花鬘<ハナカズラ>







ジークフリードの部屋で久方ぶりの緑茶をいただき、郷愁の思いに駆られた私だったが、結局、目的であった散歩の許可は下りなかった。
ジークフリードは頑として「いい」と言わなかったのである、あの唐変木!
しかし、その代わりに―――と言っていいのかは謎だが、おじさんの計らいで、昼食もしくは3時のおやつタイムにジークフリードの部屋に出張することとなったのである。
野外に出ることは一切許されていないままだが、それでも自室に閉じ込められているだけの生活よりはずっといい。
しばらくはこのままでいいとして、もう少ししたら、もう一度外で散歩をしたいと訴えてみようと私は心に決めていた。

どうやらジークフリードは朝から晩まで執務室にいるようで、私がこの往復生活を始めてから1週間、いつやって来ても彼は常に机に向かっている。
朝と夜はどうなのか知らないが、昼食については食事も飲み物もほとんど口に入れる様子が無く、私は異世界の弟・その2の体を少し心配していた。
シュヴェルツといいジークフリードといい、異世界の弟たちはハードワークすぎるのではないだろうか。
そんなことを考えながら、私は今日も今日とてお茶の時間にジークフリードの部屋へとやって来た。
メイドさんが2人、騎士さんが3人もぞろぞろと周囲を取り囲み、ジークフリードの部屋まで先導してくれる。
ドアのところで受け継ぎがあって、私は一人で部屋へと入った。

「こんにちは、あーさー」
アーサーというのは、例の白髪のおじさんのことである。
いつもジークフリードの傍に控えていて、私がやってくるとお茶の準備をしてくれる、やさしいおじさんだ。

「ええ、こんにちは。アーシェル(奥方様)」
アーサーが私を呼ぶときの呼称、アーシェルの意味は未だに分かっていないのだが、まあ多分“お嬢さん”的なニュアンスの言葉だろう。
私は勝手にそう判断しつつ、促されるままにソファに腰を下ろした。
自室とジークフリードの部屋の往復生活も1週間が経つと、ジークフリードは置いておくとして、アーサーとはとても仲良しになった。
ちなみに。ジークフリードは私が部屋に入ってから出るまで、私の方をちらりとも見ないし、一言も声をかけないので、仲良くなる切欠さえも掴めていない。

アーサーは今日も丁寧に緑茶を入れてくれて、私はにこにこしながらカップを持ち上げた。うーん、いい匂い。
どうやら緑茶は先代の王妃様が好み、作らせていたものらしく、この王宮の小さな畑みたいなところでこじんまりと育てられているそうだ。
お茶の木があるのかあ、見てみたいなあと世間話の一環としてアーサーと話していると、かたん、とペンが机に落ちる音が聞こえた。
音のした方向へと視線を向けると、書類を見つめるジークフリードの頭がゆらりと揺れる。
なんだ、眠いのか?と私は首を傾げた。

「陛下?」
アーサーが不思議そうにジークフリードを見つめる。
昼食後の授業といえば睡魔が襲ってくるものだ。その例に漏れず、ジークフリードもうとうとしてしまったのだろうか。
そんなことを考えた私の視線の先で、ジークフリードはゆらりと椅子から立ち上がったと思ったら、地を這うような声で「少し休む」と呟いた。
お、おお、ソファを譲るべきだろうか。

眠さが極限状態なのか、ジークフリードは妙にふらふらした足取りでソファへと向かってきた。
明らかに様子のおかしい弟を見つめつつ、ぴょんとソファから立ち上がる。
そうしてから、どうぞ、と場所を譲ろうとした。―――しかし。

「陛下!?」
ぐらりとジークフリードの体が傾いたかと思いきや、私目掛けて倒れてきたのである。
頭突きするような形で倒れこんできたせいで、私はおでこをぶつけ、後頭部をソファの角にぶつけ、ジークフリードの巨体に押しつぶされることとなった。
痛みと苦しさで思わず涙も滲む。

