花鬘<ハナカズラ>







天変地異的瞬間移動(2回目)から早3日。私は大いに悩んでいた。

外のテラスでは、貴婦人たちによるお茶会が開かれている。
私はその様子を遠目に眺めながら、以前シュヴェルツに連れて行ってもらったピクニックを思い出していた。
初めて馬に乗って、初めてお城の外に出た日だ。
森の木々は青々と輝き、日差しは麗らかで、とても楽しかったあの日。
突然体調不良になってしまってみんなに心配をかけてしまった苦い思い出もあるが、この世界に来て一番楽しかった一日と言えるだろう。

あのピクニックからほんの一月程しか経っていないはずなのに、まるで遠い日のことのようだ。
アリーやリアン、シュヴェルツの顔を思い出して、寂しい気分になった。
シュヴェルツはシスコン気味なのか毎日のようにあれやこれやと構いに来たが、もう一人の弟・魔王様(仮)は、初めて顔を見たあの日から一度たりとも顔を見ていない。
それが悲しいとかムカつくとか、そんなことは思わないが、シュヴェルツのようにぽんぽんと言い合える相手がいないというのは、実に退屈なものだった。

シュヴェルツ、元気にしてるかな。
仕事ばっかりして、体調は崩してないだろうか。よく食べてよく眠れているのだろうか。
タマとミケの世話はちゃんと見てくれているかな。かわいい2匹は私のことを忘れていないだろうか。
取りとめの無いことを考えつつ、窓の外を見やる。
外はよく晴れていて、絶好の散歩日和のはずだ。
それなのに、と部屋のドアを見やり、溜息を吐いた。




「お部屋から出ることは決してなりません」

こちらにやって来てしまった翌日、外に出たいと申し出た私に返されたのは、そんな無情な言葉だった。
何度も外に出たいと頼み、2・3回ほど実際にドアに飛びついて開けようとしたりもしたが、すぐにメイドさんに引き剥がされてしまった。
何度も何度も外に出たい!私に自由を!と声を上げた結果、疲れ果てたメイドさんは「それなら陛下におねだりしてくださいませ。わたくしにはどうも出来かねます」と告げた。
うむ分かった!と頷いたものの、3日が経った今も奴はちらりとも顔を見せることが無い。
私は少しのイライラと、郷愁の思いを抱えつつ、いいお天気の外を眺め続けた。

そうしてその日の午後、奴はやって来たのである。
とはいってもこの部屋に訪れたという意味ではない。私の部屋の窓の外を、お付きの男性2人を伴って過ぎ去ろうとした、という意味だ。
勿論こちらには一欠けらの視線も向けていない。
ただ真っ直ぐ前を向き、どこかへと歩いている途中だった。

今日も今日とて黒尽くめの魔王様スタイルの彼は、メイドさんによれば、その名を―――。

「じーくふりーど!」

ちょっと待ったー!のつもりで上げた大声に、魔王様改めジークフリードは驚いたようにこちらに視線を向けた。
一瞬歩みを止めたものの、名前を呼んだのが私だと気付いた瞬間、興味を無くしたように歩いて行ってしまう。
このまま奴に過ぎ去られては、この軟禁生活に終わりはない。
私は慌ててソファから飛び降り、もう一度その名前を呼んだ。
しかしジークフリードは完全に無視を決め込み、窓の外を通過しようとする。

こうなっては仕方が無い。実力行使だ!などと考える間もなく、私の手はほぼ反射的に窓枠を掴み、勢いづけて飛びあがった。
そうして私のウエストほどの高さにある窓枠に足をかける。
慌てたようなメイドさんたちが「エリー様!」と声を上げた。

そう、その、私の物ではない名前で呼ばれるのも、大いに気に入らないのである!

こちらに来てからの全てのモヤモヤ―――こんなところに飛ばしてくれたオリヴィア様やアズさんに対してだとか、食事が基本的にスパイシーで食べにくいこととか、自分で無い他の人の名前で呼ばれることとか、一向に変わらない軟禁生活だとか―――の全てを勢いに変え、私はえいやっと窓から外へと飛び降りた。
高さは1メートルくらいだったので問題なかったが、残念なことに下は砂利だ。
厚手の靴下レベルの部屋履きを履かされていた私には、ごつごつした石の感覚に思わず「いたっ」と眉を顰めた。
それでも、その痛みですら愛しく思えるほど、久しぶりの外だった。

頬を撫でる風も、その風に乗る青い葉の匂いも、窓から入るのとは異なって感じられる。
その気持ちよさに浸る前に、私は目の前の弟の服の裾をがしりと掴んだ。


「さんぽー!」
ふざけるな部屋に軟禁なんてしやがって私を外に出せー!
そう伝えようと口を開いた瞬間、出てきたのはその単語だった。
私の渾身の一言に、ジークフリードは一瞬ぽかんとした後、思いっきり眉を顰める。魔王様度がアップした。

「さっさと部屋に戻れ」
ジークフリードはその一言だけを告げて、先へ進もうとする。
させてなるものかと、ジークフリードの服の裾をしっかりと掴み直した。
外に出るにはお前の許可が必要らしいのだ。そう伝えるため、私はやはり「さんぽ!」と噛み付くような声を上げる。

「部屋に戻れ」
ジークフリードの言葉に、見えないブリザードが吹き荒んだが、私はもちろん散歩を諦める気など無いし、奴も一歩も譲る気などない。
黒い瞳で互いに互いを睨みつけたとき、「陛下も奥方様とご一緒に庭の散策などいかがです?」と声がかけられた。

