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花鬘<ハナカズラ>







シュヴェルツの国、エルヴェール。
ジークフリードの国、ムーア。

良くも悪くも、二国はほぼ同等の力を持っていた。
たとえばシュヴェルツの国の方が大きかったなら、「うるせー!こっちのイーアだって言ってんだろ!」と無理にでも私を連れて帰れたのだろうし、たとえばジークフリードの国の方が大きかったならば、「ふざけんな、正真正銘こっちが召喚したイーアだ!失せろ!」とシャーロットを追い返すことができたのだろう。

しかし、両者の国力は同程度であり、お互いに「ではどうぞ」とは引けない問題でもある。
ということで、シャーロットとアーサーの夜の会合から数日たっても、私の前にシャーロットは現れなかった。
まさか置いて帰ったのではないだろうな、と悶々としていると、日中だというのに珍しくジークフリードがやって来た。
あの日以来、外出禁止令が再度発令されたようで、部屋の外に一切出られなかった身としては、文句の一つでもつけてやりたいところである。
いやしかし、シャーロットと会わせろ、シャーロットと一緒に帰らせろ、とおねだりすることの方が先決だろうか。私は思わず悩んでしまった。

うーんと眉を寄せた私の正面で、ジークフリードは一層眉間の皺を深める。
うららかな日差しが心地よい昼間だというのに相変わらずの仏頂面のジークフリードに、メイドさん達が慌てて頭を下げた。
ジークフリードの後ろにはいつもの騎士さんと、アーサーが控えている。
アーサーも厳しい表情をしていて、私は首を傾げた。

「じーくふりーど、なに?」
どうしたの、と尋ねると、ジークフリードは戸惑う素振りも悩む素振りも見せずに「お前はエルヴェールの王子の妻か?」と尋ねてきた。

「えるべる……」
何それ。

きょとんとする私の正面で、ジークフリードは冷やかにも感じられる視線を私に向ける。
けれどジークフリードの瞳は、怒りも悲しみも湛えてはいない。
ただただ、じっと私の瞳を見つめる。真偽を見極めるように、鋭い視線だった。

「シュヴェルツ・フォン・エルヴェールの妻かと聞いている」
あ、“えるべる”ってシュヴェルツの苗字なのかな。
そう理解して、私は「はい」と頷いた。

その通り。周囲の皆様いわく、シュヴェルツのお姉ちゃんである。
頷いた私に、ジークフリードは「そうか」と了承の言葉を返す。
では、とジークフリードは私から視線を外し、今度はアーサーを見やって口を開いた。


「では、この娘はエルヴェールへ送ってやれ。どちらにしろ、数日後にはリドウが出立するはずだっただろう。この娘も共に連れて行くように命じろ。警護を増やしておけ」

ジークフリードの言葉に、部屋にいた全員が目を剥いた。
そんな!と後ろのメイドさんから思わず声が上がり、アーサーも「陛下!」と焦ったように叫ぶ。
私一人が、ジークフリードの言葉の意味を理解できていない。
きょとんとする私を放って、ジークフリードは身を翻した。
陛下、とアーサーが追いかけるように声を上げる。
ジークフリードは面倒くさそうにその声を払い、言葉を落とした。

「その娘を愛しく思っているわけではない。前のイーアよりはまだ良いかとも思ったが、本人が言うのなら、そうしてやればいいだろう。―――私は、私の邪魔をしない女なら、どんな女でも構わない」

全てを跳ね除けるようなジークフリードの言葉に、アーサーは「ですが」と言い募ろうとする。
しかしその言葉はジークフリードに受け止められることはなく、彼はそのままどこかへ去っていってしまった。
おそらく仕事場に戻るのだろう。
騎士さんはさっとジークフリードの後を追って行ったが、アーサーはそれより一足分遅れ、ちらりとこちらに視線を向けた。


目は口ほどに物を言う。

その言葉通り、言葉はわからなくても、アーサーが私に対して落胆したのだということは分かった。
残念そうな、少し苛立ちをも含んだような、その視線。
どうしてそんな視線を向けられたのか、その理由はまったく分からない。
いつもの優しい眼差しからは想像できないその冷たさに、私は思わず「あーさー」と彼の名前を呼んだ。
その言葉を合図にするように、アーサーは今度はにっこりと笑顔になる。
目を細め、口角を上げる。ただそれだけの、楽しくも嬉しくも幸せでもなさそうな、形だけの笑顔だ。

「失礼致しました」

その一言だけを告げ、アーサーもジークフリードの後を追った。






そしてその日の夜、夕食を摂り終えた私は「もうお好きになさいませ」と疲れた様子のメイドさんたちを置いて、一人、庭へと降り立った。
ジークフリードの来訪以降、ちらちらと聞こえるメイドさんたちの話によると、どうやらジークフリードは私にシュヴェルツのところへ帰る許可をくれたらしい。いい奴だ。

