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花鬘<ハナカズラ>







『日本語!日本語!?なんで!?ジークフリードがなんで日本語しゃべれるの!?日本人なの!?』
矢継ぎ早に言葉を紡ぐと、ジークフリードはぎゅっと眉を顰めた。
うるさい、とでも言うように。

『静かに』

静かに?そんなの無理に決まっている。
私がこの世界にやって来てしまってから、初めて聞く日本語なのである。
驚愕と、興奮と、それから喜びが溢れて、私は『日本語!』と叫ぶように声を上げた。
ジークフリードは、もうどうしようもないと思ったのか、私の口を大きな手のひらで塞ごうとする。ええい、やめろ!
私は口をふさごうとしたジークフリードの手をぎゅっと握って、『日本語!』と再度叫んだ。呆れたように息を吐かれる。

「静かにしろ、と言ったんだ」
『日本語でしゃべってよ!』
「では声を落として、静かにしろ。今が夜だと分かっているのか?」
「はい!はい!にほんご、おねがいします!」

ちゃんと落ち着いて 静かにするから、日本語で話して欲しい。
突然もたらされた、懐かしすぎる言語に、じわりと涙まで滲む。
“話が通じること”が嬉しいというよりは、その響きの懐かしさに、郷愁の想いがぶわりと大きく膨らんだようだった。
泣きそうになるのを耐えるため、ぎゅっと唇を結んでジークフリードを見上げる。
彼はしばらく私が黙っているのを確認してから「いいだろう」と頷いた。


『……何を、話すが、良い?』
『何でも。何でもいいから―――いや、待って!何でジークフリードが日本語を話せるの?他にも誰か話せる人がいるの?どうして今まで日本語が話せるって教えてくれなかったの?』
『少し、ゆるやかに。聞き取り、できない』

私がこちらの世界の言語に不慣れなように、ジークフリードは日本語が完全に分かるわけではなさそうだ。
それでも、全然、まったく、問題ない。普通におしゃべりできる範囲である。
さっきまで一人分空けていたスペースを埋めるように、ジークフリードにずいと近寄る。
がしりとその服の裾を掴めば、ちょっと嫌そうな顔をされてしまった。
それは気にせず、なるべく興奮を抑えてから、今まで私がこの世界の人にそうしてもらったように、ゆっくりと尋ねる。心臓はさっきからドキドキしっぱなしだ。

『日本語、どうして話せるの?』
『祖母が、話す、言葉だ』
『おばあちゃん?ジークフリードのおばあちゃんは、日本人なの?』
『そうだな、にほん、というところから、呼ばれた』
『呼ばれた?―――私みたいに?なんで?』
『お前と同じ。ふたつ、前の、国王の、イーアとして呼ばれた 』

何と!ジークフリードのおばあちゃんは、ジークフリードのおじいちゃんのイーア(姉)だったのか!
私は驚愕の余り、目を見開いて固まった。

―――そんなことがあるものなのか。
そして、なんでみんなわざわざ異世界にいる姉を呼び出そうとするのだ。放っておいて欲しい。
そう思いながら、む、と眉を寄せる。

『なんで皆、そんなことするの?』
『国のため』

だから何でお姉ちゃんを呼び出すと国のためになるのかがさっぱり分からない。
すごく疑問に思ったが、とりあえず、まあいいや。まだまだ聞きたいことはたくさんある。
私は次の質問をぶつけることにした。

『他にも誰か、話せる人がいるの?』
『にほんごを話す、ことが、可能な者は、ない。私だけ』

これにはショックを受けることはなく、まあそうだよね、と思った。
そんなにうまくはいかないだろう。ジークフリードが話せるだけでも、とてもありがたいことである。

『なんでジークフリードは話せるの?おばあちゃんに習ったの?』
『昔、子供の頃、祖母に教わった。もう亡くなって、しばらく、だから―――にほんごを話すのは、久しぶりだ』

そうか、そうなのか。
もう亡くなられたというのはとても残念だが、ジークフリードのおばあちゃんは、なんて素晴らしいことをしてくれたのだろう!
ああ、でも、亡くなった?この世界で?彼女も帰れなかったのだろうか。
そんなひどい、と思ったところで、ジークフリードは自分の着ていた羽織ものを私に被せた。

