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花鬘<ハナカズラ>







この世界に来て約1ヶ月。
最近の私の朝は、タマの鳴き声に「おはようございます」を返すところから始まる。
にゃーにゃーと鳴きながらご飯をねだるタマに寝惚けながらも手を伸ばした。そして、よしよしと背中を撫でる。
タマは「それよりご飯!」というように、にゃーにゃー言いながら私を見つめた。
まだ朝早いのに、とタマの早起きっぷりを恨みつつ、起き上がる。

一人と一匹しか居ない寝室をぼんやりと眺め、ふわあ、とあくびをひとつ。
つい先日までは夜眠るときも部屋に控えていたメイドさん達だったけれど、最近、夜は一人で休ませてくれるようになった。勿論、部屋に置いてある小さなベルをちりりんと鳴らすだけですぐに飛んできてくれるのだけど。
しかしこれで夜中に何か変な寝言を言ったりいびきをかいていないか心配しなくてすむ!と私は喜びで一杯だった。
やっぱり、自分の意識がないときに人が傍に居るっていうのは何となく気持ち悪いよなぁと思いつつ、寝間着姿のまま立ち上がった。
柔らかい部屋履きを履いて、テーブルの上に置いてあったベルに手を伸ばす。

こんな朝早くに申し訳ないと思いつつ、このままではお腹を空かせたタマが部屋中をめちゃくちゃにしそうで、私はちりりんとベルを鳴らした。
それから1分も経たない内にリアンが現れて、短く朝の口上を述べる。
私もそれに応えようと、「おはようございます、りあん。とてもよいあさですね」と最近覚えた朝の挨拶を口にした。
リアンは私の言葉に綺麗な礼を取り、「どうかなさいましたか?」と尋ねてくる。
その問いに、私は足元をくるくる回るタマに視線を向けて、それからリアンに視線を向けた。
その視線の動きとタマが忙しなくにゃーにゃー鳴いている様子で、リアンはきちんと言いたいことを理解してくれる。

「タマのお食事をお持ちいたしましょうか」
リアンの言葉に、お願いします、と私は頷いた。









「たま、ごはん」
リアンに用意してもらったタマのご飯の入ったお皿を持ち、足元にじゃれついてくるタマにそれを見せる。
すると、タマは遊ぶのをやめて、大人しくちょんとお座りをした。
その様子を眺め、左手にご飯の入ったお皿を持ったまましゃがみこみ、タマを見つめ、まずは自分の右手を差し出す。

「みぎ」
その言葉に、タマは右手をぽんと私の手の上に置く。
「ひだり」
すると今度は左手を。
「しっぽ」
タマは今度は長い尾をぷらりと揺らし、最後に可愛くにゃーと鳴いて見せてくれる。

「すてき!よくおにあいです!」
よくやったタマ!かしこいぞ!と褒めて、わしわしと頭を撫でてからエサの入ったお皿をタマの目の前に置くと、タマはご機嫌な様子でそれを食べ始めた。
ふらふらと揺れる尻尾が可愛い。思わず口元が緩んでしまう。
ご飯を食べるタマの背中を撫でて、かわいいかわいい、と言葉を紡ぐ。
タマは満更でもないように、しっぽをふらふらさせた。

にこにことタマのご飯を食べる姿を見つめていると、リアンは「リツ様ももう朝食を召し上がられますか?」と尋ねてくる。
私はまだいいや、と首を横に振って、タマのご飯風景を眺めた。





ということで、最近の私は、タマの躾に大忙しだった。
メイドさんたちと本を朗読しながらタマを撫で、メイドさんたちに刺繍を教わりながらタマのにくきゅうをぷにぷにする。そうして暇があればタマにお手やお座りや色んな芸を仕込む。
猫は気まぐれだというから芸なんて仕込めないのだろうかと諦めていた私だったけれど、タマはとても賢く、にゃーにゃー言いながら教えた芸を自分のものにしていった。
「ほん!」と言えば、タマはてててっと駆けて、「みつけたよ!」といわんばかりに、たしっと本に前足を乗せる。かわいい。
「まるい!」と言えば、タマはくるんと体を丸めて、「どうだ!」といわんばかりににゃーと鳴く。かわいい。

しかも、今、可愛くて賢いタマの隣には、先日お庭で迷子になっていた真っ白の子猫、ミィケツィアがいた。不思議な響きのその名前は、意味は分からないけれど、多分何だかとっても素敵な名前なんだろう。挿絵の綺麗な聖書のようなものに同じ単語が載っていたような覚えがある。
ミィケツィアはどうやらシュヴェルツにプレゼントされたらしいが、シュヴェルツはあんまり構ってあげないので、私が勝手にミィケツィアの面倒も見ていた。
勿論、シュヴェルツが構ってあげなくても、シュヴェルツに付いているメイドさんたちが面倒を見ていたのだけど、ある日、『両手に猫なんて、とても素敵である!』と二匹と戯れていると、シュヴェルツはミィケツィアも私の腕に抱かせてくれたのだ。
ちなみに勿論名前を付けたのはシュヴェルツで、ミィケツィアという難しい発音が苦手で私が「みけ」と呼ぶと少し嫌がるが、 本人は―――本猫はというのだろうか―――ミケと呼ばれるとにゃーにゃー鳴いて、楽しそうにじゃれついてくる。

