花鬘<ハナカズラ>







その翌日、というか、あれからもう一眠りして起き上がったとき、私は朝からメイドさん達に不思議な態度をとられた。
物凄く気を使われているようなのだが、何故そのようなことをされるのか全く分からない。
私は首を傾げながら朝食の用意されたテーブルへと向かい、寝間着姿のまま席に着いた。変な態度のメイドさん達の中、ただ一人、普段と変わらぬ様子のリアンがグラスに飲み物を注ぐ。

ああそれにしても今日のパン、すごく美味しい。いつもよりもっちもっちである。そしてほんのりとはちみつっぽい味がする、これは美味しい!
美味しい美味しいとパンをもむもむ頬張っていると、部屋のドアがノックされた。
廊下と繋がっているほうではなく、シュヴェルツの部屋と繋がっている方のドアである。
メイドさん達はぎょっとして固まり、私は不思議に思いながらもドアに歩み寄って「しゅべるつ、なに」と言葉を口にした。

冷たく言ったつもりは全く無い。そして柔らかく言ったつもりも全く無い。
シュヴェルツはどちらに感じたのか分からないが、ドアはゆっくりと開かれて―――しまった、昨晩鍵を閉めるのを忘れていた!―――これまた不思議な雰囲気のシュヴェルツが顔を出した。
悪戯が見つかった子供のような、ばつの悪そうな表情というか……いったい何なのだ。

「……なに?」
一緒に朝ご飯を食べようとでもいうのか?と首を傾げる。私の部屋にシュヴェルツの分はないぞ。
あっ、このパンは私のものだぞ!あげないぞ!とテーブルの上のパンを隠すようにささっと立ち位置を変えると、シュヴェルツは私の顔をじろじろと見つめ、そっと手を伸ばした。
ま、まさかさっきいちゃいちゃしているところを邪魔したから怒っているのか!それで頬でも摘もうというのか!と慌てて自分の両頬を手でガードすると、シュヴェルツは予想に反して私の頭に手を置いた。
そうして何を思ったかたっぷり60秒ほど頭を撫で、「お前、何か欲しいものはないのか」と尋ねてきたのである。
意味が分からず首を傾げると、シュヴェルツは「そうだった」と舌打ちをして自分の部屋に戻っていった。

……何だったんだろう。寝惚けているのだろうか。

少し乱れた髪を整えつつ首を傾げテーブルに戻ると、メイドさん達はみんなで真っ青になっている。あのリアンでさえもちょっぴり顔色が悪い。
アリーは延々と神仏に祈るように手を組んで何事かをぶつぶつと口にしていた。
不思議な態度のメイドさん達に囲まれ、朝食を摂り終えた後、私は朝食後の散歩に行くぞと立ち上がった。
同時にメイドさん達が縋るように声を上げる。

「リツ様お願いですから落ち着いてください!たしかにシュヴェルツ様は昨晩は後宮で、その、過ごされたようですが、シュヴェルツ様はリツ様を大事に思ってこそリツ様がもう少し大人になられるまで待とうと思われたのだと思います!」
「そうですリツ様!シュヴェルツ様とて男性なのです。ええ、ええ、勿論許せないと思われるかもしれませんが、男とはそういう生き物なんです!」
「勿論シュヴェルツ様が一番に愛していらっしゃるのはリツ様に間違いは無いのです!相手の女性を憎く思われるかもしれませんが、どうかお気をお沈めくださいませ!」

そんな声を上げながら、メイドさん達は何故か必死で止めようとしてくる。
メイドさん達が口々に何かを言ってくるのだが、その中に何度も登場してくるシュヴェルツの名前に、もしかしてあの男、あれから気が変わってメイドさん達に散歩禁止令を出したのではないだろうなと眉を顰める。
そう考えるとさっきの妙な態度も理解できるというものだ。
頭を撫でて機嫌を取っておいて―――そんなことでは全く機嫌が良くなるはずはないのだが―――、私の怒りを少しでも軽減しようというわけか、許せんシュヴェルツ!