「女が体を冷やすな」
これがシュヴェルツだったら、ボタンを留めるところまでやってくれ、ついでに「本当にお前はすぐに薄着でどこでも動き回ろうとする。いいか、風邪を引いて寝込むことになって辛いのはお前なのだから、自衛をしろ自衛を!」とお説教が始まることだろう。
もしくは、ぎゅうと抱き締められてスキンシップを図られるか。
しかしジークフリードはそこまで甲斐甲斐しくはないようだ。
そして、こんなときだというのに、シュヴェルツのことを思い出している自分が何だかとっても不思議だった。

『……なんで今まで、日本語で話してくれなかったの?』
『お前が、にほんごを話すと、思わない』

そういえば、そうだ。
こちらの国に来てからは、私は日本語を使ったことはない。
シュヴェルツのところでは散々使っていたが、こちらの国に来たのは私が異世界語を少しくらいは覚え、何とかそれで会話ができるようになった頃なのだから、使う必要はなかったのだ。
くそう、こちらの世界で最初に話したのがジークフリードであれば、と考えても仕方の無いことを思う。

けれどそうしたら、私はここまで真剣に異世界語を覚えようとはしなかったかもしれない。
そして、ジークフリードに物凄く依存したことだろう。
彼一人だけが私の言葉を理解してくれるのだから。
そんな傍迷惑なことにならなくてよかったと思うが、いや、やっぱり最初に私を呼んだのがジークフリードだったらもっと楽に異世界に慣れることができたような。ううーん。
ジークフリードはしばらく私を見つめて、「聞きたいことはそれだけでいいか」と異世界語を紡いだ。そんなはず、ない。


『私、家に帰りたい。お父さんもお母さんも心配してるし、お兄ちゃんとさとちゃんも多分心配してる。帰りたい、帰れないの?おばあちゃんは、帰れなかったの?』
口早に紡いだ言葉は、けれどジークフリードは一応聞き取れたようで、僅かに眉を寄せて頷いた。

『祖母は、帰らなかった』
『“ら ”?帰“れ”ないじゃないの?できたけど、しなかったの?それともできなかったの?』
『不可能、だ』

ずっとずっと、求めていた答え。
やっと与えられたそれに、私の全身から力が抜けた。
ジークフリードの服の裾を握っていた手も解け、へなへなと下に降ろされる。
そんな、と呟いた。

不可能。帰れない。―――そんな。

今まで、誰にも「帰れる」、「帰れない」といわれた記憶は無い。
異世界語でうまく質問できる自信もなかったし、答えを聞いても理解できなかったら嫌だし、それから「帰れない」という現実を突きつけられるのが怖かった。
だから私はこの質問だけは誰にもせずに胸に収め、「きっといつか帰れる」と信じていた。
信じたかったし、信じるしかなかった。
帰れないのだと少しでも思ったら、本当に帰れなくなる気がして恐ろしかったのだ。
でも、ジークフリードは私のそんな淡い希望を打ち砕いた。
ジークフリードに悪気があったわけではないのだろうし、私が聞いたことに素直に、正直に、答えてくれただけだ。でも。


『どうして、なんで!嫌だ!帰りたい!帰る、帰りたい、私、家に帰りたい!なんで!なんでこんなところに連れてきたの!』
突如大声を上げた私に、ジークフリードは一瞬ぎょっとして、それから再び私の口を塞ごうとした。
それを振り払って、叫ぶ。

『なんで、ひどい!勝手にそんな、なんで、ひどいよ……!』

言葉と同時に涙も溢れて、ついに言葉を止めても、涙はどんどん溢れてきた。
ひどい。ひどすぎる。なんでそんな勝手なことをするのだ。
平和に暮らしている異世界の“姉”を呼び出して、いったい何のつもりだ。
国のためって言うけど、こんな平凡な“姉”がいったい何をできるというのだ!

