花鬘<ハナカズラ> 「しゃーろっと、しゃーろっと、しゃーろっとー!」 異性にこんなに熱く抱擁したのは初めてのことだ。 未婚の女性がこれはよくないと思いはしたが、久しぶりに出会った懐かしい人物に飛びつくなというほうが難しかい。 私はぎゅうぎゅうとシャーロットを抱き締め、ぶわわっと溢れ出す涙をその服で拭ってしまった。ごめん。 抱き付かれ、正気を取り戻したらしいシャーロットは、珍しく素っ頓狂な声で「姫!?」と声を上げる。 「しゃあろっとぉー!」 会いたかった、会いたかった、会いたかったよううう! アリーやリアンならなお良かったが、そんなワガママは言うまい。シャーロットでもすごくすごく嬉しい。 やっと帰れる―――そう思った私の脳裏に浮かんだのはシュヴェルツの顔だ。 シュヴェルツのところに“帰る”と考えてしまった自分が何だか不思議だった。 私が帰る場所は家族のもとのはずなのに、シュヴェルツのところも帰る場所になっているのだろうか。 自分のことながら、よく分からない。 シャーロットは私を引き剥がし、泣き顔を存分に眺めてから「……本物のようですね」と呟いた。 何と言われたのか分からないが、くっ付きすぎだと叱られたのだろうか。それはすまなかった。 なかなか引っ込んでくれない涙をぐいぐいと袖で拭い、シャーロットを見上げる。 久しぶりの眩い美貌に、また泣きたくなった。 「しゃーろっと、わらう……!」 シャーロット、また会えて嬉しい、と言ったつもりなのだが、うまく伝わらなかったらしい。 シャーロットは女子力溢れるレースのハンカチを取り出し、私の涙を押さえながら、戸惑ったように口を開いた。 「何故姫がここに?」 「おりびあさま、あず、よる、さんぽ、みず。わたし、ここ、なに」 オリヴィア様とアズさんと夜のお散歩をしてて、泉のところですったもんだがあって、そしたらここにいた。どうしてかはよく分からない。 そう告げると、シャーロットは難しい顔をして黙り込んでしまった。 美人は眉間に皺を寄せても美しく、いつもならその美しさに見蕩れるところだが、今の私は違った。 シャーロットの服の裾を掴み、大きく口を開く。 「わたし、しゅべるつ、さんぽ!」 帰りたいと声を上げると、シャーロットは「ええ、それは勿論―――ですが」と難しい顔をしたまま頷く。 その視線が私の後ろに控えていた騎士さんとメイドさんに向けられているのに気付き、私は首を傾げた。 「姫、こちらではどういう―――?」 シャーロットは私に耳打ちしてきたが、何を問われたのかよく分からない。 きょとんとしていると、騎士さんの一人が険しい表情で口を開いた。 「エリー様、お気が済みましたら部屋へお戻り下さい。陛下に叱られます」 部屋に戻れ。さもなくば怒れる魔王がやって来るぞ、という意味だ。 今までの私なら「散歩禁止令を出されては敵わぬ!」と慌てて部屋へ戻っただろうが、今は違う。 だって、シャーロットがいるのだ! もうジークフリードに散歩禁止令を出されようが出されまいが関係あるまい。 私はシャーロットと一緒にいるぞ、シャーロットと一緒にシュヴェルツのお城へ帰るのだから!とシャーロットにしがみつく。 今度はメイドさんが青い顔をして口を開いた。 「エリー様、いけません。こちらへ!」 やだやだと首を横に振り、シャーロットを見上げる。 ちゃんと私も一緒に連れて帰ってね、置いてかないでね。 そう思った私の視線の先で、シャーロットは「エリー様?」と聞きなれない単語を耳にしたときのように首を傾 げた。 零れる金色の髪の房が、私の顔にあたってくすぐったい。 さっき私にシャーロットのことを教えてくれた若いメイドさんが、ぽっと頬を染めながら頷く。 「は、はい。エリー様は陛下のイーアでございます」 そうなのだ、何かよく分からないけど、そうらしい。 