花鬘<ハナカズラ> さて、ゼフィーとシャーロットが何やら小難しそうな会話をしている間、私は能天気にもぐーすかぴーと昼寝に興じていた。 長椅子で眠る私の傍にはリアンだけが控えていて、彼女は私が眠っている間刺繍をしていたらしく、むにゃむにゃと目を覚ますと、それはもう一幅の絵のような美しい姿があった。 年代物の高価そうな椅子にそっと腰掛け、一針一針丁寧に刺繍をほどこしていくリアンは、もの凄く綺麗だ。グレーの髪はたらりと長く、背筋はピンと伸びている。針を持つ指先は白く細く、伏せられた睫毛は驚くほど長い。 私が男だったら間違いなくどっきんと心臓を跳ねさせているに違いない美しさに、私は乙女らしく綺麗なものに対して素直にうっとりした。 リアンは私の視線に気付いたようにふと視線をこちらに向け、途中だった針と布をそっと置いてから私の長椅子の傍に跪いた。 「リツ様、お目覚めになられましたか?今、お飲み物をお持ちいたします」 おのみもの、という単語は何度か聞いたことがある。飲食物系の単語だったはずだ。 喉はからからに渇いていて、私は『食べものじゃなくて飲み物だったらいいなぁ』と思いながら夢うつつのまま頷いた。 ゆっくりと身を起こすと、リアンはそれを助けるようにそっと背に手を添える。 長椅子に座ってぼんやりしていると、リアンはそっと立ち上がってドアまで向かい、その向こうに何か言葉を投げかけた。 どうやら向こうに人がいて、向こうの人に『おのみもの』を持ってくるよう頼んだらしい。 それを眺めつつ欠伸をして、ぐうっと伸びをした。 今日は久しぶりにたくさん歩いたから疲れた、と長いドレスの上からふくらはぎをマッサージしていると、リアンが「私が」と言って足に触れようとしたので、慌てて足を引っ込める。 おそらくマッサージをしてくれようというのだろうが、まさかまさかそんなことさせられるはずがない。 リアンは全体的にほっそりしていて、勿論足もカモシカの足のように細いのだ。対して私は平均的な太さで、何と言うか、その―――恥ずかしい。 ダイエット願望は人並みにあるし、リアンは素晴らしいまでのモデル体系だ。さすがに若干の劣等感を感じてしまうのは乙女として仕方の無いことである。 というか、リアンだけではなく、メイドさんは総じて人並み以上に容姿が整っているのだ。 ここはモデル養成施設か何かなのか?というほどに美人で立ち居振る舞いも美しいので、普段の何気ない仕草の一つ一つにも思わずうっとりしてしまう。 私も頑張ったらこのくらい素敵になれるのだろうか、なんて考えている間に『おのみもの』はいつものメイドさんによって運ばれて来る。 私が起きたと知ってか、アリー以外のメイドさんはみんな部屋に入ってきた。 アリーは夜に必ず私の傍にいるので、こうして昼間から夕方にかけて休んでいるらしい。5人のメイドさんの中で一番親しんでいるのがアリーなので、私は彼女の不在をちょっぴり残念に思った。 しかし他のメイドさんたちもみんな優しく、ときどきお茶目で、まるでお姉さんが一気に5人もできたようだ。 それに、言葉を教わるようになってから、彼女たちとの距離もちょっと近付いた気がする。 たとえば、以前は自分一人だけでお茶をしなくてはいけなかったのが―――勿論誰かが用意してくれるのだが、私の分しか用意しないのである。そして私がお茶を終えるまで彼女たちはそっと控えているのだ―――、時々だけど、恐縮しながらも一緒にお茶をしてくれるようになった。 食事も一緒にと思うのだが、それだけはならぬというように拒否される。 しかしいつか食事も一緒にしてみせるぞ!と拳を握って決意の炎を燃やしていると、リツ様、と名前を呼ばれた。どうやら『おのみもの』は飲み物を指す言葉だったようだ。 受け取った上品なグラスには、果実を絞った飲み物が注がれていた。 お水がよかったのだが、どうもこの国では水を飲む風習がないのか何なのか、目覚めの一杯にはこうしてジュースの類が用意される。下手をするとお酒が出てくるのだ。 まあお酒と言っても勿論重いものではなくて、飲み口の軽い果実のお酒なのだが、正直に言うとあまり好きではない。というか私は未成年なので飲酒はダメ、ゼッタイ!なのである。まあ、こちらでは飲酒は二十歳になってから、などという決まりはないようだけれど。 文化の違いを感じるなぁ、なんて思いながらさっぱりとしたグレープフルーツに似た風味のジュースをゆっくりと飲み干して、ほうと息を吐く。 