第一話 木漏れ日降る森










小鳥のさえずり。揺れる木の葉。
森をひどく幻想的に見せる木漏れ日。

ぼんやりとした思考で、まず目に入ったのはそんな光景だった。
「……?」
木の葉の間から零れる光は暖かそうなのに、やけに肌寒い。
冷えた空気が体を包み、ぶるりと体が震えた。
ところどころにある水溜りを見て、ああ、雨が降ったから、それでこんなに肌寒いのか、と私はゆっくり瞬きをした。まだ、瞼が重い。
ひんやりとした空気を肌に感じながら、ゆっくりと上半身を起こした。
むっと鼻腔に広がる甘ったるい匂いの元を探るように、不思議に思いながら辺りを見渡す。

毒々しいほどのピンク色の花、それが、地面一面を隙間無く覆っていた。
自然にこんな色の花が咲くなんて、ひどい違和感を感じる。
甘すぎる香りも、色も、全て。狂ったような、花。
甘い香りに酔いそうになりながら、こくりと目線を下に下ろした。
「……なにこれ」
ぽつり、森に私の独り言が響いた。

こげ茶色の不思議な形をした、機能性に富んでそうなショートブーツに 厚めの生地で作られた膝丈のスカート。薄い黄色のブラウス。
現代日本に住んでいる女子高生の服装とは思えないような服装だ。
しかも、所々どころか全体に泥が付着している。
洗ったら落ちるのかな?なんて考えながら、手についた泥をスカートで拭った。
ここまで汚れてるんだから、別にいいだろうと自分に言い訳をしながら。



ふうむ、それにしてもどうしてこんな所で寝てるんだろう、と首を捻った。
「う?」
頭が重い、と不思議に思う。
ゆっくりとした動作で両手を持ち上げ、頭を触ると、三つ編みにされた髪に触れる。
それも、腰まで届くような長い髪だった。
……あれ?私の髪は肩までくらいしかなかったはずだけど。そう 不思議に思いながら、ぎゅむ、とそれをつかんでみる。
細すぎず太すぎず、痛んでなさそうな真っ黒の髪。日に焼けて茶色くなった私の髪とは大違いの綺麗な髪だった。
何が起こっているのかうまく理解できず、三つ編みにされたそれをぐいっと引っ張ってみると、何故か痛い。

「……んん?」
何これ。そう思いながら呆然とそれを眺めて、たっぷり5分後。
がーん、と頭上からたらいを落とされたようなショックが私を襲った。
「ぎゃー!」
あああああ、何?!これは、何ー?!
そう混乱した頭で叫ぶ。けれど返事などは全くなく、鳥達がどこかへ飛び立つ乾いた音と 風に木の葉が揺れる音だけが響いた。



痛い、何で、どうして。まさかこれ、私の髪なの?かつらとかじゃなくて?エクステとかじゃなくて?
混乱しながらも、落ち着きを取り戻そうと深呼吸をする。
すると、何故か体の節々が軋んだ。
筋肉痛?なんて思いながら服を捲り上げると、そこら中に打撲だとか擦り傷、切り傷がある。
こんな傷、つけた覚えが全く無い。髪といい傷といい、いったい私の体に何が起こったというのだろう。

「ひー……これはひどい。女の子の柔肌に……」
そう呟きながら、まじまじと自分の体を眺め、眉を顰める。
小さなものばかりだけど、それでも痛いものは痛い。
ちょい、と青痣に触ってみると、当然ながら痛かった。

痛い=どうやら夢ではなさそうだ、なんて思えるはずも無い。
きっとこれは夢で、今私はベッドから落ちるなり、棚から物が落ちてきて腹部に衝撃が走った なり、とにかくそんな体験をしているんだ。
と、そこまで考えたところで、何かが引っかかった。

「棚、から……?」
なんとなく頭に引っかかる単語だ。
ぎゅっと瞼を閉じて、ゆっくりと記憶を辿ってみる。
確か、日曜日。私は花の受験生なのでショッピングに出かけることもできず、仕方なく勉強をしていて? いつもみたいな雨が降ってて。で?
「……地震?」
多分、最後の記憶に当て嵌まるのは地震の記憶だろう。
思い出すのはグラリと地面が揺れる感覚。何かが体にぶつかる感覚。