絶望と悲しみと怒りがぐるぐるとミックスされ、暴れてやりたい気持ちになる。
しかしジークフリードの手が私の腕を引き、もう片方の手で私の口を塞いだ。

「静かにしろ」

うるさい!声を上げるにも泣くのにも邪魔なジークフリードの手を離そうとしたが、ちっともはがれない。
それどころか、更に強く口をふさがれて、私はとりあえず絶望と悲しみの感情を隅に追いやってから、理不尽への怒りを込めて、ばしっとジークフリードの腕を叩いた。
ばしばしと叩いてみても、ジークフリードの手は外れない。
異世界人との力の差、そして男女の力の差をまざまざと感じ、 その理不尽さにもやはり腹が立つ。
ぐちゃぐちゃになった感情を、涙として吐き出すと、ジークフリードは僅かに痛ましげな表情を浮かべる。
その、同情を孕んだような表情に、また感情が高ぶった。

―――帰る。帰りたい。帰る、帰る、帰るんだから!

「帰れない」と聞いて噴き出す感情は、今は悲しみではなくて、怒りの方が大きかった。
ジークフリードが悪いわけではないのかもしれないが、今一番傍に居る異世界人が彼なのだから、その怒りの矛先は彼に向けてしまう。
彼にぶつけるのは違うとも思ったが、私はジークフリードのイーア(姉)だというし、よく考えたら―――よく考えなくても、私をこの世界に一方的に呼びつけたのはシュヴェルツであり、ジークフリードだってこの国に呼びつけた張本人でもあるのだ。
多分ここにシュヴェルツがいたら、まずはシュヴェルツに殴りかかったに違いないが、奴は今ここに居ない。
それが悔しいし、腹も立つ。私にはシュヴェルツを罵倒して、噛みつく権利があるはずだ。
それなのに一番強く感じるのは、寂しい、という感情で、私は自分の感情がまったく理解できなかった。

馬鹿!馬鹿!馬鹿!シュヴェルツのせいだ!元の世界に帰りたい!お父さんとお母さんとお兄ちゃんとさとちゃんに会いたい!……本当は、シュヴェルツにだって、会いたかったのに!

今会ったら間違いなく殴るし蹴るし噛みつくし、「じゃじゃうまじゃじゃうまじゃじゃうま!」と罵倒するに違いない。
それにむっとしてくれればいいけれど、たまに優しい異世界の弟は、もしかしたら私が泣いてそんなことをしたら、傷つくかもしれない。
シュヴェルツの心配したような表情や、疲れた様子、傷ついたような顔は見たくない。
何で被害者の私がそんなことまで気遣ってあげているのかが分からなかったが、シュヴェルツが傷つく様子は見たくないと思う感情は確かなものだった。

自分の気持ちも、異世界に連れてこられた理由も、よく分からない。
分からないけれど、胸がずきずきと痛い。痛みで心臓が悲鳴を上げて、上手に呼吸できなくなるほどだ。
息が出来なくて苦しくて、呼吸を整えようとするけれど、止めどなく溢れる涙のせいで、それもできない。

なんで、どうして!やだ、やだ、やだ!帰りたい、帰りたい、帰りたい!

同じ言葉ばかりが思い浮かぶ。
私は家族の顔とシュヴェルツの顔を順番に思い出しながら、目が溶けてしまったのかと思うくらいの涙を流した。



ひとしきり泣いて、口を塞がれたまま喚いた後には、どっと疲れが押し寄せてくる。
怒るのは疲れる。そう聞いたことがあったが、本当のようだ。私はくたくただった。
そして疲労が押し寄せるのと同時に、今度は怒りではなくて悲しみが襲ってくる。

もう帰れないのだ。家族に会えないのだ。
その悲しみは私を絶望のどん底に突き落とす。

さっきまで怒りで目の前が真っ赤に染まるようだったのに、今は本当に月明かりなどあるのかと思うほど、目の前が真っ暗に感じる。
泣きすぎたせいで、目が熱い。こんなに泣いたのは、いったいいつぶりだろう。
ひくひくと喉を引き攣らせると、ジークフリードはようやく私の口元から手を離した。

「う、っく……!」

帰れない。自分が求めていた答えは、そんなものじゃなかった。
帰れると言って欲しかった。聞かなければよかった。
ジークフリードが日本語なんて話せなければ、そうしたら私はまだ帰れると信じて、希望を持っていられたのに。

