花鬘<ハナカズラ>







やっとアリーと再会できて、『もう疲れたから、そろそろ部屋に戻ろう』と思ったのだが、私が連れて行かれたのはまたまた見たことの無い場所だった。
お城というものはどうしてこんなに無駄に広くて、分かりにくい造りをしているのだろう。
そんな不満を抱きつつ、メイドさんたちに促されるままに、一つの部屋の中に入る。
すると、部屋の中にいたのはシュヴェルツだったわけで、私はその険しい表情を見て嫌な予感を感じた。
しまった、と思ったときにはもう遅い。シュヴェルツは私に椅子に座るように命じ、険しい表情のまま口を開いたのである。

「そもそもいったいどうしたら一人はぐれて騎士宿舎などに迷い込むんだ、リツ」
「なに?」
「一人で勝手に動き回るなと散々言ったはずだ」
「なに?」
「しかもその裾はどこで引っ掛けてきた。破れているではないか」
「なに?」

シュヴェルツの遠慮の無さは、本当に驚くほどのものである。
普通、こっちが言葉を理解できないと分かっていたら、こういう無駄なお説教はしないのではないだろうか。
そもそもシュヴェルツは散歩をしてもいいと言ったのに、どうして叱られなくてはいけないのだ。
突然私がいなくなって心配しただろうメイドさんたちにはきちんと謝ったし、シュヴェルツに叱られる謂れはないはずなのだけど……なんて思いつつ、ちらりとシュヴェルツを見上げる。
ここで反論したら反論しただけ、このお説教タイムは長くなるに違いない。

仕方ない。ここはシュヴェルツの気が済むまでお説教させてあげよう。

そう思い、私は合いの手の「なに?」を入れることを忘れず、シュヴェルツに好きなだけお説教をさせてあげることにした。
言っている内容が全く分からないのに、シュヴェルツもよくやるなぁなんて思いながら。


そしてお説教が始まって十分ほど時間が経ったあと、何故かメドゥーサ―――どうやら本名はシャーロット何とかというらしいので、これからはシャーロットと呼ぶことにする―――がやって来た。
どうしたのかと首を傾げた私だったが、どうやらシャーロットもお説教のために呼ばれたらしい。シュヴェルツはシャーロットにも椅子に座るように命じた。

シャーロットは最初、私の隣に座ろうとしたのだが、その前にシュヴェルツはメイドさんに椅子を一脚、部屋の隅に運ばせ、「シャーロット、お前はあっちだ」というように指差したのである。しかし、こともあろうに女性に椅子を運ばせるとは何事だ。全く紳士ではないな、シュヴェルツ。

そんなシュヴェルツの言葉にメドゥーサ改めシャーロットは仕方ないなというように肩を竦めて、部屋の隅の椅子に腰掛けたのだ。
いい奴だな、シャーロット。私なら「何であんな隅っこに座らなくちゃだめなのだ!」と憤慨してぼこぼこにして、むしろシュヴェルツを部屋の隅に座らせるぞ。

ということで、私とシャーロットはシュヴェルツにお説教をされているわけだが―――しまった、眠い。
知らない言葉だと、お説教でも眠くなるのだなぁ。
そんなことをしみじみと思いながら、眠りやすい体勢に体を落ち着ける。
そうしてから少し俯き加減になり、いかにも「反省してます……しゅん」という雰囲気を醸し出しつつ、目を閉じた。

シュヴェルツのお説教タイムが終わるまでは眠って過ごそう。おやすみなさい。



そうして結局どうなったのか?―――決まっているだろう、そんなこと。
「神妙に話を聞いていると思ったら寝ているのか、この鳥頭!」

私が眠りの世界に落ちてから約十分後、シュヴェルツはそんな大声を上げて私を起こしたのである。
シャーロットは笑いを堪えているようで、アリーは「シュヴェルツ様、リツ様は今日久しぶりのお外で、その、お疲れになられたのでは」と何やら私を庇うように言葉を紡いだのだが、シュヴェルツは憤慨したままだ。
私は重い瞼を擦りながら、すまん、寝てた、とあくびを噛み殺した。さすがにあくびまでしてはシュヴェルツの怒りの炎を更に燃え上がらせることになってしまう。

そしていつの間にか―――おそらく私が眠っている間に―――、シュヴェルツのお説教はメイドさん達にまで向かっていたらしい。
これはいかん。私が悪い(かもしれない)のだから、メイドさん達を叱らずに私を叱って満足すればいいではないか。
しかしここでぎゃーぎゃー喚いてもシュヴェルツのお説教はやむはずがない。ということで、私はなるべく神妙な表情を浮かべて「しゅべるつ」と名を呼び、お説教に忙しいシュヴェルツの口の動きを止めた。

