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花鬘<ハナカズラ>







<シュヴェルツ視点>


「しゅべるつ、へ」

相変わらずの間抜けな発音で自分の名が呼ばれたとき、思わず笑みが零れた。
どういう理由があろうと、他の者にこういう間抜けな発音で名を呼ばれるのは腹が立つし、そうとしか発音できないのならもう呼ぶなと命じるだろうが、リツにはもう何度も何度も呼ばれたせいか、訂正する気にならなかった。
それどころか、悪くない気分になるのだから、何の力も無いはずのリツは実は何かの魔術でも使っているのではないかと、馬鹿げた考えまで頭をよぎる。

「げんき、ですか。わたしは、げんきです」

まさしく手紙の書き出しに相応しいといえば相応しい文章だったが、毎日顔を合わせている相手にそれを聞かれるとは思わなかった。
思わず吹き出すと、リツは何やら怒った様子で私に手紙を押し付けてきた。拗ねたらしい。
謝ってみせると、リツは「よむ、いや!」と眉根を寄せる。
怒っているぞ!といわんばかりのその表情に、また笑いが零れた。

―――リツは、いい。

素直すぎるほどの反応は、見ていて飽きない。
それに何より、裏を読む必要も無い。
人に噛みつくわ、目が合えば睨み付けてくるわ、殴りつけてくるわ、無鉄砲でじゃじゃ馬で子供で、他人に誇れるほどの美貌も頭脳も魔力もないが、隣にいることが全く不快ではなかった。
妻に迎えた最初は神を恨みもしたものだが……などと考えつつ、視線で続きを促すと、リツは不承不承といった様子で口を開いた。

「きょう、おはな、ありがとうございました。ぴんく、はな、とてもかわいい、でした。たのしい、です。まえ、もりのさんぽ、たのしい、でした。ありがとうございました」

つたない言葉使いも、その発音も、―――あまり認めたくはないが―――愛しいと思う。
ただし、これは女に対する感情ではなくて、むしろ我が子や、もしくは本人が聞けば怒り狂うだろうが、愛玩動物に向ける感情だろう。
何もできなかったはずの子供が、言葉を覚えて、しかも手紙までしたためるようになったのだ。
その成長を感じて嬉しくなるのは、私でなくともそうだろう。
その証拠に、愛しいとは思いはするものの、他の女にしてきたように口づけたいだの、抱きたいだのという欲望は全くといっていいほど沸き上がってこない。

一応自分の妻を目の前にしてそういう気分にならないのは問題だとは思うが、と苦笑して、たどたどしい発音で手紙を読むリツを見つめる。
どこの古文書から文章を抜き取って文字を書いたのかと思ったが、リツにとってはあれは解読のできる文字らしい。
やはりおかしくなって、笑みを零す。

月光に照らされる黒髪は艶やかで、初めて会ったときに比べると、髪がほんの少し伸びていた。
最近よく頭を撫でてやっているおかげで、さらりとした髪の感触が思い出され、リツが手紙を読み終えたらまた撫でてやるかなどと考える。

ふっくらと柔らかそうな頬には睫毛の影が出来ていて、思わず触ってみたくなった。
まあそれもリツが手紙を読み終えてからにするか。
そう思いつつじっとリツを見つめていると、僅かに視線が合って、けれどすぐに逸らされた。
後宮の女ならここでにっこりと微笑むか恥じらうように視線を伏せるのだろうな、と思ったが、そもそもリツにそういう反応は期待していない。


「まいにち、あさ、ひる、よる、おつかれさまです。げんき、だいじ。たくさん、おしょくじ。たくさん、ねる。たくさん、さんぽ」

飾らない素直な言葉は、そのまますとんと胸に落ちてくる。
凝り固まった何かを、そっとほぐされるような心地がした。
認めたくはないが、もしやこういうのを心が休まる、というのだろうか。
今まで妻とは子を産むだけのもので、できれば賢くあれ、美しくあれと願っていたものだから、リツが妻として喚ばれたときは、「よく神はこんな、まだ子を産めそうにもなく、たいして美しくもなく、賢そうでもなく、そもそも言葉も理解できないし夫となる人間に殴る蹴るの暴挙に出る子供を選んだものだ」と恨みもした。
しかし、今こうしてリツを眺めていると、まあリツでよかったのかもしれない―――などと思うのだから、今日の自分は少しおかしいのかもしれない。
酒は飲んでないつもりなのだが、先ほど執務室で飲んだ茶は実は酒だったのだろうか。
ぼんやりとそんなことを考えていると、リツが言葉を止めてじっとこちらを見つめていた。

「どうした?」
自分で書いておきながら読めない文字でもあったか、と内心で付け加える。
すると、いったいどうしたのか、リツはこのほの暗い部屋でも分かるくらいに顔を赤くした。
頬を赤らめるなどという可愛いものではなく、いきなり熱が出てきたのではないだろうかというくらいに赤くなっている。
これが他の女なら、照れているのだろうか、などと考えたはずだが、相手がリツなのだからそれはないだろうと脳が勝手に判断する。

何だ、流行り病か?
おい、手紙はもういいから寝ろ、と声をかけようとしたが、リツの言葉の方が早かった。

「たくさん、ありがとうございます。わたし、は、しゅべるつが、すき、です」

……すき?