ジークフリードから帰還許可が出て以降、メイドさんたちの私への対応は少し……いや、大分おざなりになった。
勿論、今までが構われすぎだったので、このくらい放っておかれるのは丁度いいくらいなのだが、手の平を返すような対応の変化に私は少しばかり困惑してしまった。
ちょっとも傷ついてないといえば嘘になる。

いや、だって、今まであれやこれやとちやほやしてくれていたのに。
それなのに、さっきなんて「お腹いっぱい……」なんて思いつつぼんやり窓から外を眺めていただけで「エリー様、お外に出られたいのでしたら、出られてはいかがです?」とドアを開けてくれたのだ。
そこまではいい。とてもありがたい、が。

『散歩の許可までもが?やったー!』と喜んだ私は、たった一人で部屋の外に出されてしまった。
いつものようにメイドさんたちと騎士さんが付いてくるのだろうと思っていた私だったが、誰一人付いてくることはなかったのである。
勿論、一人が嫌だということではない。
一人の時間はこちらの世界に来てから物凄く少なくなり、夜に眠るとき以外に一人になれたことなんて一度もなかったのだから、全く嬉しくないわけではない……のだけど。

『嫌われたのかなぁ』

日本語で呟いて、ちょっと肩を落とす。
アーサーの態度といいメイドさんたちの態度といい、よく分からないが、そういうことなのだろうか。
嫌われたというか関心をなくされたというか……シュヴェルツのところに帰ることは、そんなにいけないことだったのだろうか。

落ち込みながら、とぼとぼと庭を歩く。
初めて踏み入った庭園の奥は、やはりどこまでも美しく整えられていた。
シュヴェルツのところの庭でも咲いていた花と同じものがいくつもある。
私は一人の寂しさを紛らわすため、覚えている花の名前を呪文のように繰り返した。


月は眩く輝き、庭の小道を照らしている。
静かな夜の中、私は一人、いろんなことを考えながら歩いていた。
元の世界や家族のこと、もうすでに懐かしささえ感じるアリーやリアンのこと、オリヴィア様とアズさんのこと、それからシュヴェルツのことを。
人気の無い庭を一人で歩いていると、なんだか全てが夢のような気がしてくる。

もしかしたら私は交通事故か何かで死んだのかもしれない。
元の世界の最後の記憶―――目の中に雨粒が入ったと思ったあの瞬間、自分はトラックにでも撥ねられたんじゃないか。
そんなことをぼんやり考えたところで、こじんまりとした東屋が視界に入った。
たいして疲労は感じていなかったが、ちょっと休憩でもしようかとそこに入り、ベンチに腰掛ける。
お城のお庭にあるものだからか、野外だというのに飴色のベンチはぴかぴかに磨かれ、クッションまで置かれていた。

雨が降ったらどうするんだろう、なんて心配をしながら、深く腰掛け直す。
クッションからは薄らとハーブのような匂いがした。
庭に出てきてからもう20分か30分は経過しているはずだ。
もうそろそろ部屋へ戻った方がいいかと思ったものの、メイドさんたちの失望にも似た視線を思い出し、何となく戻り辛く感じてしまう。
ベンチに座ったまま、ぼんやりしていると、薄らと眠気が漂ってきた。

あ、これはいかん。早く部屋に戻らなくてはここで寝てしまう。この年齢になって野外で居眠りはまずい。戻らなくては。
そう思うものの、戻ったときの気まずさを考えると、いまいち動き出す気持ちになれない。

もうちょっとだけ。
もうちょっとしたら、部屋に戻ろう。
そんなことを考えながら空を見上げ、まるく光る月を見つめた。






「……ア。イーア、起きろ」

私を眠りの中から引っ張り上げたのは、珍しく少しゆったりとした服を着たジークフリードだった。
ジークフリードの寝巻き姿はこういう感じなのか。
うとうとしながらジークフリードを見つめると、彼は平常時よりも眉間の皺を増やした表情で「何故ここにいる。しかも一人で」と問うてきた。
寝起きのぼんやりした頭でも異世界語を理解できるようになったことに我ながら感心しつつ、のそのそと体を起こす。
どうやらいつの間にか眠ってしまっていたようで、記憶の限りではきちんと腰かけていたはずなのに、クッションを枕に横になってしまっていた。

「さんぽ」
ふわ、とあくびをして答えると、「メイドは」と間髪入れずに質問が繰り出される。
「いいえ。わたし、さんぽ、ひとつ」
一人だけ。指を一本たてて言葉を紡ぎ、目を擦る。
ジークフリードは「何故、」と何かを言おうとして、けれど最後には深く息を落とし た。