私は憤慨しながら、シュヴェルツの部屋と繋がるドアをだんだんと叩いた。「しゅべるつ!」の怒声付きである。
その声の後すぐにドアは開けられ、シュヴェルツが「……何だ」と眉を顰めて問う。
私はびしりと窓を指差し、「そと、あるく!」と怒りを込めて声を発した。
シュヴェルツは一瞬驚いたように目を見開いて、そうしてから何かを疑うような視線でじろじろと私を見つめてから「歩けばいいだろう。だがそのような姿で外に出るなよ。寝間着ではないか」と呆れたように口にする。

「……そと、あるく?」
「ああ、着替えれば」
「き、かえ?るば?……いい?」

いいのか駄目なのかだけを言えばいいのだ。その他に無駄な単語を付けるな!と睨みつけると、シュヴェルツは「いい」とだけ口にした。
おおお、何だ、散歩禁止令が出たわけではなかったのか!
それはよかった、と胸を撫で下ろし、邪魔をして悪かったなとぽすぽす腕を叩いて、さあもう部屋に戻れと大きな体をドアの向こうに押し込む。今度はきっちりと鍵をかけてやるから安心したまえなのだ。
シュヴェルツは少し悩む素振りを見せた後に「リツ」と私の名前を呼んで、私の前に跪いて視線を合わせた。何なのだ、気持ち悪いな。

思いっきり眉を顰めると、シュヴェルツは両手でそっと私の両頬を包み込んで、やはり胸焼けのしそうな甘い声で何かを口にした。
何のサービスなのか知らないが、こういうサービスはあの恋人辺りにやってあげたほうがいいと思うぞ。私は全く嬉しくないから。
しかしもしかしたら恋人の前では照れてなかなかできないからちょっくら練習させてくれ、ということなのかもしれない。
私は鳥肌が立つのを我慢して、うむうむと頷いてシュヴェルツの言葉を聞いてやった。散歩を許してくれたお礼である。

そうしてたっぷり5分は経過したかという頃、やっとシュヴェルツは甘い言葉を吐く練習を終えたらしく、満足げに口を閉じた。
対して私はげっそりしつつ「もういいだろう」とシュヴェルツから離れようとする。
もし言葉が通じていたらうっとりしていたかもしれないが、理解できない言葉で甘い言葉を囁かれても全くうっとりできない。
しかもシュヴェルツはキスさえも練習しようとしてきたので、私はとりあえずビンタを一発食らわせてそこまでする必要は無いだろうと怒鳴りつけておいた。そんなことは恋人とだけやればいいのだ!この節操無しが!



















この王宮の庭というのはとんでもなく広く、よくニュースで例えられる東京ドームにすると10個分くらいはありそうな広さをしている。
いや、正直東京ドームの広さがどれほどのものかさっぱり分からないので適当だが、とにかく広いのである。
各所に休憩所のような場所や噴水、花壇、時々花の迷路のようのものまであって、そのどれもが本当に綺麗なのだ。
クラスメイトの美緒ちゃん(清純派美少女)だったら、きっとほんのりと頬を染めて「わあ、すてき」なんて言うのだろうが、私は心の中で「すごいな、お金かかってるんだろうなぁ。でもどうせなら食べられるものを植えたらいいのになぁ」なんて考えていた。

いやはやしかし、木登りができたり、せめてブランコがあったりしないものかとふらふらしているのだが、あるのは花ばかり。
これはなかなか面白くない庭だな。もっと遊具を作ればいいのに―――そう思いつつメイドさん達と一緒に庭を散策していると、遠くに見たことのある綺麗な後姿が見えた。
遠くからでも分かる眩いブロンドと、どこの役者だというような白い騎士服は、間違いなくシャーロットのものである。
今日はきっちりとした身なりで、流れるような動作で剣を振るっている。
どうやらお稽古中のようで、よくよく見れば周囲に十数人の男の人がいる。シャーロットの眩しいブロンドに、メイドさんたちはほうっと感嘆の息を吐いた。
その中でアリーだけが一人、少し咎めるような声音で私を呼ぶ。ちなみにリアンはいつも通り無表情だ。