決してジークフリードのせいではないと、むしろやっぱり日本語の話せる人がいてくれて良かったとも思うのに、そんな考えが脳裏を過ぎる。
完全なる八つ当たりだと思ったが、でも、でも、苦しい。胸がぎゅうぎゅうと痛んで、つらい。
ジークフリードにこの辛さをぶつけられるほど、私は彼と親しくない。
シュヴェルツだったら、絶対に八つ当たりしたし―――いや、これは八つ当たりではなくて、正当な復讐行為に決まっている!―――、多分ここで「おい泣くな」とぎゅっとしてくるだろうから、「シュヴェルツが呼んだんでしょこのばかばかばか!」と噛み付いて、ぼかぼか叩いて、それからたくさん泣いただろうけれど、ジークフリードが相手ではそんなこともできない。

『なんで、こんなことしたの。なんで、私が―――!』

涙のせいで震えた声で、唸るように言葉を紡ぐ。
答えが欲しかったわけではない。ジークフリードに聞こえなかったのなら、それでもいいと思っていた。
けれどジークフリードはきちんとそれを聞き取れたらしく、すっと表情を消してから、答えた。
今度は、異世界の言葉で。

「お前をこの世界へ呼んだのは、シュヴェルツ・フォン・エルヴェールだろう。そしてその国から、ここへ呼んだのは私だ。私のイーアとして」

ゆっくりとした言葉は意味をきちんと理解できた。
私が猫だったら、怒りでぶわりと毛が逆立ったに違いない。

『勝手なことしないでよ!』
「これは決められたことだ。我が国でも、エルヴェールの国でも、異世界からイーアを呼び出すことがある。国の更なる繁栄のため、これは決められていることだ」
『に、ほんごで、話してよ!何て言ったのか、分からない!』
「お前がこの言葉を懐かしむなら、ニホンゴで話してやってもいい」

ゆっくりと言い聞かせるような言葉は、私にも理解できた。けれど。

「ただし、それはお前がここに残るのならば、のことだ。私は特別お前を好いているわけではないが、もうこれ以上新しいイーアを呼び出すのは面倒でならん。そもそも異世界のイーアなど、本来何の役にも立たない者だ。祖母もそうだった。何の力もない祖母は、当然この国に何も残せなかった。そういう異世界の娘は何人もいる。誰もが『異世界からのイーアは国に繁栄をもたらす』と信じているが 、そうではない。そういう娘も過去に居たには居たが、全てではない、一握りの人間だけだ。だというのに、人は素晴らしい奇跡だけを伝えていく。祖母も、期待されるだけ期待されて、何の力も持たないと分かってからは、誰にも相手にされなかった。ただ子を産まされた、それだけだ」

すらすらと紡がれる異世界の言葉に、私は勿論ついていけなかった。
けれどジークフリードは珍しく苛立ちも露に、言葉を続ける。
そういえばジークフリードがこんなに長々と話すのを聞いたのも、初めてのことだった。

「素晴らしい人だった。何の力も無いと周りから馬鹿にされたが、私にとっては唯一の人だった。死の間際まで、他人のことばかり心配する、優しい祖母だった」

聞き取れる単語だけで、何とか脳内で文章を組み立てる。
僅かに震えたジークフリードの言葉は、今は亡きおばあちゃんへの思いで溢れていた。
彼がプライベートなことを語るのは初めてのことだ。しかも、こんな風に、感情を交えて。

「この国に居ろ。お前は何の力も持たない平凡な娘だ。それは別段悪いことではないが、あちらの国に戻っても、何も遺せない期待外れのイーアだと罵られるのが落ちだ。だからここに居ろ。美男と噂のシュヴェルツ・フォン・エルヴェールがお前に与えるのは、今は美しいドレスや目のくらむような宝石や蕩けるような甘い言葉かもしれないが、お前に利用価値が無いと分かればそれらの全ては取り上げられる。そうなれば、お前を待つのは、言葉の通じない者達に囲まれ、厭われ、蔑ろにされる、ただそれだけの日々だ―――そんな生活を送りたいのか!」

