花鬘<ハナカズラ>







「こんにちは」

ただいま、だと思われる挨拶を口にすると、メイドさんたちは「おかえりなさいませ」と目を細める。
部屋の中にはアズさんもいて、小瓶をいくつかテーブルの上に並べながら何かを説明しているようだった。
小さな飴色の瓶は、私が散々飲まされた薬と同じ瓶で、口の中が苦くなる。

まさかまたあの苦い薬のお世話になるのではないだろうな、とひやひやしつつ、シュヴェルツの影に隠れる。
するとアズさんは私の行動に軽く笑ってから、「ご安心ください、これはリツ様のお薬ではございませんから」と小瓶の一つを持ち上げた。
なんだ、私が飲むためのものではないのか、と胸を撫で下ろす。

「これは彼女たちにと思いまして。少しお疲れのようでしたから」
“おつかれ”……たしか疲れたとか眠いとかだるいとか、そういう類の単語だった気がする。
アズさんの言葉にメイドさんたちを見渡すと、たしかに、リアンの目の下には薄らとクマが残っていたし、そういえばアリーは少し痩せた気がする。
どうしてだろうと一瞬疑問に重い、それからハッとした。

もしかして、私が散々心配をかけてしまったせいだろうか。

私の体調不良のせいでメイドさんたちみんなが体調不良になってしまうなんて、本当に申し訳なさ過ぎる。
拾い食いとか、暴飲暴食をした覚えはないが、もしかしたらあの日食べた何かにアレルギー反応でも起こしてしまったのだろうか。ピーナッツとか蕎麦とか、下手したら命に関わるっていうし。
自分にはそんな重大なアレルギーがあると思ってなかったけれど、今後はちょっと気をつけたほうがいいのかもしれない。
うんうんと考えていると、シュヴェルツが「アズの薬はよく効くからな」とテーブルの上に並べられた小瓶を一つ手に取った。

「しゅべるつ、おつかれ?」
いや、聞くまでもないな。私のせいで疲労蓄積中に違いない。
「しゅべるつ、もうしわけありません」
心配かけたみたいでごめんね、と素直に謝罪すると、シュヴェルツは一瞬動きを止めて、それからふにっと私の頬を摘んだ。
何をする!と眼を吊り上げれば、シュヴェルツは「リツがしおらしいと、どうも扱い難い」などと呟く。
言葉の意味は分からなかったが、謝罪したのに頬を摘まれたのは納得できず、「じゃじゃうま!」と悪口を言っておいた。

「誰がじゃじゃ馬だ。おい、暴れるな。まだ一応病みあがりだということを理解しているんだろうな」
「しゅべるつ、じゃじゃうま!」
「分かったからとりあえず座れ。足も痛むんだろう」
「あし!」
「そうだ、足だ。―――アズ、ついでにリツの傷の手当てを」
「はい」

シュヴェルツの言葉にアズさんは私の足元に屈みこみ、「靴擦れですね。消毒をして、布を当てておきましょうか」と言葉を口にする。
意味は分からなかったが、答える前にアズさんは持っていた治療箱の中から缶ジュースくらいの大きさの飴色の瓶を取り出して、その中身を綺麗な布に染み込ませた。
ぷんと香るハーブのような香りに、思わずうっと顔を顰める。
もしかしなくても消毒液ってやつだろうか。染みるかな、痛くないといいな、と思いつつじっと見つめていると、アズさんは「失礼いたします」と私の足首にそっとその布を当てた。

いってえええええええ!

思わず足を布から離そうとしたけれど、私が非力だからなのか、アズさんの手ががっちりと私の足を掴んで離させてくれない。
ぎゅううと顔を顰めて痛みを我慢すると、シュヴェルツが思わずといったように噴き出した。

―――この野郎、人が痛みに耐えているというのに!

涙目になりながらシュヴェルツを睨みつけると同時に、消毒液らしきものを染み込ませた布が足首から離れる。
うう、ヒリヒリするというか、スースーするというか、とにかく痛かった。
アズさんはてきぱきと足首に綺麗な布をあて、包帯を巻いていく。
靴擦れごときにそこまでしなくても、と思ったけれど、断りの言葉を捜すのも面倒なのでそのままにしておいた。

「入浴の際は布を外して、上がったら新しいものに取り替えてください」
アズさんの言葉にアリーが「はい」と答え、心配そうに私を見つめた。
アリーには心配をいっぱいかけてしまったみたいだし、これ以上心配をかけるわけにはいかない。
私はヒリヒリするのを我慢して、にっこり笑って「げんき」と言葉を紡いだ。

アリーは私の無理やりの笑顔に、くすっと笑って「お疲れになられましたでしょう。お茶になさいますか?」と尋ねてきた。
たしかに、久しぶりの外出は、ちょっとばかり疲れた。
アリーにお茶をお願いして、ふうと息を吐き出す。
シュヴェルツは、じ、とソファに座った私を見つめ、ゆっくりと口を開いた。


「リツ、お前、挨拶くらいは出来るようになっただろうな」
「……あいはつ、?」

何ができるようになったって?
うぬ?と眉を寄せて首を傾げると、少し立ってみろと声をかけられる。
立つ、の単語は理解できたので、不思議に思いながらもソファから腰を浮かし、立ち上がった。
するとシュヴェルツは流れるような静かな動作ですいと跪き、私の手を取る。
そうしてから、おそらく「はじめまして、こんにちは」の挨拶がシュヴェルツの唇から紡がれた。
え、な、突然何?とびっくりしてしまう。
シュヴェルツは最後に私の手の甲に触れるか触れないかぐらいの、微かなキスを落とした。

