花鬘<ハナカズラ>







オリヴィア様。
バラに良く似た花の名前を持つその人は、微笑を浮かべたまま、流れるように静かで美しい動作で私の目の前のソファに腰掛けた。
お茶を淹れてくれるメイドさんたちの様子はどこかピリピリしていて、さていったい彼女は何者なのだろうと首を傾げる。
柔らかそうな金色の髪は丁寧に纏め上げられ、不思議な形に結われている。
その髪には髪の色を引き立てるような大輪の赤い花と、きらきら光る宝石でできた、おそろしく高価そうな髪飾りが差し込んである。
瞳は夏の空のような青色で、鼻筋はすっと通っている。柔らかそうな唇には薄く紅が塗られ、つやつやしていた。

一言で言うならば、美人。
シャーロットを女にして、少し色気を蒸発させたらこんな風になるかもしれない。
色っぽいのだけど、清楚にも見えて、どういう男の人でもころっと落ちてしまいそうな可憐さがあった。
アリーと同じく、男受けの良さそうなタイプだなぁと、少し失礼なことを考える。

しかし、とオリヴィア様をまじまじと見つめつつ、誰かに似ている気がする、などと考えた。
こんなに綺麗なんだから、テレビか雑誌か、その辺りで見た“誰か”だろうか。さて、ではモデルか?女優か?と考えて、あっと思いつく。
―――そうか、このやわらかい微笑み、モナリザに似ている!
髪の色や瞳の色は違うけれど、それでもその目元や口元は何となく教科書で見たモナリザによく似ているような気がして、私は勝手に彼女にモナリザとあだ名をつけた。

しかしそれにしてもオリヴィア様はいったい何をしにここに来たんだろう。というか、むしろ何者なんだろう、とメイドさんに淹れてもらったお茶を飲みつつ考える。
オリヴィア様は私がお茶を喉に流したのを見つめて、自分が連れてきたメイドさんに小さく目配せをした。
その小さな合図に、メイドさんはそっと膝を折り、オリヴィア様の前に置かれたティーカップを持ち上げる。
不思議に思いながらその動作を見つめていると、メイドさんはそれを一口飲み込んでから、オリヴィア様の前へとカップを戻した。
その不思議な動作の意味を考えて、ハッと彼女の意図するところに気づく。

―――メイドさんの分のお茶がない……!

慌ててアリーに「おちゃ、ひとつ、ください」とお願いする。
メイドさんたちから発せられる空気にピリピリ感が増した気がするけれど、『そんなことよりお茶を急いで!』と心の中で急かす。
ピリピリした空気の中で、アリーはそれでも静かな動作で新しいカップにお茶を淹れてくれた。
「ありがとうございます」を告げて、受け取ったカップをオリヴィア様の横に傅くメイドさんの前に置く。
ぱちくりと瞬きをするメイドさんを見つめ、私は「もうしわけありません」と「どうぞ」を告げた。
失礼なことをしてしまってすみません、と申し訳なさ気に縮こまり ながら頭を下げると、アリーに慌てて止められる。

そういえばシュヴェルツもあまり簡単に頭を下げるなというようなことを言っていた気がするけれど、私は生まれも育ちも日本なのだ。
毎日先生に「おはようございまーす」と頭を下げるし、道を譲ってもらったらぺこっと頭を下げるし、電話しながらでもぺこぺこ頭を下げるし、とにかく頭を下げるという行為はすでに習慣化しているのである。
それをいまさら止めろだなんて無茶なことを言うな、と心の中でシュヴェルツに文句をつけた。