「リツ様」
「しゃーろっと」
シャーロットがいるぞ、と視線を向けると、アリーは困ったように眉を顰めた。
「リツ様。シュヴェルツ様がセルロワ様には近付かないようにとおっしゃっていらっしゃいましたが……」
「しゅべるつ……」

シュヴェルツの名前に思わず顔を歪める。
どうせまたろくでもないことをメイドさん達に言いつけたのだろう。
私はシュヴェルツの権力の乱用っぷりに呆れつつ、シャーロットの視界に入るほどまで近付いた。
剣を振るいながら、おや、という表情を浮かべたシャーロットに向けて右手をひらりと上げてみせる。
するとシャーロットは相手の剣をひらりと木の葉のように受け流し、そしてカンカンっと刃がぶつかる音が一つ二つ聞こえたと思ったら、相手の剣は少し離れた地面に突き刺さっていたのである。

素晴らしい剣技に思わずぱちぱちと拍手をすると、少しばかり乱れた髪をかきあげて、シャーロットがやって来る。
神様が頑張って作り上げた綺麗な顔に浮かぶのは大輪の薔薇のような艶やかな微笑みで、私は心の底から『剣なんて振るわないで役者になればいいのに』と思った。
しかし今この目で見たとおり、シャーロットの剣の腕は素晴らしいものだったし、天は人に二物を与えずというが、あれは全くの嘘なのだなあとしみじみする。
そんなことを考えている間にシャーロットは「やあ、リツ様」と私の前に跪いた。
跪かれるのは、何となく嬉しい。変な意味ではなくて、こちらの人はみんな大きいから、普通に立って話していると首が痛くなるのだ。シャーロットが跪くと、私とちょうど目線が同じほどになる。
目を合わせての会話というのは、言いたいことが伝わりやすくて、嬉しい。

「しゃーろっと、ありがとう」
突然のお礼の言葉にシャーロットは不思議そうな表情を浮かべたが、すぐに綺麗な笑みと共に「いいえ」と言葉が返ってきた。
その後に何故か妙に甘い声で何かを告げられ、ついでにそっと手を持ち上げられて指先に口付けられた。
……もしかして、シャーロットも女の人を口説く練習がしたいのだろうか。
こちらの世界の男性というのは、みんな恋人の前に他の女の人で愛の言葉の練習をするものなのか?と首を傾げつつシャーロットの言葉をうんうんと聞いていると、顔を真っ赤にしたアリーが「セルロワ様!」と声を上げる。

「リツ様に対してそのような睦言を囁くなど何をお考えなのですか!」
「さて、私の方こそ、この可愛らしい姫君がどのようなことを考えていらっしゃるのか知りたいくらいだ。私のことを欠片ほどは想ってくださるかな?」
シャーロットはアリーに返答しながら、最後に私に意味ありげな視線を向けた。
意味が全く分からないので、とりあえず何事も勉強だと思い、紡がれた言葉を下手くそに復唱する。
「わたし、か、かんがるー?し、しー、たい?」
シャーロットは私の言葉に柔らかく目を細めた。そうして柔らかい視線のまま、再び甘い響きの言葉を紡ぐ。

アリーは真っ赤になって「おやめください!」と叫んでいたが、シャーロットはそれを面白がるようにして、殊更甘い響きの言葉を唇に乗せた。
ほんの少し掠れた、甘い美声。その声で名を呼ばれると、くすぐったくて仕方ない。
わっはっはと笑い出したいのを我慢して、うんうんと甘い言葉を聞き流す。

シャーロット、自信を持って好きな女性を口説いていいと思うぞ。意味がまったく分からない私でも、くすぐったさを耐えればドキドキしたに違いないのだから!
そう思いつつ、私は部下を労う上司のようにシャーロットの両肩をぽんぽんと叩いて、それではお稽古を頑張りたまえ、と日本語で応援して、じゃあと身を翻した。
近くにいたアリーの手を取り、元来た道を戻ろうとして、シャーロットに呼び止められる。