『い、いた……!ていうか、く、苦し……!』
こちらの世界の住人は総じて大きいということは以前も説明したと思うが、大きいということはつまり勿論、重いのである。
しかも、シュヴェルツは細身だが、ジークフリードはシュヴェルツより体格がいい。
冗談じゃなく圧死するかもしれないのだ。

慌てたアーサーがジークフリードを私の上から持ち上げようとしているが、ジークフリードは体に力が入らないのかぐったりとしていて、私はようやく彼が体調不良なのだと気付いた。
たしかに重なられた時、やたら体が熱かった。日頃の不摂生が祟ったに違いない。
アーサーは何とかジークフリードをソファに寝そべらて、苦しげに顔を顰める主人を見つめながら口を開いた。

「奥方様、申し訳ありませんが外の者に医師を呼ぶようにと―――」
早口でそう言われ、言葉を反芻しようとしたが、アーサーは私に言っても仕方ないと気付いたらしい。
自分でドアの外にいた誰かに医師を呼ぶように伝え、すぐにジークフリードの傍に跪いて「陛下」と彼を呼んだ。
その声に、ジークフリードは苦しげに眉を寄せながらも「少し休めば治る」などと言い始める。明らかにそんなはずがない顔色の悪さだ。

「医師を呼びましたので、今日はもう部屋へ戻ってお休みください」
「問題ない。医師もいらん」
「陛下」
咎めるようなアーサーの声に、ジークフリードは鬱陶しげに顔を逸らした。
気のせいでなければ、声にもいつものような威圧感というか覇気と言うか……魔王様っぷりが無い。
低い声はいつもより更に掠れており、私は『これは風邪か何かだな』なんて考えた。

「最近、食事も睡眠もほとんどおとりになっていない。忙しさは分かりますが、せめて今日だけでも―――」
「煩い。とにかく医師は不要だ。少し休めば治る」
「いけません。食事をお摂りになって、薬を飲んで、今日はもうお休み下さい」
「いらんと言ったらいらん」

二人の不毛な言い争いにピリオドを打とうとするように、慌てた様子のお医者さんが入ってきた。
お医者さんの到着に、アーサーはほっとし、ジークフリードは眉の間の皺の数を増やす。
お医者さんがジークフリードの容態を確認しようとしたところで、ジークフリードは伸ばされた手をぱしりと払い、少しふらつきながらも体を起こそうとした。

「もう治った」
「陛下!」
困ったような怒ったようなアーサーの声と、困惑するお医者さんを振り払うように、ジークフリードは口を開く。

「煩い。もう下がっていい」
前者はアーサーに、後者はお医者さんにである。
さらに言い募ろうとするアーサーを睨みつけ、ジークフリードは「命令だ」と告げる。
それと同時に、私は「じゃじゃうま!」と声を上げた。
わがままを言うな!と言いたかったのだが、そんな言葉はまだ脳内異世界辞書に登録されていないのである。
私の言葉に一様に「?」という表情になった3人だったが、私は気にすることなく声を上げた。

「じーくふりーど、ちいさい!くすり、にがい!しかしながら!……し、しかしながら……た、たべる!」
本当は『子供か!薬は苦くてまずいけどちゃんと飲め!この世界には注射がないだけありがたいと思え!』と言いたかったのだが、いかんせん語彙が少なすぎる。
びしりとお姉ちゃんらしく弟を指導したところで、アーサーからは感謝の視線を送られ、ジークフリードからはそれだけで人を殺せるレベルの凶悪な視線を送られた。

「黙れ」
おしゃべりはやめて、静かにしましょうね、の意味だ。
私ははっきりとNOを告げ、「くすり」とジークフリードを睨み返した。
睨み合いを開始した姉弟を前に、お医者さんはオロオロし、アーサーは私に応援の視線を向けてくる。
ばちばちと視線を交わらせ、たっぷり30秒は経過したかという頃に、ジークフリードは舌打ちをして視線を逸らした。

「薬を出せ」
「はっ、はいっ、あっ、いえ!まずは少し診させていただいて」
「いいから早く寄越せ」
何の病気か、もしくは疲労困憊によるものなのかも分からないくせに、ジークフリードは薬を要求し出す。
私はもう一度「じゃじゃうま!」と弟を叱りつけた。