「しゅべるつ、もうしわけありませんでした」
ごめんなさい、といい子に謝ると、シュヴェルツは「本当に意味が分かって言っているんだろうな」と訝しげに眉を寄せる。
もう一度「もうしわけありませんでした」と、今度は頭を下げて謝ると、シュヴェルツはやっぱり疑うような視線を向けてきた。
まんじりともせずに何秒間も視線を合わせると、シュヴェルツは疲れたように、呆れたように息を吐き出す。

「もう二度とするな。分かったか」
「にど、する?」

どういう意味だと首を傾げると、シュヴェルツは舌打ちをしてからメイドさんに向き直って「リツから目を離すな。一人でどこかに行きそうなら縄で縛っても構わん」と何かを言い放った。
む、何か失礼なことを言っているのではないだろうなと眉を顰める。
しかしどうやら、やっとシュヴェルツの気は済んだらしい。「へや、いく、いい?」と尋ねると、シュヴェルツは「もう一人で歩き回るなよ」と頷いた。

そうしてメイドさん達と一緒に部屋に戻ろうとしたのだが、どうやらシュヴェルツが満足したのは私に対してのお説教だけで、シャーロットへのお説教は満足していないらしい。
私は「お互いに苦労するな」というような視線をシャーロットに向け、頑張って聞き流すのだぞ!とこっそり応援しておいた。
シャーロットは私の視線の意味を理解したように、小さく吹き出して「頑張るよ」というように肩を竦める。
それを確認してから、私はメイドさんと一緒に部屋を出たのだった。











そうして私はてっきり自分の部屋がある塔に向かうとばかり思っていたのだが、前を歩くメイドさんは何故か別の場所に向かっていた。
不思議に思いながら後をついて行くと、やっぱり私の部屋ではない部屋の前に辿りつく。

「……へや?」
ここ、私の部屋じゃないぞ。っていうか、この隣の部屋、シュヴェルツの部屋じゃない?とじろじろと隣の部屋のドアを見つめた。
妙に凝った装飾のドアは、たしかにあの夜に見たドアである。
どういうことなのかさっぱり分からないが、促されるままにシュヴェルツの隣の部屋へと足を踏み入れた。
部屋へ入ってみると、いつものティーセットはあるし、絵だけを見ていた本もあるし、アリーが弾いてくれるバイオリンに似た楽器も隅に置いてあった。
塔の部屋にあったものがこちらに持ち込まれたようで、いったいこれはどういうことなのだろうと首を捻る。

まるでお引越しでもしたようではないか。

何故今更になって部屋を替わるのか理解できないのだが、えええ、まさか今日からここで生活するとかいうのではなかろうな。
私はひとつ唸り声を上げてから、ぐうるりと視線を部屋の中に巡らせた。
丁寧に作られた調度品に囲まれた部屋は、あの塔の部屋よりは広々と感じる。
おそらくあの部屋より窓が大きく、光がたっぷりと入ってくるからだろう。しかし塔の部屋とは違ってお風呂やトイレは設置されておらず、どうやら他の場所まで移動せねばならないらしい。
メイドさんたちがそれぞれ部屋をちょこちょこと整えている間に、初めて入る部屋をうろちょろと動き回る。
アリーは私の後ろに付いて、ドアや窓を開ける手伝いをしてくれた。

部屋は2部屋に分かれていて、奥にある部屋は寝室になっている。
どちらの部屋の壁も柔らかなクリーム色を基調とした布製の壁紙が貼ってあってこの壁紙がとんでもなく可愛いのである。
小花柄で、淡いピンクやペパーミントグリーンをもう少し柔らかくした緑、それに金色まで使われている。
全然派手派手しくなく、可愛い。むしろ子供部屋のようにも思えるが、調度品の類は落ち着いた飴色をしている。チェストの取っ手なんて金色なのだが、え、ちょっとこれは金メッキなんだろうな。本物の金だったら怖すぎる、と私は恐る恐るチェストをちょんちょんとつついていた。

「リツ様、お開けいたしましょうか」
アリーに何か言葉をかけられ、首を傾げる。アリーは微笑んだまま、そっと取っ手に手をかけてチェストを開けた。
中には何やら色々と入っていて、そのどれもが塔の部屋で見かけたものである。
まさかとは思うのだが、もしかしてもしかしなくても、いつの間にかお引越しが行われていたのだろうか。
たしかに寝室の大人が3人は眠れるだろうベッドには、精緻な刺繍が可愛い、見慣れたベッドカバーがかかっていた。
ちなみにベッドは塔の部屋と同じく天蓋つきというやつで、最近これに慣れてきた自分がちょっぴり変な感じがする。1ヶ月前は畳の上で布団を引いて眠っていたはずなのに、今では天蓋付きベッドときたものだ。人生とはまったく分からないものである。

