花鬘<ハナカズラ> そしてその日の夜に、今度はシュヴェルツ自身が私の部屋までやって来た。 もうすでに寝る準備を終えていた私に、シュヴェルツは何故か妙に怒った表情でドレスだの髪飾りだのをがさりと手渡す。 細かな刺繍がしてあったり、綺麗な石が飾られているドレスはやけに重かったが、シュヴェルツの表情に私は何も言えなかった。な、何故怒っているのだ! 怒る必要は無いだろうと眉を寄せると、シュヴェルツは「いいか、これは、お前に、やったんだ」と噛んで含めるように、一言一言をはっきりと区切って言い切った。 そうして最後に、両手がドレスで塞がれた私の頬を嫌がらせのようにふにふにふにふにしてから自分の部屋へと戻っていく。 一瞬の内に行われたその嫌がらせに、私はめらめらっと復讐の炎を燃やした。 腕に抱えたドレス類をばさっと床に放り、シュヴェルツの部屋に突撃してやったわけである。 しかし。シュヴェルツの頬を摘み返すという復讐は無事やり遂げられることなく、「やめないかこのじゃじゃ馬」と叱られて部屋に戻されることとなった。 まったくもう、シュヴェルツのやつ!いつか絶対に復讐してやるのだ!頬をふにふにふにふにしてから、額にマジックで肉と書いてやるのだからな! ……なんて思ったのが、30分前のこと。 なんと私は、さっき復讐を誓ったはずのシュヴェルツと丸腰で対峙していた。 というのも、いつもは滅多にミスなどしないアリーが、私のベッドにこれでもかといわんばかりに飲み物を零してしまったのである。 アリーは焦り、メイドさんたちみんなも慌ててベッドを綺麗にしてくれようとしたけれど、ベッドに染み込んでしまった水分はどうにもならなかった。 メイドさんたちはみんな大変申し訳なさそうに、けれど何故かとても熱心に、シュヴェルツの部屋で寝ることをすすめてきたのである。 無論、最初はそんな馬鹿のようなことができるか!私はこのベッドで寝る!ダメだと言うのなら、床はふかふかの絨毯なのだから、別に床でも眠れる!と断固拒否したのだが、メイドさんたちの熱意はすごかった。 言葉は分からずとも、とにかくシュヴェルツの部屋に行け!という熱意はびしばしと伝わってきたのである。 ということで、半ば自室から追い出される形でシュヴェルツの部屋に突っ込まれた私は、部屋でお酒らしきものを飲んでいたシュヴェルツに、よう、と軽く手を上げて挨拶した。 ちなみにシュヴェルツは私が突然部屋にやってきたことに対して、別段驚いた様子は無い。どうやら少し前にメイドさん達が報告にでも来たらしかった。 シュヴェルツはソファに座って、優雅にグラスを傾けている。 すぐ傍にはお酌のためなのか、綺麗なメイドさんが二人もいて、私は『こんなところを昨晩の綺麗な恋人に見られたらどうするのだろう』と他人事ながら心配に思った。 私がシュヴェルツの恋人なら間違いなく「こんな美人に挟まれて何様のつもりだ!王様にでもなったつもりか!そこに直れ!教育しなおしてやる!」と叱りつける。 こんな美人たちには、本来ならシュヴェルツの相手をしてやっている暇は無いのだ。早くお家に帰って素敵な旦那さんや恋人と愛を語り合いたいに決まっているのだ。それをまったくシュヴェルツときたら!権力にものをいわせて美人な女の人を傍に置くなど、外道のすることだぞ! そんなことを思いつつ、私はシュヴェルツの座っているソファを通り過ぎ、枕を抱えたまま部屋の奥へと進む。 そこには大人5人くらいが大の字になって眠れそうな大きなベッドがあった。 そのベッドを見つめて、ううむ、と一つ唸り声を上げる。 このベッドで眠ってもいいのだろうか。 シュヴェルツには綺麗な恋人がいることは判明したが、先日から何度も妙なことをされそうになったし、さすがに同じベッドで眠るのはよくない気がする。私の貞操のことを考えてもよくないし、シュヴェルツの恋人さんの立場を考えるともっとよくない。 私なら、いくら自分が美人で、恋人が自分にめろめろだったとしても、他の女の人と一緒のベッドで寝たなんて知ったら大激怒する。言い訳をしようとする恋人に枕を投げつけ、本を投げつけ、テーブルをひっくり返して噛み付くくらいのことは絶対にする。 シュヴェルツが怒られるのは別に構わないが、あの綺麗なお姉さんが嫌な思いをするのかと思うと良心が痛む。というか、自分に置き換えてみると心底嫌な気分になるので、それはやめておきたい。 しかし、メイドさん達は意地でも私を自分の部屋で眠らせてくれなさそうだったし―――とそこまで考えたところで、シュヴェルツから「リツ」と声が掛かった。 何だ、と視線を移せば、シュヴェルツが物凄く微妙な表情で「とりあえず、座れ」と自分の正面の席を指す。 言っている意味がわからぬ、とふんぞり返れば、シュヴェルツは面倒臭そうに立ち上がって、ぴょいと私の両脇を抱えて、ソファに座らせた。 「いきなり抱き上げるなんて、失礼なことをするな!」