リツの唇から、そういえばもしかしたら初めて聞くかもしれない単語が飛び出た瞬間、私は自分でも滑稽だと思うくらいに動揺した。
思わず固まってしまった私の視界で、リツも顔を真っ赤にしたまま固まっている。

いや、リツのことだから、今の“好き”に特に意味はないはずだ。言うなれば親愛のそれだ。
間違いなく男女のあれやこれやを含んだ意味の“好き”ではない。
それは勿論理解できたが、今日のリツは様子がおかしすぎる。
人の顔をじっと見つめて赤くなるし、好きだなどという単語で固まったのだ。
普段の、あの馬鹿のような全く色気の無い笑顔で「すき」だと言われても、混乱はしない。
頭を撫でてやるぐらいのことはする。

しかし、この反応はいったいどういうことだ。

そう考えている間に、リツは私の胸に手紙を押し付けて、あたふたとベッドから降りようとする。
おい、裾を踏むな、転ぶぞ。

「わたし、ねる!はらをだしてねるなよ!」

焦ったような声でそう言われて、私も思わず焦ってしまう。
いや、焦る必要は無い。このまま部屋に戻せばいいはずだ。
あの髪と頬に触れられなかったのは少し残念だが、もう夜も遅いしリツを早く寝かせるべきだろう。

そう思ったはずだが、リツがドアに手をかけた瞬間、思わず自分の手が伸びた。
あまり力を入れていないはずだったが、リツは驚くほど軽く胸に飛び込んでくる。

腕を引いて、部屋に留めてみたものの、その行為に特に何の理由もない。
だが、そうだ。私にもリツにおやすみを言うくらいの権利はあってもいいだろう。

そう思い、何か言いかけようとしたリツの額に唇を落とした。
それと同時に、甘い花の香りが鼻腔をくすぐった。昼過ぎに渡した、あの花の香りだ。
どうやら部屋に飾っておいたのか、リツに香りが移ったらしい。

ぎゅっと目を閉じていたリツが、そろそろと目を開ける。
その黒い瞳に自分が映っていることに気付いて、僅かに胸が騒いだ。

口づけたい、と―――そのとき、思った。

「はらをだしてねるなよ、しゅべるつ」
照れたようにはにかむその表情に、押さえが利かなくなる。
それでも僅かな理性が働いて、唇ではなく、もう一度額に唇を落とす。
すると、リツが不思議そうにこちらを見上げた。
特別美しくもない平凡な顔に浮かべられたのは、色も艶もない、ぽかんとした表情だ。
しかし、いったい人間の脳はどうなっているのか、後宮の美しい女に向けられるどの甘い表情よりも―――そそられてしまった。
それでも何とか淡い口づけで耐えたのは、自分の理性の賜物という他無い。
何故自分の妻相手に欲望を耐えなければならないのか、理解に苦しむが、他の女にするようにすればリツは多分泣く。泣くどころか喚く。殴る。蹴る。物を投げる。
とりあえず、まったく望まない反応が返ってくることだけは間違いなかった。

唇で触れる肌は柔らかく、風呂上りに何かつけたのか、僅かに甘い香りがした。
何度も触れて、離れて、また触れて、その甘い感触に酔う。

抱きたい。
自分がリツ相手にそういう欲を抱くとは全く考えられなかったが、それでも今、その感情はたしかに存在しているようだ。
しかしリツ相手にいったいどうやって事を進めればいいのか、考えもつかない。
というか、本当に“リツを”抱きたいのだろうか。
それとも今目の前にいるのが他の後宮の女であっても、そう感じたのだろうか。

それが分からなくなりながら、小さな耳にも唇を落とした。
びくりと揺れる細い肩に、肌から香る甘い匂いに、全身が痺れるようだ。そして。

「―――リツ、」

欲望の滲んだ声に、リツは今度こそ「わあー!」と奇声を上げた。
そのままどんと胸を押され、ふらりとよろける。

驚いた。
ぽつりと胸に降ってきたその言葉は、本心だった。
リツに突き飛ばされたことに驚いたわけではない。

まあ、リツ相手にそう上手くはいくまい、とは思っていた。
額だけでなく頬や唇に口づけを許されただけでも、奇跡的な進歩のはずだ。
それなのに、それ以上を望む自分に驚いた。
そして、間違いなく拒否されるに違いないと分かっていたはずなのに、実際にそれをされて、胸のどこかが僅かに痛む自分にも驚いた。
まさか自分がリツにそういう欲望を抱き、拒否されて傷つくとは。驚愕の言葉でしか言い表せない。
我ながら信じられずに、リツを見やる。

リツは顔を真っ赤にしながら、はくはくと意味の無い口の開け閉めを繰り返し、最後には「じゃじゃうまー!」と暴言を吐いて部屋から逃げ出していった。
そして一人残された部屋で、ばたりとベッドに伏せる。
布団に残された甘い香りは悪くない匂いだったが、私は頭を抱えた。

……まさか、リツを相手に情欲を……しかも拒否されて傷つくなど……

朝から晩までみっちりと政務をこなし、疲労は頂点に達していたが、とりあえず今夜は眠れそうにはなかった。













      


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