レースのカーテンと分厚い花柄のカーテンがかかった寝室は昼間だというのに薄暗い。
布の重さに奮闘しながら分厚いカーテンを引くと、窓からたっぷりと陽光が入ってきた。うむ、これでよし。
陰気臭い部屋では気が滅入ってしまうからな!
寝室の隅には私の世界から一緒に飛んできた鞄がそっと置かれていて、私は郷愁の思いを噛み締めながら鞄を抱き上げた。
鞄を開いて面白くないはずの教科書を開き、しばらくそれを眺めてから寝室を出た。ああ、こんなことならあんなに必死になって大学受験などするんじゃなかった。
せっかく大学生になって女子大生ライフをエンジョイしようとした途端にこの妙な世界に落っこちたのである。泣いても許されるに違いない。


そうして一通り部屋の中をうろうろした後に、明らかに変な位置に設置されているドアに手をかけた。
部屋に入ったときのドアではないし、何だろう?この意味の無いドア。と首を傾げながら。
勿論私の力では開かないので、アリーにお願いすると、彼女はちょっと困ったような顔をした。
そうしてから一応ドアを開けようとしてくれたのだが、がちゃっと音がする。どうやら向こうから鍵がかかっているらしい。

どういうことだと首を傾げる。
まあいいか、とすぐにそのドアから離れた私は、まさかこの頼りない一枚のドアがシュヴェルツの部屋と繋がっていて、しかも鍵をシュヴェルツが持っているなどとは思ってもみなかったのであった。
ふ、普通こういう場合は女子が鍵を持つべきだろう!鍵をよこせシュヴェルツ!いきなりキスするような変態に鍵を任せておくなどできるか!













***











「ゼフィー」
聞き慣れた声で名を呼ばれ、その男は振り返った。
振り返った先に居たのはいつも通り艶やかに笑んだシャーロットで、足を止めて振り返ったゼフィーに向けて軽く右手を上げる。
歩みを止めたゼフィーに並んだシャーロットは、やはり笑みを浮かべたまま「姫をお見かけしたよ」と軽い口調で言葉を紡ぐ。
ゼフィーは理解できないというように眉を顰めた。

「リツ様は塔の部屋にいらっしゃっただろう。―――ああ、いや、もう王子の部屋の隣に移ったのだったか。侍女達が大慌てで部屋を整えていたようだったが」
塔の部屋から王子の隣の部屋へと移る際にちらりと見かけたと、そういうことだろうか。
ゼフィーが不思議に思いながらシャーロットを見つめると、シャーロットはその視線を受けてくくっと珍しく笑った。
ゼフィーはシャーロットと随分親しいが、彼がこういう風に笑うのはなかなか珍しいことで、2度3度しか見たことが無かった。
シャーロットは肩を揺らしながら目じりに滲んだ涙を拭い、壁に寄りかかる。
はあと息を整えて、ゆっくりと赤い唇を開いた。

「いや、騎士宿舎で」
は?という言葉は唇から漏れただろうか。
ゼフィーにはシャーロットの言うことが全く理解できず、ただただ首を捻った。

「見間違いではないか」
「いや、間違いなく姫だった。彼女と共に王子にお説教まで食らってしまったことだし」

お説教!?とゼフィーはまったく珍しく素っ頓狂な声を上げてシャーロットを見つめる。
シャーロットはさらりと金の髪をかきあげて、ああと頷いた。
「何故だか供も連れず、お一人で騎士宿舎にいらっしゃった」
この言葉にゼフィーは再び「騎士宿舎!?」と素っ頓狂な声を上げる。全く理解できない。どこをどうしてもそのような事態になるわけがないからである。

「いや、私も戸を叩かれたときはてっきり掃除婦かと思ったのだけど、黒髪で黒目で年の頃は12、13で言葉が分からないようだったから、まさかと思い尋ねてみれば本人だった」
シャーロットは思い出し笑いを浮かべながらそう言ったが、ゼフィーは唸り声を上げて何たることだと頭を抱えた。
まさかこの話が嘘だとも冗談だとも思えないが、冗談でないなら更に悪い。何故うら若い娘が―――しかも王子の妻という身分の娘が―――男ばかりの騎士宿舎に一人で乗り込むのだ。
これが夜でなくて昼間でよかったと安堵もするが、それより何故そんなところに、というかそもそも何故外に!とゼフィーは全く理解できないようだった。