ということで、私はアリーの制止を遮って、ぺこぺこと頭を下げながら、茶菓子の乗ったお皿もオリヴィア様の横で固まっているメイドさんの前に寄せる。
すると今度は今までぽかんとしていたオリヴィア様付きのメイドさんが、慌てた様子で固辞しだしたのである。
顔色は悪く、早口で紡がれる言葉はおそらく謝罪だろうと思うんだけど、早口すぎてさっぱり分からない。
ということで、私も『聞き取れなくてすみません』とぺこぺこ頭を下げた。
私とメイドさんのぺこぺこ祭りに終止符を打ったのは何を隠そうオリヴィア様で、彼女はまさしく鈴の鳴るような甘い声で「ワーニャ」と、おそらくメイドさんの名前であろう単語を口にした。

「ワーニャ、下がっていなさい」
その声は柔らかく透き通り、私はほほうと感心していた。
彼女の言葉はゆっくりしていて、とても聞き取りやすい。

メイドさんたちも言葉を教えてくれるときはゆっくり綺麗な発音を聞かせてくれるけれど、それでもオリヴィア様の声とゆっくりと落ち着いた話し方は、おそらく私がこの世界で出会った誰よりも聞き取りやすい言葉だった。
美人だし、言葉も聞き取りやすいし、何だか優しそうだ。
ということで、一気に彼女が好きになった私に、オリヴィア様はやっぱりあのモナリザの微笑を浮かべ「リツ様」と敬称付きで私の名前を口にした。
「はい」とにこにこしながら応えると、オリヴィア様はまず今日の私の服装について褒め讃え、お天気がどうだとか、庭の何とかという花が見時ですけれどもう見ましたかとか、世間話らしきものをしだす。
まだ全ての言葉を覚えたわけでもないし、分かる単語はほんの少しだけれど、それでもオリヴィア様の微笑みは綺麗だし、声は優しくて心地よいトーンだし、ということで私もいい気分で「はい」だとか「そうですね」だとか曖昧な相槌を返す。

そうして世間話が始まって30分は経ったかという頃、オリヴィア様は世間話をするときと同じような柔らかな言葉で、ところで、と言葉を紡いだ。
「ところで、ご挨拶がまだでしたわね」
その言葉を、まずは反芻する。
挨拶という単語は分かったし、それについてきたジューゼ(未だ)という単語は何だろう。
聞いたことがあるといえばあるような、でもそれは他の単語かもしれないし、と悩みつつ、意味がよく分かりませんという風に首を傾げて見せる。
するとオリヴィア様はソファに座ったまま、はじめまして、と初めて会う人に対する挨拶の言葉を口にした。
30分も話して今更どうして挨拶?部屋に入ってきたときのあれとは違うのか?と思うと同時に、そういえば私の方の自己紹介がまだだったなぁと思い出す。

ちゃんと自己紹介した方がいいだろうか。
ちゃんとした挨拶文になっているか分からないけれど、多分「はじめまして、笹岡律です」くらいは私でも言える。
ということで、口を開こうとした私の前に、オリヴィア様が口を開いた。

「わたくし、オリヴィア・シュードリヒと申します。シュヴェルツ様には大変良くしていただいております」
「は、はい。わたしは、リツ・ササオカです。よろしくおねがいいたします」

オリヴィア様の言葉を頭に残して、その意味を考える前にまずは素早く自分も自己紹介の文章を組み立てる。
それが済んでから、私はこっそりとオリヴィア様の今の文章の意味を考えた。
ええと、オリヴィア様の自己紹介があって、それから何故かシュヴェルツの名前があったな、と思い出す。

あ、もしかしてシュヴェルツにも会いたいのか?
それなら今は多分どこか別の部屋にいると思うけれど、夜になったら多分戻ってくると思うよ。私がここの部屋に越してきてしばらくは毎晩夜中にどこか遊びに行っていたみたいだけど、最近は友達と喧嘩でもしたのか、毎晩隣の部屋でお酒を飲みつつだらだらしているし、私の“今日覚えた単語披露会”にも付き合ってくれるし、と心の中で返す。