「ありがとうございます」 椅子に座ったまま、ぺこりと頭を下げてお礼を告げると、メイドさんは慌てて「リツ様、お願いですからそのようなことをなさらないでください」と懇願する。 最近では、どうやらこのメイドさんの態度が恐縮によるものだと分かってきた。 最初は驚いて『何かまずいことをしてしまったのか』と自分の行動を見直していたのだが、どうも彼女たちは私が「ありがとうございます」「もうしわけありません」と言って頭を下げようとするとこうした態度を見せるので、恐縮によるもので間違いないのだと思う。 どうして私なんかにそんな畏まるのだろうと心底疑問だが、まあそれは考えても分からないから置いておくとしよう。 飲み物と一緒に用意された小さな焼き菓子を齧ると部屋のドアが小さくノックされる。その音に、メイドさんの一人がドアに近寄り、向こうにいるのが誰なのかを確認してからドアを開けた。 そこに居たのは小奇麗な男の人で、完璧な微笑を浮かべて優雅に一礼した後、全く理解できない言葉をぺらぺらと口にする。その長ったらしい口上が終わったとき、リアンは「シュヴェルツ様がお食事をご一緒にと」と私にだけ聞こえるような小さな声でそう言った。 シュヴェルツ。しょくじ。 その二つの単語だけでも言いたいことは何となく分かる。 ―――シュヴェルツ、この前の朝、私がパンを奪ったことを根に持っているのだな……! 今更謝れというのだろうか。いやいや、でもあれはシュヴェルツが食べ物を粗末にした報いである。 まったくもってシュヴェルツが悪い!と結論づけて、私は「もうお説教は結構!」という意味を込めてノーの言葉を口にした。 その言葉に仰天したのは男の人だけではなく、メイドさんたちも揃って目を見開いた。 「リ、リツ様!そのようなことをおっしゃらずに!」 「そうですリツ様!そのようなことをおっしゃらず、さあ、お召し替えをして王子にリツ様の美しい姿を見ていただきましょう」 意味が分からないながらもメイドさんたちの必死の説得に負け、私は不承不承頷いた。 今日は何てお説教される日なのだと肩を落とす。 言葉を伝えに来た男の人は、私が嫌々ながら頷いたのを確認したあと、さっきの笑顔を取り戻して、短く口上を述べて深く礼をして帰って行った。 それと同時にメイドさんたちは大慌てで一層きらびやかなドレスを選び、私の服装を整える。下ろしていた髪は丁寧に梳られ、纏め上げられた。髪飾りもきらきらしいものが選ばれたが、物凄く重そうなので辞退しておく。 結局華奢な髪飾りだけが飾られ、薄く化粧まで施され、私は部屋を出ることになった。 しかしドレスというものは本当に不便だと、何度も思ったことを思いつつゆっくりと廊下を歩む。 踝でさえもちらりとも見えないほどの長さのドレスは、最初は何度も踏みつけて転んだものである。最近ではやっと慣れてきたが、それでも1日に1回は踏みつける。それはまったく慣れていないではないかという突っ込みはノーサンキューなのだ。 しかも、足はまったく見せないくせに、胸元はたっぷりと見せるのである。 これは常々胸の大きさについて悩んでいる私に対する嫌がらせだとしか思えない。 まあ、胸はきっとまだ成長途中なだけなのだ!と自分を慰めることができるのだが、身長の方はといえばここ数年、1センチも伸びていない。もう完全に成長期は去ってしまった。 そうするとやっぱり私はこの世界で一生このサイズで過ごすのだろうか。この世界の人たちは平均的に身長が高いというのに!だとすれば何たる地獄!もしこの世界で結婚なんかしてみろ。相手はロリコンなどと嘲笑されるに違いない。 でもきっと私が選ぶ旦那様なら、そんなこと気にせずに愛してくれるはず!なんてまだ見ぬ将来の旦那様に思いを馳せている間に、いつの間にか目的地に到着したようだ。開かれたドアの向こうには、一人ぽつんと席に着いたシュヴェルツ―――この変態が私の旦那様だなどとは思いも寄らない―――がいた。 シュヴェルツは私をまじまじと見つめ「いつもそういう姿をしていればどうだ」などと言う。 意味が分からないのでとりあえず「叱るなら叱れ」と仁王立ちになると、シュヴェルツは眉を顰めた。 「何をしている。座れ」 座るの単語が聞き取れ、私は嫌々ながら用意されている席についた。 しかし何なのだ、この雰囲気。もしかして一緒に食事をしようというのではないだろうな。 