……何かが体にぶつかる、感覚?
どんと重いものが体にぶつかる、目の前に星が散るような、その感覚を思い出して、私は真っ青になった。
「し、死んだ?」
ぽつりと零した言葉に不安になる。
じゃあここは天国?……まさか地獄?!
まさか死んでも痛みを感じるなんて!っていうか、天国か地獄か知らないけど案外普通なんだ。
あわあわしながら、視線をぐるりと回して辺りを見渡す。
やっぱり森だ。木ばっかりの森。ここが……天国?もしくは地獄?


どうしよう。天使のお迎えは来ないのかな、と空を見上げようとした。
ふわりと風が木の間を通る。
それに応えるように、さわ、と木の葉の揺れる音。
上を見つめると、他の木より一回りも二回りも大きな、それこそ天に届くほどの木があった。
きらきらと朝露を浴びて輝く木の葉がひどく美しい。暖かな木漏れ日も、私を落ち着かせてくれた。
神の恩恵を一身に受けたような大木と、その葉の間からちらちらと見え隠れする青い空。

それらをぼんやりと見上げていると、ぽたん、と頭の上に水滴が落ちた。
「うっ」
びくりと体を竦ませると、木の葉が微笑うように揺れる。


まさか齢17歳で死ぬなんて思ってなかったけれど、まあこういう終わりもあるかもしれない。
心残りと言えば、今までの私の受験における努力が無駄になったことか、いつか必要になった時の ために!と貯めてあったお年玉か、…そんなところだ。
そりゃあ、家族に悪いことしたなあ、とは思うけれど。そして物凄く生き返りたいけど。

―――もう、会えない。話もできない。

そう思うと、胸がぎゅーっと締め付けられて、ひどく苦しくなった。
「うぐ」
もっともっと親孝行しとけばよかった。
感謝してるって、大好きだって言っておけばよかった。
もっと、もっと、たくさん。
ぼろぼろと涙が零れて、それと同時に嗚咽も零れる。まさかこんなに突然死ぬなんて、思っても見なかった。

嫌だ。帰りたい。お母さん、お父さん。もうやだ。帰りたいよう。
涙が頬を伝う感触が気持ち悪くて、ぐいと泥のついていない部分で涙を拭う。
甘い匂いのする風が頬を撫でる。
さわさわ、さわさわ。慰めるように揺れる木の葉。
咲いていた真っ白の花が慰撫するように2つ3つ落ちてきた。

周りに咲いたピンクの花と比べたらなんとも貧相な花だけど、僅かな甘い香りがする。
ぽたりと落ちてきた花を360度、様々な角度から見て不思議に思った。
―――この花は、どうして落ちてきたんだろう。
どこにも痛んだ様子が無く、風で落ちるにはちょっと風の勢いが足りなかったように思える。
そういえば、綺麗なうちに落ちる種類もあったっけ、と無理やり納得した。



いよし!と言葉に出して立ち上がる。
筋肉痛に打撲、擦り傷、切り傷が痛んだが無視して、大きく深呼吸をした。
相変わらずあまったるい香りを放つピンクの花から目を離して上を見上げる。
茂った木の葉の間から、ちらりと青い空が見えた。

「とにかく、誰かに会わなくちゃ!」
元気を出すために、大きな声でそう言った。
甘い香りを払うような、強い風。その風に長い髪が靡いた。
―――風が、行き先を教えてくれているような。

決めた。向かうのは、風が吹いた先。
さっきの強い風で、私の中のもやもやが全部どこかに消えてしまった気がする。
軽くなった心と足取り。さらりと流れる横髪を耳にかけて、前を見据える。
置いていくのは勿体無い気がして、真っ白の花をポケットに突っ込んで、一歩を踏み出した。

森が静かに、美しく歌っていた。
何かを歓迎するように、拒むように。風に乗せて、木の葉を揺らして。
そうっと、さわさわと。