ちなみにタマは男の子で、ミケは女の子だ。
二匹はとても仲良しで、時折にゃーすかにゃーすかと喧嘩もしているけれど、天気のいい日はよく日の当たる場所で二匹並んでお昼寝していたりするのである。
ふかふかの二匹が並ぶととても可愛くて、私もメイドさんたちもほっこりしながら二匹を眺めていた。


もう午後のお茶の時間も過ぎたけれど、タマもミケも部屋の中を元気に走り回っている。
にゃーにゃーと楽しそうな声に、私は刺繍をしていた手を止め、ひとつ息を吐いて、外に視線をやった。
私が刺繍針の動きを止めたのに気付いて、アリーは「お茶でも淹れましょうか」と立ち上がる。
お願いします、と言葉を紡いで、半分ほどまで進んだ刺繍を眺めた。

テレビもない、ゲームもない、言葉もまだあまり分かっていないから本を読むのは難しいし、という娯楽の少ないこの世界では、刺繍でさえも比較的楽しく思えてくるのだから不思議だ。
アリーや他のメイドさんたちが最初に見せてくれた花の刺繍は、とんでもなく精緻で、綺麗で、プロの作品かと思ったけれど、どうやらいつも私についてくれているメイドさんの一人、シャナが施したものらしかった。
しかも、そのバラの刺繍の上手さに感動していると、私の使っているベッドカバーの刺繍もシャナが施してくれたらしいということが判明して、更にびっくりした。
こんなの人間の手で作れるものなのか、とベッドに転がりながら木々や小鳥の刺繍を眺めていると、シャナは照れたようにはにかむ。

すごい、すばらしい、を繰り返していると、何故かいつの間にか針と糸が用意され、何故か刺繍のお稽古が始まることとなったのである。
いかにも女の子らしいお稽古ごとに、最初、私は乗り気ではなかったけれど、やってみると案外面白い。
少しずつ少しずつ形になっていく模様を見つめ、私はいい気分になりながらせっせと針を動かしていた。
私が刺繍のお稽古を始めたことに対して、シュヴェルツも何だか歓心していたようだし、この前お菓子を持ってきてくれたぜフィーも多分、おそらく、難しい言葉だったのでよくは分からないけれど、褒めてくれた。
ということで、刺繍はそれなりに楽しいし、みんな私が刺繍をすることに大賛成のようなので、最近の私の日課の一つに取り入れられることとなったのである。

タマとミケは外で遊びたいらしく、にゃーにゃー言いながら足元に纏わり着いてくる。
ふわふわの毛がくすぐったくて、わははと笑っているところに、とても慌てた様子でアリーが部屋に駆け込んできた。お茶を淹れに行っていたからか、手には茶葉を掬うためのスプーンが握られている。
いつもおっとりしているアリーのこんな焦った様子は初めて見た。
私は少し驚きながら、息の切れているアリーに「どうかなさいましたか」とリアンがよく口にする言葉を真似た。
アリーは私のその言葉に、ぱっと蒼白になった顔を上げた。

「オリヴィア様がいらっしゃいます!」

その声に驚いたのは、私以外のみんなだ。
慌てるメイドさんたちの中、“オリヴィア様”とはいったい誰だろうと、一人首を傾げる。
たしかそんな名前のバラに似た花があったような、とお庭に咲く花を思い浮かべる。
刺繍針を針刺しに刺して、じゃれついてくる二匹に手を伸ばす。そしてタマとミケを膝に乗せようとすると、アリーは慌てた様子で「リツ様!」と私を呼んだ。
私も慌てて「はい!」と返事をすると、シャナがタマとミケを抱えて寝室へ向かい、アリーは私のドレスの裾についた猫の毛を払い始める。
リアンは刺繍道具を片付け、他の二人は慌てた様子でお茶とお菓子の用意をしだした。
そして慌しい空気の中、私はもう一度『オリヴィア様って誰だろう』と首を傾げたのだった。



それから10分も経たない内に、その人は私の部屋の扉をノックした。
いや、実際にノックしたのは部屋の前の衛兵さんだけれど。
オリヴィア様がいらっしゃいました、という旨の言葉が告げられ、リアンが控えめに私を見つめた後に承諾の返答を出す。
その返答ののち、扉はゆっくりと開かれた。

まず感じたのがくらくらするような官能的な香りだ。
そうしてビロードのドレスの裾が、華奢な靴に包まれた爪先が、きらきらのブロンドの髪が、お人形さんのような綺麗な顔が順々に視界に入る。
その人は、まるで水の膜の上を歩くかのように、滑るような静かな動作で部屋へと踏み入れた。
扉をくぐったところで一度綺麗な動作で礼をとられ、私も慌てて立ち上がって頭を下げる。
彼女は髪と同じ金色の睫毛をぱしぱしさせて、綺麗な微笑を浮かべて何やら挨拶らしき言葉を紡ぎだした。
長い挨拶はさっぱり分からなかったけれど、それでも真摯に聞いているふりをすると、彼女は綺麗な微笑を保ったまま唇を閉じる。
あ、終わったのだな、と理解して、私はとりあえず「どうぞ」とソファを勧めてみる。彼女はそれに応えるように淡く微笑んだ。


これが、第三者から見れば正妻VS愛人の構図だったなどと、そのときの私は勿論知る由が無かった。