とぷりぷりすればいいのか、それとも「言葉が通じないのだから、行動で示す。それはとても大事なことだ、よし撫でてやる!」と手を伸ばせばいいのかとても悩む。 悩みに悩み、とりあえずメイドさんが淹れてくれた淡い桜色をした飲み物に手を伸ばし、何の躊躇もなくそれに口をつけて、そして。 「飲めないのなら飲むな!」 ジュースかと思ったらお酒だったということで、思いっきり噴き出してしまったのである。 メイドさんは慌てて服を拭いてくれ、私はとりあえず『びっくりした』と自分の口元を拭った。ジュースだと思って口に含んだら、お酒独特の苦味が広がって、驚いたではないか。 シュヴェルツは上記のような言葉を発した後、メイドさんたちに服を拭いてもらっている私を見て、とても疲れたように溜息を落とした。 な、何なのだ、溜息など失礼な! そう思った私に、シュヴェルツはやはり疲れた様子で手を伸ばす。頬を摘まれるのかと慌ててガードすると―――何だか最近癖になってしまった気がする―――シュヴェルツはその大きな手でぐいと私の口元を拭った。 少し痛いくらいの力で口元を拭われて、ぐむ、と変な声が出る。 「面倒をかけるな」 「えん、どー?」 何と言った?と口を開く前に、シュヴェルツは何やらお母さんのような雰囲気で小言のような言葉を紡ぎだす。 口元を拭うだけではママとして物足りないのか、メイドさんたちに私の着替えまで用意させて、そして今から眠るというのに綺麗に身支度を整えさせて、そうしてやっと満足の息を吐いた。 ひらひらでふわふわの薄いネグリジェは妖精の纏う衣のように綺麗だし、この薄さにも慣れてきたけれど、こちらの世界の人間はどうして寝るだけなのにこんなものを着るのだろうと眉根を寄せる。 すーすーして落ち着かない、と裾を摘んでみると、シュヴェルツに「はしたない真似をするな!」と叱られた。……この怒りっぽさ、シュヴェルツは絶対にカルシウム不足である。 それよりもう疲れたし夜も遅いから寝たい。 そう思いつつごしごしと瞼を擦ると、シュヴェルツは途轍もなく可哀想なものを見る目で私を見つめた。 そうしてからメイドさんたちを下がらせて、まずは私の両脇を抱え、ソファから立たせる。 「…………………………寝るか」 シュヴェルツは何と言うか散々迷った挙句、たった一言だけを口にした。 その一言を選び出すのにどれだけ苦労したのか分からないけれど、とんでもなく疲れた様子である。年なのだろうか。 部屋の中には二人きりで、一歩前へ出ればシュヴェルツの胸板に頭突きまで出来てしまいそうな距離で、知らない単語を紡がれたものだから、私は一瞬「またいやらしいことをするつもりか、こいつ!」なんて思ってしまった。 けれど今のシュヴェルツの疲労っぷりと言ったら、田舎に住んでいるおじいちゃんの田植え後の姿を思い起こさせるくらいの色気の無さである。 自分の貞操がどうのより、腰痛は大丈夫だろうか、なんてことを考えてしまうくらいだ。 シュヴェルツは肩も凝ってそうだしな、なんて勝手に健康チェックをしていると、シュヴェルツは「来い」と寝室の方へ身を翻した。 言われた意味が分からず、きょとんとしてその姿を見つめていると、私が付いて来ないことに気付いたシュヴェルツが「さっさとしろ」と言わんばかりに、面倒くさそうな視線を向ける。 意味が分からないながらも、恐る恐るシュヴェルツに続くと、シュヴェルツは私が寝室に入ったのを確認してから、さっさとベッドに潜り込んだ。 こんな大きなベッドなのだから中央で大の字になって眠ればいいのに、何故かちょっぴり横にずれている。 「…………」 え、これはどうしろということなのだろう。 来いと言った(ような気がする)くせに、どうして自分ひとりだけでさっさと一人でベッドに潜り込むのだ。 シュヴェルツの行動がまったく理解できない。 しかし私も眠いし……そう思いつつ部屋の中をちらちらと見渡すと、部屋の隅にあるアンティーク調の椅子に、肌触りの良さそうなブランケットらしきものが掛かっているのが目に入った。 仕方ない。これを借りてソファで寝よう。 シュヴェルツの部屋のソファは私が足を伸ばしても眠れるくらいに大きく、座り心地もなかなかよいのだ。 そもそも床でも眠れる私なのだから、ソファで一晩眠ることなんて、何の支障もない。 ということで、私は日本語で『シュヴェルツ、このブランケット借りるからねー』と小声で告げて―――いくらシュヴェルツが相手といえど、眠ろうとしているところに大声を出しては申し訳ないからな!―――そろそろと寝室から逃げ出した。 そうしてさっきの部屋に戻り、ソファに身を沈めて、拝借したブランケットを被る。 これ一枚では少し寒いかもしれないと思ったけれど、いやいや、案外暖かいではないか。肌触りも気持ちいい。 ふあ、とあくびをすると、すぐに眠気が挨拶してくる。 羊の数なんて数えなくてもすぐに眠れることだろう。 私はゆっくりと目を閉じた。 |