「いいえ!おーしゃさま、よむ!」
まず診察してもらう、そして症状に見合ったお薬を貰う。それが正しい流れであると、胸を張って告げた。
アーサーもここぞとばかりに頷く。
お姉ちゃんの言うことはちゃんと聞きなさい!と内心で付け加えた私を、ジークフリードはそれだけで100人くらいは殺せそうな視線で睨みつけ、何やら毒づいてから「早くしろ」とお医者さんに告げた。

く、薬のことか?診察のことか?と困惑しているお医者さんに、アーサーは「診察を」と助言する。
ジークフリードは凶悪犯並みの表情を浮かべながらも、お医者さんの診察を黙って大人しく受け入れた。
病名なんて聞いても分からないが、アーサーが少しほっとしていた様子だったので、多分たいした病気ではなかったのだろう。
風邪とか疲労困憊とか、ご飯食べてお薬飲んで暖かくして寝れば治る、くらいの。


診察を終えたお医者さんは慌てて道具を仕舞い、「それではすぐに薬を調合して参りますので!」と足早に立ち去っていく。
一応診察の間は大人しくしていたジークフリードだったが、お医者さんが退出するや否やゆらりと立ち上がり、お仕事用のデスクに戻ろうとした。

「陛下、部屋で休まれた方が」
「薬を飲めば治る」
「ですが」
「しつこい」

診察を受け、服薬も了承したのだからもう休む必要もないとばかりだ。
私は病院嫌いの父を思い出しながら、ジークフリードの服の裾をがしっと掴んだ。
いつものジークフリードなら振り払うだろうが、そんな元気もないらしい。
「離せ」
地を這う魔王様ボイスだけで私を威嚇した。

「じーくふりーど、ぱん、たべる。くすり、のむ。ねる」
ご飯を食べて薬を飲んで寝ろ。 聞き分けの悪い弟に、私はなるべく優しくそう言った。
絶対にやだ!やだやだやだ!と駄々を捏ねられるかと思ったが、ジークフリードは自分の体調の悪さをやっと自覚したのか、私の予想に反して素直に―――しかし舌打ちをしてから―――アーサーに「部屋で休む」と言い放った。

「1時間経ったら戻る。薬は部屋に運ぶように伝えろ」
そう言って、ジークフリードは部屋から出て行く。
アーサーはジークフリードの言葉に驚きながらも、部屋のドアが閉まる直前に了承の言葉を返した。
そうしてドアが閉められると、アーサーはちょっと尊敬の眼差しで私を見下ろした。

「奥方様は、素晴らしいですねえ……」
「ありがとうございます」
どういう意味でのお褒めの言葉なのかよく分からない。
不思議に思いなが ら言葉を返し、ジークフリードに頭突きをされたおでこに手を置いた。
ちょっと痛むが腫れることもなく、勿論出血もない。
安心しながら今度はソファにぶつけた後頭部に手を置いて、私は『いてっ』と声を上げた。
おでこは大丈夫だったが、後頭部はしっかりとコブになっている。
くそう、この貸しは高いぞジークフリード……絶対に散歩の許可を貰ってやる……私は涙目になりながらそんなことを思った。


そうしてしばらくして、アーサーが冷めたお茶を淹れなおしてくれているところへ、先程のお医者さんがお薬を持ってやって来た。
部屋にジークフリードがいないことに気付き、困った顔をする。
「薬は陛下の部屋の方へ―――いえ、やはり私も行きましょう」
言いながら立ち上がると、アーサーは困ったように私に視線を向けた。

「申し訳ありません。奥方様、今日はこれで失礼いたします」
アーサーの言葉に、はい、と頷いて、私も立ち上がる。

3人一緒に部屋を出て、アーサーとお医者さんはジークフリードの部屋へ、そして私は自分の部屋へと戻ることになった。
それから3日間、移っては困るからとジークフリードの部屋でのティータイムもなく、私は自室で退屈な日を過ごすこととなったのだった。













      


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