「リツ様、後でご一緒にお茶などいかがですか?」
うぐ、しまった。言われた言葉の意味がよく分からない。最後が上がっていたから、多分質問か何かだとは思うのだけど……と首を傾げると、シャーロットはカップを持ち上げて口元まで持ち上げるというジェスチャーをやってみせた。
あ、一緒にお茶でもしようという意味か?
「わたし、しゃーろっと?」
一緒に?という意味を込めて二人分の名前を紡ぐと、シャーロットは艶美に微笑む。
それはいいな、とにっこり笑って、こくこくと頷いた。けれどアリーは必死の形相で「それはいけません、リツ様!シュヴェルツ様が何とおっしゃるか……!」と言葉を紡いだ。

またシュヴェルツがわがままを言っているのか?何だというのだ、いったい。

あんな変態の言うことなんて聞かなくていいのだ!と思ったけれど、アリーがシャーロットに何かを言い募ると、シャーロットは「分かったよ」とでも言うように肩を竦めた。
「リツ様、残念ですがまた今度。王子も交えて、お茶でもしましょう」
くすぐるような甘い声でそう言われ、私は意味が分からないながらも「はい」と了承の言葉を返した。


そうしてシャーロットと別れ、朝の散歩を終えて部屋に戻ると、部屋の隅に何やら華美な装飾の木箱が置いてあった。
一面に草花が精緻に彫られ、飴色につやつやと光る木箱は、私一人くらいなら入れるくらいに大きい。
何だろうと不思議に思いつつ、それに近寄ると、上に綺麗なカードが添えられている。
それをぺらりと持ち上げて、きゅっと眉根を寄せた。

何て書いてあるのだ、これ。

文字らしきものが書かれているのだが、はっきり言って全く分からない。
私はそれをアリーに渡して、「なに?」と首を傾げた。
アリーは書かれた文字を視線でなぞり、ぱっと嬉しそうな表情を浮かべる。

「リツ様、シュヴェルツ様から贈り物のようですよ」
「しゅべるつ?」

シュヴェルツが何だって?と首を傾げると、アリーは「シュヴェルツ様から、リツ様に、贈り物です」と笑顔でゆっくり言葉を紡いだ。
ゆっくり言ってもらっても意味がよく分からないのだが、とりあえずシュヴェルツがこの邪魔な木箱を私の部屋に置いた犯人らしいということは、何となく分かる。
何でこんなものを、と瞬き3回分の時間で考えて、はっと目を見開く。

もしや、あの男!自分の部屋に物を置くスペースがないからといって、私の部屋に物を置こうというのではないだろうな!

それは許せぬ!と木箱をずりずりと引き摺って―――くそう、なかなか重いな―――、シュヴェルツの部屋と繋がるドアを開け、その隙間に木箱を押し込む。
腕で重いドアを支え、行儀が悪いと思いながらも足でその木箱をシュヴェルツの寝室に押し込んだ。
メイドさんたちはみんな「リツ様!それはシュヴェルツ様がリツ様に贈ってくださったものですよ!」「ああああ足蹴にするのはおやめくださいませ!」と騒がしかったが、駄目ったら駄目なのだ。
いくらシュヴェルツが偉い人間といえ、自分の部屋に入りきらないからといって、人の部屋に無断で私物を置くなんて許されることではないのだ!

そうしてしばらくの格闘の後、私はシュヴェルツの部屋に木箱を返すことに成功した。二人の部屋を繋ぐ扉に鍵までかけて、もう二度とこんな失礼なことをするんじゃないぞ!という意思を滲ませる。
ああそれにしてもいい汗をかいた、と額を拭った私と対照的に、メイドさんたちは「あああ……!」と真っ青になって、木箱を押し込んだドアを見つめていた。


心配しなくて大丈夫!
もしシュヴェルツがまたこんなことをしたら、私ががつんと言ってあげるのだ!あ、でも言葉は通じないから、がつんと拳で分からせてあげるのだ!任せておきたまえ!