シャーロットはそんなゼフィーに「どうやら姫が籠の中の鳥では嫌で、少しばかり外に出て散歩でもしたいと王子におねだりしたらしい。まあそれは何とも少女らしい可愛らしい願いだとは思うのだけど、そこからどうしてか―――姫の侍女の話では花を愛でている間に姫の姿が突然見えなくなったと思ったら、姫は騎士宿舎に迷い込んでしまったらしい」と話してみせたのだが、ゼフィーにはよく理解できなかったようだ。
時間をかけて言葉を反芻し、最後に唸るような声を漏らした。

「どこをどうしても一人で騎士宿舎になど迷い込まないだろう」
まったくその通りである。「そもそも合わせて7人もついていて、どうして突然姿が見えなくなるということがあるんだ」と心底疑問に思ったらしいことを尋ねる。
シャーロットは「花摘みをしたいとおっしゃったらしくて、少し離れたところで控えていたら、どうやら姫は迷われてしまったらしい」と小さく言葉を紡ぐ。
つまりトイレに行って戻ろうとしたが戻れずに一人でうろうろしていたら騎士宿舎に迷い込んだとそういうことらしい。

ゼフィーはしばらく口を閉じたまま思案して、分かったと頷いた。
もう二度とあってはならないが、迷ったというのならば……仕方ないと思うしかない。
たしかに塔の部屋に閉じ込めておくのは少しばかり可哀想ではあるし、久しぶりの外に喜んではしゃぎすぎたのも年頃の娘らしく可愛らしいではないか。
ゼフィーはそう思うことにして、「―――それで」とシャーロットに真剣な瞳を向けた。アイスブルーの瞳とエメラルドの瞳が向き合って、そうしてシャーロットは艶美に微笑んだ。

「あれでは駄目だ」

シャーロットの言葉に、ゼフィーは何も言わない。
「どの系統においても、魔術の才の欠片もない。手を見た限りでは剣も握れぬだろうし、本人はドアの一つも開けられぬようだった。言葉も満足に扱えず、王子の隣に飾るにしては少しばかり花が足りない」
「……なかなか愛らしい方だとは思うが」
ゼフィーはどうやらあの小さな少女に幾分かの哀れみを抱いているようで、庇うようにそう言った。

いきなり親元から引き離され、言葉の分からない世界に連れて来られたのだ。塔の部屋で過ごし始め、しばらくは泣き暮らしたという話である。
ゼフィーには妹が一人いて、その妹がたいへん病弱で十八の誕生日を迎えることなく亡くなったために、特にリツのような小さな娘には心の底からの気を使うべきであると思っている。
小さな怪我の一つ、風邪の一つでさえ命を落としかねない。
とりあえず王子に平手をくらわせるくらいだからそんなものくらいで命を落とすとも思えないのだが、ゼフィーにとっては小さな娘はとにかく誰でも庇護の対象に入るらしい。

妹を溺愛していたゼフィーは、険しい表情を浮かべながら幼い日のまだ元気だった頃の妹を思い出した。
王子にまみえるまでは『お兄ちゃんとけっこんするの』などと言ってくれたのに、幼少の頃から顔貌の整った王子に初めてまみえた瞬間から『わたし、しゅべるつさまがすき』と言うのである。
あのときからゼフィーにとってシュヴェルツは一応仕えるべき主であると共に、妹の心をいとも簡単に奪っていったにっくき相手である。
妹が亡くなった今でもその心は変わらぬままである。相当執念深い。

そんなことまで思い出しているゼフィーから視線を外し、シャーロットは悩ましげに吐息を漏らした。
「私とて、彼女が王子の妃になるというのでなかったら……まあ少々おてんばだとはいえ、なかなか愛らしい少女だとは思うのだが、いずれ王妃になる方だと思うと、あまりにも頼りない。あれならば、そもそも異世界から召喚などすべきではなかった―――とは言ってはいけないのだろうけれどね」
肩を竦めて言葉を終え、そのまま身を翻した。
どうやら練習場に行くらしい。ゼフィーは一言だけ、その背に声を送った。


「それでも我々が迎えたのはリツ様だ。他の女性ではない。―――リツ様が、神が選ばれた、王子に最も必要な女性だ」

背を向けて歩いていくシャーロットはその声にひらりと手を振って返しただけで、歩みを止めることは無かった。
ゼフィーは見慣れた背中を見送って、深く息を吐いた。
今の言葉はシャーロットだけに向けて紡いだ言葉ではない。自分にも言い聞かせた言葉だ。
そうだ。彼女は王子と共にあるべき女性で、それを疑うなどしてはいけない。
自分たちで喚んでおいて、それで王子の隣に相応しくないなどとは思ってはいけない。
ゼフィーはもう一度息を吐き、そうしてからゆっくりと歩き始めたのだった。