……シュヴェルツ、頭がどうかしてしまったのだろうか。

少し心配になってシュヴェルツを見つめる。
するとシュヴェルツは催促するような強い視線をこちらに向けた。
よく分からなかったが、挨拶すればいいのだろうか。
私はメイドさんたちに教えてもらった上品な挨拶の仕方を思い出しつつ、「おはつにおめにかかります」と口を開いた。

「おはつにおめにかかります、しゅべるつさま。わたくしは、リツ・フォン・エルヴェールともうします。ほんじつは、おめにかかれてこうえいです」

アリーの紡いだ文章をまるっとそのまま覚えただけの挨拶なので、自分で言っておきながら、自分が何を言っているのかよく分からない。
『はじめまして、○○さん。私はリツです、どうぞよろしく』を丁寧に言ってるんじゃないかなぁとは思うのだけど。

言葉を終えてから、教えられたように軽く膝を折った。
シュヴェルツは「こちらこそ、お会いできて光栄です」と嘘っぽく微笑んで、さっと立ち上がる。
「しゅべるつ、あいはつ?」
挨拶することは“あいはつ”というのか?と尋ねると、シュヴェルツは「あいさつ、だ」とわざわざ修正をかけた。

「あいしゃつ」
「あ、い、さ、つ」
「あ、あい、さつ」

そうだ、と頷かれ、そうか、と頷きを返す。
うむう、今の単語の発音はちょっと苦手かもしれない。
あいさつあいさつ、と覚えたての単語を繰り返す私をソファに座らせ、シュヴェルツも私の隣に腰掛けた。
今日は散歩に付き合ってくれた挙句、お茶にも付き合ってくれるつもりらしい。
そんな余裕があるのかと心配になり、声をかけようとしたけれど、シュヴェルツの発言の方が早かった。

「リツ、笑え」

わらう、は知っている単語だ。幸せとか楽しいとか、そういうときに使う単語のはずである。
しかしそうすると今の言葉の意味は何だろう。私の名前と、わらう、という単語一つだけだった。
命令系のはずなのだけど、楽しい気分になれ!幸せになれ!と突然言われても困る。
思わずむっと眉を寄せると、何か言おうとしたシュヴェルツに代わって、アリーが「リツ様」と私を呼んだ。
ふいとそちらに視線を向ければ、アリーはにこりと笑って、自分を指差した。
その意味を考えて、あ、と思う。

“わらう”は“笑う”という意味なのだろうか。

その疑問の答えを確かめるため、私もにこりと笑う。
シュヴェルツは「まあ、黙っていればどうにかなるか」と呟いて、自分の分の紅茶のカップに口を付けた。
私も自分の分の紅茶をくぴりと飲んで、テーブルに置かれた焼き菓子に手を伸ばそうとした。
しかしその行動を遮るように、シュヴェルツは「リツ」と私の名を呼ぶ。
うん?と視線を向けると、シュヴェルツは真面目な表情で口を開いた。

「ひと月後、隣国から使者が来る」
となり、来る、この二つの単語だけは聞き取れたものの、そのほかはよく分からなかった。
とりあえず、シュヴェルツの表情に合わせて、私も神妙な表情で頷く。

「何故だか分かるか」
「なに?」

今何と言ったか分かるか?という質問だったと思い、『なに?(何を言っているのか分かりません)』と答える。
するとシュヴェルツは一度私の頬を摘んで―――やめないか、ばかもの!―――、ため息とともに言葉を吐き出した。

「お前を見に来るんだろう、リツ。私の妻を」
「わたし、みる、くる……?つま」
シュヴェルツの“姉”である私を見に来るだと?となりのひと(……あ、お隣の国の人って意味か?)が?
それはまた何のために、と疑問に思い、はっとする。
そういえば、前に読んだことのあるティーンズ小説でも、主人公はお父さんである王様の命令によって、結婚相手を選ぶパーティーに参加させられていた。
普段の姿とは違う艶姿に、義兄も、彼女を護る騎士も、婚約者候補も目を見張っていたではないか。

つまりそういうことか!と、私はちっとも分かっていないながら納得した。
シュヴェルツは偉い人なんだろうなぁと思っていたけれど、そうか、その義姉が数ヶ月前まで異世界人だった場合も政略結婚とかそんなことがあるのか、と私は感心した。
いや、感心している場合ではない。私は恋愛結婚がしたいのだ、政略結婚なんて御免だ!とそっぽを向く。
シュヴェルツは「話を聞け。寝るなら後にしろ」と私の両頬に手を置き、無理やり自分の方へと向かせた。

「いいか、よく聞け。今まで異世界から喚び出された人間は、ほとんど―――全てと言っていい、何らかの力を持っていた。それが魔力であったり、美貌であったり、頭脳であったりはしたが、とにかくそれらはこの国に何らかの恩恵をもたらした」

ちらほらと聞いたことのある単語もあるが、ほとんどが分からない単語だ。
きょとんとすると、シュヴェルツは重い息を吐き出した。
呆れられたか、それとももしかして怒られやしないかと思ったが、シュヴェルツは予想に反して真面目な顔のまま言葉を続けた。

「いいか、リツ。お前を、見に来るんだ。この国の王妃となる人間がどういう人間か、自国の利になる人間かどうかと」
「……、はい」

肝心の“何のために”、のところがよく分からなかったが、とりあえずお隣の国の人が私を見に来ることはよく分かった。
ふむう、と頷くと同時に、部屋のドアがノックされる。
誰だろう、と疑問に思ったが、部屋に入ってきた人を見て、私はわあと笑顔になった。












      


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