもゆっくりしろよ、十日はかかるんだから」

10日!
そんなにかかるのか、と私は驚いた。
中学生の頃に一度だけ海外に連れていってもらったことがあるが、そのときの5時間のフライトだって、長いなぁと感じたのに、なんと、10日!
でもまあたしかに、乗り物は飛行機でも電車でも車でもなく馬車なのだから、当然と言えば当然のことだ。
それでも移動に10日という、元の世界ではありえなかった移動時間に驚いていると、リドウは突然がばっと起き上がった。
な、何事だ?と目を見開くと、リドウはじろじろと私を見つめてから、「はあ〜あ」とさっきと同じ溜息を吐いた。

むっ、人の顔を見て溜息を吐くとは失礼な奴だな。
そう思う私の正面で、リドウは優雅に足を組んだ。
あまりお上品とはいえないリドウだが、たまの仕草はとても優雅で、育ちの良さが現れている。
しかし、ぶすっとむくれて「何でエルヴェールなんかがいいかなあ」と言葉を紡ぐ様子は、ただの少年である。

「兄上とムーアの国の方がずっといいと思うけど」
「しゅべるつ、ありー、りあん、すき」
「子っ供だなあ、リツは」

幼いと言われ、思わず眉を寄せる。
うるさいな、と呟くと同時に、ゆっくりと馬車が減速した。多分休憩の時間なのだろう。
予想通り、馬車が止まると、シャーロットを含めた数人の騎士さんが私とリドウを馬車から降ろしてくれた。
周囲にはほとんど何もない、ぽつぽつと草木が生えているだけの、ただの街道だ。
怪しい人が近づいてきたら分かるように、ということなのだろうか。途中で通った街の方がずっと見てみたかったなぁと、私はこっそり思った。

「慣れない馬車は、お疲れでしょう。足をお揉みいたしましょうか」

そう言ってくれたのは、美しいブルーの髪をした女性騎士さんだ。すらりと長い手足も、頭の高い位置で一つに結われた長い真っ直ぐの髪も、凛と美しい。
アリーが野に咲く花で、オリヴィア様が大輪のバラならば、彼女はまさしく白百合だろう。
お城勤めの人は美人が多いのかなと、まじまじとその美しい人を見つめた。
シャーロットも彼女の美しさに、何やら甘い台詞を紡いでいるが、女性騎士さんはそれには構わず私に向けてにっこりと微笑む。
私は、彼女の美人っぷりと、それからシャーロットの女性への口説き文句の豊富さに感心した。


「しばらく、リツ様のお世話をさせていただきます。ジュリアと申します。どうぞ何なりとお申し付けください」

ジュリア、と彼女の名前を呼んでみて、はた、と気付く。
彼女が今呼んでくれたのは、私の名前だった。――エリー様ではなくて、私の。
一瞬、ジュリアはシュヴェルツの国の騎士さんなのかと思ったが、制服が違う。
ジークフリードの国の騎士さんが着ている制服と同じものだ。
つまり、皆が皆、私をエリー様と呼んだ国の騎士さんなのである。
初めてのことに困惑していると、ジュリアは「エリー様とお呼びした方がよろしかったでしょうか?」と首を傾げた。慌てて首を横に振る。

「いいえ、りつ」

リツと呼んでくれたほうが嬉しい。
そう言うと、ジュリアはにこりと笑って「はい、では、リツ様と」と言ってくれた。
ただそれだけのことなのに、心がふんわり温かくなる。
どれだけ自分の名前に餓えていたのだろうと我ながら呆れてしまうが、嬉しいものは嬉しい。

「じゅりあ」
「はい、リツ様」

凛と美しいその人は、深い海の色をした瞳を細めて私の名前を呼んでくれる。
そして、お世話をさせていただきます、の言葉の通り、彼女は常に私とリドウの乗る馬車の横にいた。
跨るのは白馬で、私は「異世界の王子様はここにいたのだ!」とちょっと感動する。

ジュリアはよく気のきく女性で、私が僅かな乗り物酔いにぐらぐらしていると、何も言われずともお水を用意してくれたり、道端で見つけたらしい小さな花を渡してくれたりする。
リドウが十日かかると言っていた道のりは、平和で、ゆるやかで、ジュリアのおかげもあってとても楽しいものだった。
どうやらもうすでにシュヴェルツの国の敷地内に入ったようで、今まで少し纏う空気が張り詰めていたシャーロットは、僅かに安堵の息を落としている。
けれどジュリアは違っていて、むしろぴりぴりとした雰囲気を纏い出した。

「じゅりあ?」
馬車には小さな窓がついていて、そこを僅かにあけて―――全開にしようとしたら、弓で狙われたりしたら危ないから駄目だと言われた―――ジュリアととおしゃべりしていた私は、思わずその名を呼んだ。