うう、硬いベンチで寝たのが悪かったのか体がぎしぎしする。
うーんと伸びをしていると、ジークフリードは「部屋に戻れ」と告げた。
分かってる、と頷き、とろとろした動作でスカートの皺を直す。
アリーやリアンなら乱れた髪まで整えてくれるだろうし、シュヴェルツなら「まったくお前はこのようなところで寝るな!」とか何とか叱りつけてくるだろう。
懐かしい顔を思い出し、ちょっぴり寂しい気持ちになった。早く会いたい。

そのためにも早く部屋に戻らねば、と思うものの、やはり何となく気が重い。
のろのろした動きでスカートの裾を整えていると、それを眺めていたジークフリードは静かな声で言葉を紡いだ。

「……エルヴェールはそれほど良い国か」
「えるべる……しゅべるつ?よい?」

シュヴェルツがいい奴かどうかを聞かれたのだろうか。
いい奴……?
少し悩んでから、こくりと頷く。

「しゅべるつ、ぱん、おはな、さんぽ、ありがとうございます」
いじわるを言われることもあるが、たまには優しいぞ。お菓子をくれたり花をくれたり、たまに散歩にも付き合ってくれる。
ただしちょっとシスコンでセクハラ気味でもあるが、と内心で付け加えた。
ジークフリードは私の答えに少し悩む素振りを見せてから、そうか、と頷く。

「王子を好いているのか」
「すき?はい」

いい奴だし、好きか嫌いかと聞かれれば、好きに分類されるだろう。
はっきりと頷いた私に、ジークフリードは再び「そうか」と頷いた。

「……」
「……」

沈黙、再び。
何となく気まずくなって、視線をうろうろさせながら、私は『ええと』と口を開いた。

「じーくふりーど、へや。わたし、げんき」
ジークフリードもこんなところに居ないでさっさと部屋に戻ったらどうだ。私のことなら心配いらぬ。もう少ししたらちゃんと部屋に戻るから。
そう言ったつもりだったのだが、ジークフリードにはうまく伝わらなかったらしい。
彼は、はあと疲れた息を吐き出して、先ほどまで私が眠っていたベンチにどさりと腰掛ける。
そして。

「座れ」
「す、すわる」

命令形で告げられた言葉に、私は大人しく従うことにした。
座れ、というのは、部屋に戻れ、という命令よりもずっと簡単だ。
「つべこべ言わずに部屋に戻れ」と叱られなかったことに、ちょっぴりほっとしながらベンチに腰を下ろした。

「……」
「……」

座れと言われ座ったものの、二人の間に会話が生まれることはない。
気まずさをごまかすため、私はクッションを一つ手に取った。


風の無い静かな夜。
その中を、ただ無言のときだけが過ぎていく。
クッションを膝に抱え、ちらりと隣に座るジークフリードを見やった。

ひと一人分のスペースを開けて座ったベンチ。
そういえば前にシュヴェルツともこうやってベンチに座って庭を眺めたことがあったな、なんて思い出す。
シュヴェルツは突然ぎゅーしてきたりちゅーしてきたり、激しいシスコンっぷりだったが、ジークフリードはそうでもない。
私もそうだが、彼も私に特別な親しみを抱いていないのである。

ジークフリードにとったら、多分私はその辺の木とか草とかと同じくらい興味が無い存在に違いない。
悪意をもたれているわけでもないだろうが、それは「一応自分の“姉”らしいので、少しくらいの気遣いはしてもいいか」レベルのものだろう。
それはまったく不満に思うことではないし、むしろその興味の無さは少しありがたくもある。
みんな、好き勝手にちやほやしたり、失望したりする中で、私に何も期待していないジークフリードの存在は珍しく、心地よいものだった。
そんな彼と隣に並んで静かなときを過ごすのは、苦痛ではない。
私はぼんやりしながら、庭を眺め続けた。

それからもしかしたら10分程経過した頃、私はぽつりと言葉を落とした。
『帰りたいなぁ』
聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、日本語で。
ジークフリードに聞かせるためではない、ただ零れてしまっただけの言葉に、彼は僅かに眉を動かす。

「……祖母もよくそう言っていた」
おばあちゃん、言う。
二つの単語は聞き取れたが、文章の意味が分からず、なに?と首を傾げる。
ジークフリードは何かを思い出すように目を閉じて、一拍分の空白の後、ゆっくりと瞼を開いた。

その黒い瞳に自分が映っている。
何度も思ったことだが、私とジークフリードでは姉弟といっても目と髪の色くらいしか似ているところがないな、なんて考えた。

僅かに風が吹く。
少し冷たい、甘い花の匂いがする風。
それに煽られて、ジークフリードの黒い髪もふわりと揺れた。


『故郷へ、帰りたい―――私の……祖母と、同じ、言葉だ』

流暢とは言いがたい言葉。
一言一言のイントネーションは異なるが、それはたしかに。

『にほんご』

私が生まれ育った世界の、今は遠い世界の、懐かしい響きをした言葉だった。














      


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