うむと頷き、困った顔でシャーロットを見つめると、彼は今度は絶句した。 「……イーア?」 何がどうしてこうなった、と言わんばかりの表情に、私も首を振って『知らない』と日本語で呟く。 シャーロットは今度は苦い溜息を吐き出し、服の裾を掴んでいた私の手を剥がした。 そしてその代わりにそっと跪き、恭しくその手を取る。 「この御方は、我が国の王子、シュヴェルツ様の妃でいらっしゃるリツ様だ。先日、突如泉の中に消えてしまい、家臣一同ご心配申しておりましたが、こちらで“保護”していただいていましたか―――心配いたしましたよ、リツ様」 役者めいたすらすらとした台詞はほとんど意味が分からなかったが、心配した、というようなことを言われたことだけは分かった。 その優しい言葉に再びじわりと涙が滲みそうになり、私は慌てて目を強く瞑った。 重ねられるだけだった手をぎゅうと握り、「もうしわけありませんでした」と心配かけてごめんね、と言葉を口にする。 シャーロットは美しく微笑んで、何かを口にしようとした、が。 「何をおっしゃいますか!」 一番年かさのメイドさんが悲鳴と怒声の混じった声を上げた。 「な、何を―――その方はジークフリード様の!陛下の奥方様でございます!」 何の感情によるものなのか、ふるふると打ち震える彼女に、どきっとした。 何に対して怒られたのか分からず、戸惑う私に、彼女は更に言葉を重ねる。 「エリー様、お部屋へ戻りましょう!」 さあこちらへ、と廊下へと繋ぐドアを開けられる。 私は不安な気持ちのまま、シャーロットを見上げた。 どうしよう。メイドさんが何か怒ってるみたいだ。 部屋に戻ろうと言われたが、戻ってもいいのだろうか。 すぐにシャーロットが迎えに来てくれるなら一旦部屋に戻るのは構わないが、そうではないのだったら絶対に部屋に戻りたくない。 軟禁の日々、再び。 そんなテロップが脳内に流れ、私は思わず身震いした。 私がシャーロットから離れないのを見て、騎士さんがメイドさん達の前に出て腰の剣に手を置く。 シャーロットはそれにちらりと視線を向けて、自分の後ろに控える騎士さんも腰の剣に手を置こうとしたのを止めた。 「止めろ」 シャーロットの後ろにいた騎士さんたちは彼の命令に忠実らしく、すぐに手を元の位置に戻す。 シャーロットはそれを視界の端で確認してから、私に向かって微笑んだ。 「大丈夫ですよ、リツ様。またすぐにお会いできます。それまでしばらくの間、我慢できますね?」 何やら睦言にも似た響きの甘い声に、私はこっくりと頷いた。 再び、会う、〜できる。 その単語が聞けたのだから、心配することはない。 私はほっと胸を撫で下ろし、絶対迎えにきてね、と添えられた手をぎゅうと握った。 シャーロットは私の必死の形相にちいさく苦笑する。 「ご心配なさらず。必ずや王子のもとに帰らせてさしあげますよ」 「おじい……?なに?しゅべるつ?」 「ええ、シュヴェルツ様のもとへ、必ず。さあ、そろそろ行かなければ。彼女達が心配していますよ」 ちらりとメイドさんたちを見やると、はらはらとこちらを見つめる視線と、怒り心頭!といった様子の視線にぶつかった。 シャーロットと離れるのはすごく不安だったが、彼もとりあえず一旦部屋に戻れと言っているようなので仕方ない。 ちょっぴり項垂れながらメイドさんたちの方に戻る。 すると彼女たちはさっと私を取り囲み、シャーロットの視線から隠すようにして、私に退出を促した。 背の高いメイドさんたちの間からでは、ちらりともシャーロットの顔が見えない。 絶対迎えにきてね!私はもう一度、今度は心の中だけで声を上げた。 そして思いのほか早く、私とシャーロットの再会の場は設けられることとなった。 夕食を終え、いつもならジークフリードが謎のお酒タイムをしにくる時間に、私は今まで行ったことのない部屋へと連れてこられたのである。 