しかし頭の中で考えるほど言葉は上手く話せないので、「しゅべるつ、よる、います」と隣の部屋を指差した。
その言葉にオリヴィア様は一瞬ぴくりと目元を引き攣らせ、けれどすぐに更に深く微笑みを浮かべて「存じております」と言葉を紡いだ。
今、何て言われたんだろう?と内心で首を傾げつつ、曖昧に笑う。
日本人らしい曖昧な笑みはオリヴィア様にはどう映ったのか分からないが、彼女は月の無い夜を思わせる声で、ゆっくりと赤い唇を開いた。

「ええ、存じ上げております。最近はこちらへいらしてくださいませんから、わたくしは寂しくて」
オリヴィア様の紡いだ言葉のほとんどは理解できずに、とりあえず聞き取ることだけはできた単語を口に出す。
「こち、ら?」
どういう意味だろうと首を捻ると、オリヴィア様は再びモナリザの微笑を浮かべてみせた。
そうして、「ええ」と何故か肯定の言葉を口にする。
ええと、今のは単語の意味を尋ねたのだけどなぁと少し困りつつ、それでもオリヴィア様は何となく満足気に見えたのでまあいいかと思い直した。

それにしても本当に綺麗だなぁとにこにこしながらオリヴィア様を見つめていると、彼女はしばらく私の顔を見つめてから、焦れたように「シュヴェルツ様は、」とシュヴェルツの名前を口にする。
シュヴェルツがどうしたの?というふうに首を傾げると、オリヴィア様は「シュヴェルツ様、ひどいことを仰るんですのよ」と表情を曇らせた。
ええと、シュヴェルツが彼女に何かを言った、という意味だと思うんだけど、合っているだろうか。

オリヴィア様の表情から考えるに、多分いいことではないと思うんだけど―――ハッ!もしかして、オリヴィア様に何か意地悪なことを言ったのではないだろうな!さとちゃんでも高校生になってからは女の子に意地悪なことを言わなくなったというのに!と眉を寄せる。
彼女は私が眉を寄せたのを見つめ、枝垂桜がやんわりと風に揺られるような、そんな雅やかな動作で腕を持ち上げ、細い指で目元をそっと拭った。

「シュヴェルツ様はわたくしがそれを本当に、心の底から願っていましたのに―――わたくしが妻であればよかったと、そう仰りましたの。それが出来ないことなど、ご存知だというのに。何しろ神はリツ様を選ばれたのですから、いくらシュヴェルツ様がそれを望もうと、わたくしがそれを望もうと、そのようなことできるはずがありませんのに」

オリヴィア様がつらつら紡ぎ出した言葉に、勿論、私の聞き取り能力は付いてはいけなかった。
しかし、ところどころに聞いたことのある単語が存在していたことぐらいは分かる。
聖書らしきもので見た神様(シャルディー)という単語と、先日私とシュヴェルツの関係として登場してきたイーア(弟)という単語である。
ええと、それから、『〜してはいけません』という意味の語句もあった気がする。
まだ外出禁止令が出ていた頃に散々聞いた言葉なので、おそらく合っているはずだ。

神様、弟、〜してはいけません。
その3つの言葉を繋ぎ合わせて何とか文章にしようとするが、勿論できるはずなどない。
うう、と小さく唸りつつ、彼女を見つめる。
オリヴィア様は悲しげに視線を伏せたままで、長い睫毛にはなんと涙が乗っていた。
何故泣くのかがさっぱり分からず、それでも慌ててレースのハンカチを取り出して、彼女に渡す。

オリヴィア様は軽く首を横に振り、自分のハンカチをメイドさんから受け取った。
どうしよう、もしかして私何かした?と焦りながら考えるものの、原因がさっぱり思いつかない。
何か悩みでもあるのだろうか、と考え、涙に暮れるオリヴィア様をおろおろしながら見つめていると、ハッとあることに気が付いた。

―――この人、もしかして以前シュヴェルツといちゃいちゃしていた人じゃないか?