彼と一緒に歩いていた、白髪交じりのおじさんである。
しゃんと伸びた背筋に、綺麗に撫でつけられた髪。秘書さんや執事さんのような雰囲気の、やさしそうな50代くらいの男の人だ。
おじさんは私と彼を交互に見やり、にっこりと笑って「お天気もいいことですし」と付け足した。
ジークフリードが彼をじろりと睨み、おそらくNOの言葉を吐こうとしたところで、私は「はい!」と大きく頷く。

「わたし、さんぽ!」
「奥方様もこう仰っていますし。ついでにお茶もいたしましょう」

にこやかにそう言われ、私は再び「はい」と頷いた。
お茶はどうでもいいが、散歩はしたい。外に出たいのだ!
ジークフリードは素晴らしい提案をしたおじさんを睨みつけ「そんな暇があると思うか?」と、か弱い女子なら震え上がりそうな声を出す。
しかしおじさんはそんな凶悪犯レベルの魔王様ボイスにも笑顔を返し、ええ、と頷いた。

「最近の陛下は少し働きすぎです。少しは奥方様とゆっくり庭を散策して、お茶を召し上がって、休息を取ることも必要ですよ」

ゆったりとした言葉は、私でも聞き取りやすい。
散歩や食事や寝るのが大事と言っているのだろう。
私はうんうんと頷いた。今の私には散歩が足りていないんだぞ、という意味を込めて。

しかしジークフリードは首を縦に振らず、くるりと身を翻して、歩いていってしまう。
おじさんは困ったように息を吐き出した。
ジークフリードが一緒でも一緒でなくても全然いいけど、私に散歩の許可を!
そう思って追いかけようとすると、奥方様、とおじさんから声がかかった。

「庭の散策がご希望でしょうか?」
そうだ、外へ行きたいのだと頷きを返す。
部屋に閉じこもってばかりでは、いつかもやもやが爆発してしまうではないか!
目を吊り上げて怒る私に、おじさんはにこやかな表情を崩さないまま口を開いた。

「では、陛下のお部屋でご一緒にお茶をいたしましょう。そのときに、奥方様からもう一度おねだりしてみては如何です?」
「おちゃ?じーくふりーど、へや?お、ねだ…… ?」

今の会話の流れ的に、○○の部分に当てはまる単語といえば、おそらく「お願い」「許可を得る」的な意味だろう。
“おねだり”は「おねがい(仮)」の意味らしい、と脳内異世界辞書に新しい言葉を書き加えた。
このおじさんも散歩の許可を出せる立場ではなく、やはりジークフリードに頼まなければいけないらしい。

お姉ちゃんの散歩くらい、気軽に許可を出さぬか!
そう思いながら、私は自由を勝ち取るために、大きく頷いた。

「おちゃ、のむ!」










そして連れて行かれたのは、ジークフリードのお仕事部屋のような場所だった。
高価なガラスをたっぷりと嵌めこんだ大きな窓からお日様の光がいっぱい入る、明るい部屋だ。
一番奥にはお仕事用の机がどーんと鎮座している。艶やかな飴色の机には、思わず「うええ」と声を漏らしてしまうほど大量の紙の束。
50センチはあろうかという書類の山が、ひー、ふー、みー……5つもある。
その山に囲まれながら、ジークフリードは先ほどと同じ眉間に皺を寄せた表情で、ペンを握り、紙を眺めていた。

おお……お仕事しているっぽい……これは私が入っていい場所じゃないのでは?
だって、ジークフリードは多分偉い人で、そんな人のお仕事部屋なら重要機密書類もあるのではないだろうか。
私はこちらの世界の言葉をまだきちんと全ては理解していないし、発音も苦手だが、ちょっとした聞き取りとちょっとした文字の読み書きくらいはできるようになっているのだ。
別に盗み聞きや盗み見をしようとは思わないが、私みたいな一般人がこういう情報に触れるのはまずいのでは。
そう戸惑った私に、おじさんは「奥方様、どうぞ」とソファを勧めてくれた。

なるべくきょろきょろしないようにしよう。こっそりと決意し、お茶の準備をしてくれているおじさんを見やる。
しばらくしてお茶の準備が整ったのだが、綺麗なティーカップを満たしたお茶に、私はびっくりした。
『緑茶だ』
色も香りも緑茶そのものである。
おじさんは「少し苦味がありますよ。こちらもどうぞ」と焼き菓子もすすめてくれたのだが、私の視線は淹れられたお茶に釘づけだった。

え、え、え、緑茶?本当に緑茶なの?

この世界にやってきてから、初めての緑茶である。
こちらの世界では紅茶、つまり茶葉を発酵させたものしかないのかと思っていたが、緑茶も存在するらしい。
懐かしい香りに、お母さんの顔が思い浮かんだ。
我が家では冬でも夏でも食後は熱い緑茶!と決まっていたのである。
お母さんの入れるお茶はいつでも美味しかった。

郷愁の想いを抱きつつ、華奢なカップに口を付ける。
ふわりと香る青い匂い、苦味、ほのやかな甘み。懐かしい味に、うっかり涙まで出そうになった。
「……とても、おいしい」
おじさんは私の言葉に嬉しそうに微笑む。
その柔らかな微笑みに、おかあさん、と母の笑顔を思い出した。

―――お母さん、お父さん。
毎日の食後に出されていた熱い緑茶。渋くてちょっぴり甘くて、落ち着く匂い。
部屋にその匂いが広がると同時に、もう慣れてしまったはずの寂しさが、あちらの世界にいたときの優しい思い出が、家族の温もりが、ふんわりと蘇る。

いいことなのか悪いことなのかは分からないが、もう涙は出ない。
ただただ、ここには居ない家族のことが懐かしく、恋しかった。













      


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