応接室みたいな、人が生活する部屋というよりはお客様をお迎えするときに使う部屋のようだ。 臙脂色の絨毯が敷かれた部屋の中央には、足の低い飴色のテーブルがあり、それを挟んで左右に2脚ずつ、手前と奥には一脚ずつ、座り心地のよさそうな一人掛けのソファが置かれている。 手前のソファに座るのはアーサー。右側のソファに座るのはシャーロット。 それから、部屋の隅っこには、常にジークフリードに付き従っている騎士さんが一人だけ控えていた。 私が部屋に入ってまず目に入ったのは、勿論シャーロットだ。 昼間見たのとは違う、少しきらびやかな服装である。 普通の男の人なら間違いなく着こなせないような舞台俳優のような衣装は、けれどシャーロットにはよく似合っている。 「しゃーろっと!」 ああ、今日の日中に会ったばかりだというのに、なんて嬉しい再会なのだろう! さすがに今回は抱きつくまではしなかったが、私は満面の笑みでシャーロットに早足で歩み寄った。 しかし。 「奥方様、どうぞそちらにおかけください」 シャーロットの正面の席を指し、そう言ったのはアーサーだ。 アーサーとジークフリードが一緒にいないなんて珍しい。 私はちょっぴり驚きながら、指示されたソファに座った。 正面にシャーロット、右横にはアーサー。 二人は私が来る前からお話していたのか、彼らの前に置かれた綺麗なグラスにはたくさんの水滴が付いていて、それがテーブルを濡らしている。 きょろきょろと両者を交互に見つめていると、アーサーは小さく咳払いをしてから、奥方様、と口を開いた。 「奥方様、こちらの方とお知り合いでしょうか?」 「お……あい?」 何だって?と首を傾げると、アーサーは困った顔をした。 そうしてから、自分を指差して「アーサー」、私を見て「……エリー様」、最後にシャーロットを指差した。 ほう、名前を確認されているのだろうか。ちなみに私はエリーじゃなくてリツというのだけれど。 心の中でそう告げてから、私はこっくりと頷いた。 「しゃーろっと。しゃーろっと、せるろー」 「セルロワ、です。姫」 「せ、せるろわー」 しまった、どうやら苗字を少し間違えたらしい。 ごめんごめんと頭を下げると、シャーロットはにこやかに「構いませんよ。姫には少し言い難いでしょうから」と軽く首を振った。 それにしても、シャーロットの名前がどうかしたのだろうか。 私を介さずとも、本人がここにいるのだし、本人に聞けば手っ取り早いと思うのだが。 不思議に思った私の視線の先で、アーサーは難しい表情をしてシャーロットを見つめている。 アーサーがこんな表情をするなんて珍しい。 いつもはジークフリードの不機嫌オーラの分だけにこやかだが、今はジークフリードがいないせいなのか、アーサー自身が眉間に皺を寄せている。 どうしたのだろうと首を傾げていると、アーサーはゆっくりと口を開いた。 「奥方様は、シュヴェルツ様の……その、イーアでいらっしゃると?」 ちらりと視線を向けられ、私はこっくりと頷く。 「わたし、しゅべるつ、いーあ」 苦い表情をするアーサーに、シャーロットが言葉を重ねた。 「ええ。私は何度もお会いしたことがありますし、実際にお言葉を交わしたこともある。間違いなく、この方が我が王子、シュヴェルツ様のイーア、リツ様です。ああ、本当に感謝しております。姫が泉に落ちたと聞いたときには、身も凍る思いでした。小さな泉だというのにどれだけ探しても見つからず、家臣一同絶望しかかっていたところでしたが……それがまさかこのような異国でお会いできることがあろうとは。ご存知の通り、我が国では古くから王家では異世界から妻となる存在を呼ぶことがあります。そしてリツ様もまた、そうして王子のために呼ばれた乙女で―――」 シャーロットの役者並の長台詞をぶった切ったのは、アーサーの「存じております」という声だった。 