先日の晩、夜中にトイレに行った帰りのことを思い出す。
暗くてよく分からなかったけれど、そういえばそのときの女の人も金髪だったような気がする。
そう見てみれば、背格好もこのくらいだったような気がするし、声なんてまさしくオリヴィア様のものだった気がしてくる。
私は二人のいちゃいちゃっぷりを思い出しつつ、再びハッと閃いた。

―――シュヴェルツとオリヴィア様は恋人同士なのではないだろうか!

そう考えてみれば、もうそうとしか考えられなくなる。
ということは、さっきからシュヴェルツの名前がよく出るなぁとは思っていたけれど、もしかしてシュヴェルツのお姉さんに挨拶でもしておこうと思って今日ここに来たのだろうか。
異世界人の、半分しか血の繋がっていない姉に対して律儀なことだなと、感心する。
オリヴィア様への好感度がまたぴょんとアップしてしまった。

しかし、もしかして将来の妹になるかもしれない彼女は、いったいどうして泣いているのだろう。そこがまったく分からない。
シュヴェルツと喧嘩をしたのかな。あ、それはありえる話だ!さっき、『シュヴェルツが〜と言った』という意味の言葉を紡ぎつつ、きゅうと眉根を寄せていたし。

きっと喧嘩をしたのだろうと勝手に判断して、未来の妹に向かって「心配するな!」というふうに笑顔を送ると、オリヴィア様は少し訝しげにこちらを見つめてきた。
その心配そうな表情を見つめ、一生懸命脳内の異世界語辞典を捲る。
何て言えば彼女は安心してくれるのだろうと考えながら、ベストだと思われる文章を何とか導き出した。

「わたし、しゅべるつ、いいます。じょせい、なく、わるい。しゅべるつ、たくさん、わるい」
女性を泣かせるなんて許されることではないぞと言っておくから安心してねと言いたいのだけど、伝わったのだろうか。
オリヴィア様は私の返答に何だか微妙な表情をしていて、私は焦った。
そうして更に言葉を重ねる。

「しゅべるつ、わたしの、“おっと”!わたし、おこるます。しゅべるつ、わるい、いいます。こいびと、たくさん、……こいびと、たくさん……しゅべるつ、わるい!わたし、おこるます!」

シュヴェルツは私の“弟”だし、弟というのは姉に叱られて大きくなるものである。
ということで、シュヴェルツには私がお灸を据えておくから安心してね!恋人には意地悪なことを言わないで、いつでもたくさんの愛を伝えてあげなくてはいけない!としっかり叱り付けておくからね!と言いたかったのだが、やはり今の語彙ではなかなか難しい。
親切心をてんこ盛りにして言ったつもりなのだけど、オリヴィア様は慌てた様子で首を横に振った。

「いいえ、そんな!シュヴェルツ様に、そんな……!」
大変恐縮したようすのオリヴィア様の言葉の意味を考えて、私は大きく頷く。
おそらく「いえ、そんな、お姉さまにわざわざそんなことをしていただかなくても……」という意味だろう。
―――そんなに遠慮しなくても大丈夫!
私はもう一度大きく頷いて、にっこり笑った。

「わたし、いいます。しゅべるつ、わるい。もうしわけありません、いう」
弟にはちゃんと「お前が悪いんだからきちんと謝って来い!」と伝えておくから大丈夫!そう思いながら、私は何故か蒼白になっている未来の妹を見つめた。



そうして結局、しばらくオリヴィア様から「そんなことしていただかなくても」と遠慮の言葉が繰り返され、最後には「今日わたくしがこちらに来たことはどうかシュヴェルツ様にはご内密に!」と懇願されてしまったのである。
多分、オリヴィア様がここに来たことはシュヴェルツには内緒にしてね!ということだと思うんだけど、うーん、何でだろう。
疑問に思いながらも、私はにっこり笑顔で頷いて見せたのだった。

任せておいて!オリヴィア様から相談されたことは伏せて、きちんとシュヴェルツを叱っておくから!