最後はもうほとんど叫ぶような声だった。
一つ一つの言葉は難しくて、よく分からなかった単語がいっぱいある。
けれど、ここに居なさい、と繰り返された言葉は理解できた。
多分、多分だけれど、私と同じように此処に呼ばれた日本人のおばあちゃんが、割と辛い目にあったのだろう。
そしてジークフリードはおそらく、かなりのおばあちゃん子だったのだ。
祖母と同郷の私に、多分同情してくれているのだろう。

ぎゅと肩を掴まれ、痛みに思わず眉を顰めると、ジークフリードははっとしてから手を離した。
後悔するように俯いてから、もう一度こちらを見つめる。
その瞳は昏く輝き、今までのどんな時よりも、人間らしい、感情に溢れた表情をしていた。

「此処に居ろ。私はお前に何の期待もしていない。他の誰にも文句を言わせぬほど、私が国を良くすればいい。そのときは精々、お前がよく支えてくれたからだとでも言ってやる。だから、此処に居ろ。何もしなくていい、好きにすればいい。外に出たければ出ればいいし、国庫を空にしない程度なら好きに遊べ。祖母のようにひどい思いをして子も産まなくていい。その代わりに他の女に子を産ませることになるが、恋だの愛だのという感情ではない。望むのならば、愛の言葉くらい囁いてやる」

―――違う。

違う。これは私のための言葉ではない。
早口言葉のように、まるで自分に言い聞かせるように、どんどん言葉が紡がれていく。
しかしこれは私に向けたものではないのだ、とすぐに分かった。
ジークフリードは、私の後ろにおそらく祖母を見ている。
ジークフリードがどうしてそんなにおばあちゃん子なのか、私にはよく分からないし、ジークフリードも教えてくれはしないだろう。
けれど彼は、異世界人で辛い思いをしたおばあちゃんにしてあげられなかったことを、私にしてやろうと言っているのだ。
もし私が一番最初に出会ったのがジークフリードなら、彼の提案に頷いたかもしれない。
ジークフリードは多分、私を守ってくれる。おばあちゃんが感じた辛さを感じないように、全てから守ってくれることだろう。
でも、と思う。

「いりません」

私が紡いだのも、日本語ではなくて、異世界の言葉だった。
ジークフリードが苛立たしげに舌を打ち、更に言葉を重ねようとする。
けれど私はきっぱりと「まつ!」と異世界語を放った。
ジークフリードに言いたいのは、そしてこの国で私を迎えてくれた人に言いたいのは。

「わたしは、わたし。おばあちゃん、ない。えりーさま、ない」

ジークフリードのおばあちゃんでも、エリー様という名の女性でも、ないのだ。
きっぱりと言い放った言葉に、目の前のジークフリードは一瞬目を見開いて、それからすぐにじろりとこちらを睨みつけた。
今夜のジークフリードは表情豊かで、言葉も多い。
普段はぎゅっと蓋をして留めているだけで、本当はこういう人なのかもしれない。
悪い人じゃない。むしろ多分、すごくいい人なのだ。

でも、どれだけいい人だって、嫌だ。

この人は私を見ないし、メイドさんもアーサーも私じゃない“エリー様”を呼んでいる。
この国の誰も、笹岡律を見てくれないし、呼んでくれない。―――そんなのは、絶対に嫌だ。
シュヴェルツは叱るし怒鳴るし呆れるし、頬を摘むし、無理やりちゅーしたり他にも色々とするけれど、私以外の誰かを重ねて見たりしない。
どんなときもリツと私の名を呼んで、私を見てくれる。メイドさん達だって、そうだ。
それだけで判断しようとするなんて、子供っぽいのかもしれない。馬鹿かもしれない。

けれど、私は私だ。

ジークフリードのおばあちゃんでも、エリー様でもない。
自分が自分でない者として扱われるのは、私にとっては物凄く辛い。
だから。

「わたし、しゅべるつ、いく」

シュヴェルツのところに帰る。
ジークフリードにだけ伝わる日本語ではなく、この世界の言葉でそう言ったのは、私なりの決意のつもりだった。何に対する決意なのかは、よく分からなかったけれど。

















      


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