ちなみにだが、すらすらとした言葉は、私には全くといっていいほど聞き取れていない。 ただ、シュヴェルツと私の名前くらいは聞き取れたような気がしている。 「存じております。我が国でも、そちらほどではありませんが、ごく稀に異世界から娘を招くことがあります故」 アーサーの言葉に、シャーロットは艶やかに笑みの形を作っていた唇をぴくりと僅かに動かした。 きつく組まれていたアーサーの指が、そっと組みなおされる。 「貴方は彼女をシュヴェルツ王子のイーアだという。そして彼女もそうだという。しかし、こちらにいらっしゃる御方は、我々が正式な術式をもってこちらにお呼びした、ジークフリード陛下のイーアでもある」 そこで言葉を切ったアーサーは、私をじっと見つめた。 な、何だ? 「奥方様、あなたはジークフリード陛下の、イーアでもいらっしゃる。そうでしょう?」 「わたし、じーくふりーど?いーあ?……はい!」 えーっと、ジークフリードとも姉弟だ。 うんうんと、私は大きく頷いた。 その反応にシャーロットは嘆息し、アーサーは少し安心したように息を吐く。 二人の不思議な反応に首を傾げつつ、私はちゃんと理解しているぞ!と自慢げに胸を張って付け加えた。 「わたし、しゅべるつ、いーあ。わたし、じーくふりーど、いーあ。わたし、りどう、いーあ」 シュヴェルツも弟だし、ジークフリードも弟だし、リドウはジークフリ ードの弟だというから、やはり私の弟といえるだろう。 胸を張って告げた言葉に、二人はぽかんとした後、「り、リドウ様は違うのでは?姫」「左様でございます。そのようなことは二度とおっしゃいませんよう」と慌て出した。 えっ、シュヴェルツとジークフリードは弟だけど、リドウは違うのか?なんで? 私とは全く血が繋がっていないのだろうか。 よく分からないが、二人が違うというのだから違うのだろう。 勝手に弟と判断してしまい、申し訳ない。 自慢げに胸を張ってしまったことを恥ずかしく思いつつ、ごめんなさい、と小さくなった。 いやいや、小さくなっている場合ではない。 アーサーにシュヴェルツのところに帰る旨を伝えなくては! 「あーさー、わたし、さんぽ、しゅべるつ」 私の言葉に微笑んだのはシャーロットで、困った顔をしたのはアーサーだ。 どうしてアーサーが困った顔をするのかよく分からない。 今までたいへんお世話になりました、と深々と頭を下げると、アーサーは更に困った顔になった。 「奥方様、私にそのようなことはなさらないでください。それに、いくら奥方様の望みとあっても、さすがにそれは……」 言葉をにごすアーサーに、私は『またジークフリードの許可がいるだとか言われるのだろうか』と考えた。 「じーくふりーど、きょか?」 「いえ、そのような気軽なものではなく……」 「きあ、る?」 何ではないと言われたのか分からず首を傾げる。 アーサーはしばらく無言を貫いて、最後に一つ、苦い息を吐き出した。 「この件は私では手に余るようです。今日はもう遅い。奥方様はそろそろお眠りになるお時間でしょう。また後日、日を改めて」 アーサーの言葉にシャーロットは苦笑して了承の言葉を返す。 シャーロット、アリーは元気?リアンは?シュヴェルツはちゃんとご飯を食べて眠っているか?タマとミケは?オリヴィア様とアズさんは? 色々訪ねたいことはあったが、二人の話が終わると、すぐにメイドさんがお迎えに来てしまった。 シャーロット、と情けない声でその名を呼ぶと、彼は「大丈夫ですよ」と艶やかに微笑んだ。 ちゃんと迎えに来てね、と小さく日本語で紡いだ言葉は、誰にも届かなかったようだった。 【 NEWVEL様の小説ランキングに参加しています 】 もしよろしければ、応援していただければ嬉しいです。(1ヶ月1度) |