「はい、どうかなさいましたか?」
表情はにこやかで、声も柔らかいが、何だか変だ。

「なに?げんき、ない?」
「いいえ、そのようなことは―――リツ様。ここからは窓を閉めてくださいませね。危のうございますから」
「?」

シャーロットも馬車のすぐ傍に馬を走らせているが、ジュリアの言葉を聞いてぴくりとその柳眉を動かした。

「―――どういう意味かな?まるで我が国がリツ様に害を為そうとするような言い様だけれど?」
「私は陛下より、リツ様を守護し、無事にシュヴェルツ王子の下へ送り届けるように命令を受けています」

ジュリアの曖昧な、けれどきっぱりとした口調の答えに、シャーロットはしばらく黙り込む。
そうしてから、私の方を向いて艶やかに微笑んだ。

「姫、彼女の言う通り、そこは閉めておきましょうか」
「えええ」
「姫、私の言うことを聞いて」

シャーロットにまでそう言われ、私は不承不承頷いた。
ちなみにリドウはだいたい寝ているか、私をからかってくるか、むしろ自分も馬に乗りたいと誰かに頼んでいるかで、今は一つめを選んだようだった。よくそんなに眠れるな。
二人に言われ、窓を閉めると、何だか気分が滅入ってしまう。
そもそも私は閉所があまり好きではないのだ。閉じ込められたらと思うと、怖い。
座席の上でもぞもぞしていると、リドウがゆっくりと目を開ける。
そのままむにゃむにゃして、最後にはやはりゆっくりと起き上がった。

「眠い……」
「りどう、たくさん、ねむる」

あれだけ寝てまだ眠いのかと呆れながら呟けば、リドウは目を擦りながら「リツはもっと寝ろよ、だから育たないんだぞ」と失礼なことを言ってきた。
寝ても食べても身長は伸びないのだから仕方ない。これは我が家の血によるものだ。
そう思いつつ、ぷいとそっぽを向く。
そんな私を放って、リドウは外に向かって声を上げた。

「今どこ辺り?」
小鳥の囀りのような地名が上げられ、リドウはふうんと呟いた。
私には小鳥の囀りに聞こえたその地名を、リドウは知っているらしい。

「やっとエルヴェールに入ったのか」
「えるべる。しゅべるつ」

思わずシュヴェルツの名を呟くと、リドウは顔を顰めた。

「兄上の方がずっといい男なのに」

またそれか、とこちらも呆れ顔になるのは仕方ないことだろう。
リドウはふんとそっぽを向いて、「やっぱり女はみんなシュヴェルツ・フォン・エルヴェールみたいな美男がいいんだろ。兄上だってちょっと顔が怖いだけで本当は美男の範疇なのに」とぶちぶち言っている。

うつくしい、だんせい。

たしかにシュヴェルツはとんでもない美人である。
その白い肌も、形の良い唇も、すっと通った鼻梁も、涼しげな切れ長の目も、長い睫も、まるで作り物のように美しい。
黙っていれば人形のようで、私が特殊な趣味を持つ人間なら、剥製にして飾っておきたいとも思うかもしれない。
けれど、私は別にシュヴェルツが美人だから、シュヴェルツのところに帰りたいわけじゃない。

名前を呼んでくれる。――私をちゃんと見てくれる。
だから、シュヴェルツのところに帰りたいのだ。
それだけなのだが、異世界語でリドウに説明をするのも難しい。私はそれを諦めて、リドウから視線を逸らした。




そうして、翌日の昼にはシュヴェルツのお城に到着するという日の晩、私達はどこかの貴族の人のお家に泊まらせてもらうことになった。
今まで、全ての夜を、どこかのお屋敷でお世話になってきたのだが、今回お邪魔するのは、もうすでにお城じゃないかというほど大きな建物だ。
おおお、と目を見開いて建物を眺めていると、シャーロットが「狭いところですが、何か困ったことがあれば何なりと家の者にお申しつけください」と艶やかに微笑む。
ちいさい、と謙遜されたようだが、もしかして。

「シャーロット兄様、今お着きですの!?ああ、ではこちらがリツ様ね!お噂はかねがね!」

シャーロットと同じきらきらのブロンドヘアーの女性が駆けてくる。
彼女はシャーロットを“兄”と呼んだ。つまり。

ここはシャーロットの実家か!

私は驚愕した。
天は人に二物を与えないというが、それは嘘なんだなあ、と初対面のときに思ったが、まったくその通りだ。
格好よくて、剣の腕も素晴らしく、ついでにすごいお金持ちだったのか、とシャーロットの出来具合に恐れおののく。ついでに言えば、妹もすごい美人だ。
色気を醸し出す泣き黒子は遺伝なのか、妹さんの方にも存在している。
多分私と同じ年頃か、もしかしたらちょっとくらいは年上かもしれない彼女は、膝を折って丁寧な挨拶の言葉を口にしている。
ソプラノ歌手のような美しい声に聞き惚れていると、彼女はぴたりと唇を閉じて、にっこり笑った。

「本日は、ようこそいらしてくださいました、リツ様。王子の氷の心を溶かした、異世界の乙女様!」

最後の言葉の意味はよくは分からなかったが、私は彼女が―――こちらの世界にもそういうものがあるとすれば―――ティーンズラブ小説を愛好する類の人間だと、何となく確信した。














      


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