どうやらその通りらしく、席に着いてしばらくすると順々にお皿が運ばれてきた。 異世界でもこういうときの順番というのはだいたい同じらしく、オードブルから始まってメイン、デザート、のような形で進んでいく。 私が女の子だからか、それとも体が小さいからなのか、量はどれも控えめだが、種類が多い。全部食べきる頃にはお腹はいっぱいで、デザートなど無理やり詰め込んだ。 食事の間、会話は一切なし。 私はいったい何のためにここに呼ばれ、一緒に食事をしているのかと心底疑問に思った。 食事を終え、さてどうするべきなのかと首を捻る。 用事が済んだのなら戻ってもいいのかと思い、「しゅべるつ」と名前を呼ぶ。シュヴェルツは傾けていたグラスをテーブルに置いて私に視線を向けた。 「へや、あるく」 もうご飯は食べ終わったので部屋に戻ってもいいかと尋ねると、シュヴェルツは呆れたように息を吐く。 お前は何を言っているんだというような表情に、私はまだ何か用事があるのかと身構えた。やはりお説教か! まったくシュヴェルツのお説教癖はどうにかならないのか!なんて思った私の視線の先で、シュヴェルツは席を立ち、こちらに歩み寄ってくる。ファイティングポーズをとるべきかと悩みつつ私も立ち上がると、シュヴェルツは気持ち悪いくらいの優しさで―――しかしまったくの真顔で、背中にそっと手を回した。 思わずぎゃっと飛び上がりそうになった私は、しかしシュヴェルツに促されるまま廊下に出され、何故か二人で綺麗に整えられた庭園を歩くことになってしまった。 意味が分からない。分からなさ過ぎる。 まさか先日の続きでは!と戦慄する。 し、しかも部屋ではなくて夜の庭!何たる破廉恥!と私は顔を赤くするべきか青くするべきか大いに悩んだ。 とりあえずいつでも逃げられるように、大声を出せるように、股間に蹴りを入れられるようにとイメージトレーニングを行いつつ促されるままに歩んでいると、こじんまりとした東屋が視界に入る。 そうしてまたまた何故か、シュヴェルツと私は連れ立ってそこに設置されたベンチに腰掛けることになった。 しかし今日のシュヴェルツは優しすぎて気持ち悪い。さっきの食事に妙なものでも混ざっていたのではないだろうな。 それとももしかして私の女性らしさをやっと理解し、それ相応のレディー扱いをしなくてはならないことに気付いたのか……なんて考える私とシュヴェルツの間に言葉はない。 ただ、どこかから聞こえてくる流麗な楽器の音とさわさわと夜の涼しい―――正直言って涼しいどころか寒い。風邪を引いたらどうしてくれるのだ―――風に揺れる木の葉の音だけが耳をくすぐっていた。 月光に照らされる庭というのはなかなか風流でいいものだが、隣に居るのが人の唇を何度も奪った変態だと思うと、どうも落ち着かない。 しかも、なるべく間を開けて座ったはずのベンチは、いつの間にかぴったりと密着するように座っていた。 まさかシュヴェルツは私を口説こうとでも言うのか、だったら大変申し訳ないが私は変態には興味がないのだが、肩にそっと腕まで回してくる。 ここで逃げ帰ってもいいものかと、私には判断できなかった。 というか、何度もキスされておいて何だが、シュヴェルツみたいな美人が何故私に手を出そうとするのかが全く分からなかったのである。 シュヴェルツはどうやら偉い人のようでもあるし、こんなに美人なのだから、女の人なんて選り取り見取りだろう。それなのにわざわざ私を選ぶ理由は全く思いつかない。 変な冗談はやめろと部屋に戻ってもいいのだが、日本人として十数年間過ごしてきた私はどうも曖昧な態度をとってしまったらしい。 ここでビンタでも食らわせておけばよかったのに、初めての体験に「どうしたものか」と頭を悩ませてじっとしていたから、シュヴェルツはどうやら私が好意を抱いているなどと誤解したらしい。 何かあってからでは遅い。やっぱり部屋に戻ろう!と思い顔を上げたとき、まるでキスでもするような近さに綺麗な顔があったのだ。 その綺麗な顔が視界に入ったとき、私の脳裏には今までにシュヴェルツにされたキスの瞬間が過ぎった。 それと同時に脳から両手に指令が下りて、べちんと形のよい唇に両手で蓋をする。 そうしてシュヴェルツに「お前はいったいどういうつもりだ!拒むならそもそも散歩に誘った時点で拒め!」と叱られることになったのだが、勿論、言っている意味は全く分からなかったのだった。 |