第十四話 二人と一人








リィは何も言わず、頷くことも首を横に振ることもしなかったけれど、ガインはそれを了承ととったのか、そのまま更に森の奥へと進み始めた。
後ろを振り返ると、遠くにちらちらと木々や家が燃えているような明かりが見えたが、ガインが危惧するように誰かが追ってくるような気配はない。……多分。私が鈍いだけかもしれないけれど。
私は動こうとしないリィの手を引き、ガインの後に続いた。リィの手は、少し冷たかった。

がさがさと草を踏む音がうるさい。そんな中、ガインはぽつぽつと言葉を紡ぐ。
それは私にとってはまるで真実味がなく、物語のような話だった。

「<石を創る者>には、本当ならフィンがなるはずだった。そもそも<石を創る者>は巫女がなるものなんだから、マッティ、お前に役が回ってきたのは今でも冗談だとしか思えない」
私にとってはいきなり異世界に、しかも他人の体に入ってしまったことの方が冗談にしか思えない。
内心でそう突っ込みを入れながら、しかし「うん」と頷いて話を促す。
「フィンは勿論反対したけど、神殿の他の誰も異論は認めなかった。そのときの<石を創る者>だった前司祭がフィンよりマッティの方が向いてるっつったんだから、誰も反対なんてするはずがなかった」
ふうん、マッティってすごいんだな。
今の自分がマッティだということはすっかり忘れ、私はそんなことを思った。

「前司祭の言ったとおりマッティにはその才があったらしくて、上の連中は<石>の力が強まったっつって喜んだらしいな。―――それが悪かったんだろう。人間っつーのは自分より秀でている人間は妬ましく思うもんだ」
そこまで言葉を紡ぎ、ガインは一度こちらを振り返った。
「前司祭は、マッティを殺そうとした」
げっ、本当?そう思いつつ眉を顰めると、ガインは「本当に覚えてないんだな」と呟くような言葉を口にする。
覚えてないんだな。―――その言葉にきょとんとすると、ガインは「だから神殿の連中は……俺達は、前司祭を殺した。ちょうど白の季節だったから、都合がよかった。贄にもなる」と言葉を続けた。

簡単に紡がれた殺すだの贄だのという言葉に、私の頭はうまくついていかない。
とにかくこの村はちょっとどころかかなりおかしいのだと、そういうことだけは分かったけれど。



「マッティもリィも覚えてないだろうが、そもそも俺は元々ここの人間じゃない。6つのときにこの村に来ただけの余所者だ。だから俺は、異端だった」
余所者。異端。冷たい響きをしたその単語に変な違和感を覚えた。
私の今までの生活には、あまり馴染みのない単語だったのだ。
「俺もガキだったからあんまり覚えてないけど、どこかから、もしくは誰かから逃げていて、その途中で一緒に逃げていたはずの母親が死んだ。それでも逃げて、逃げて、逃げて、そして気が付いたらこの村にいた。ラズロの話だと山の中に落ちてたから拾われたらしい。拾われて、で、俺は神殿で暮らすことになった。勿論このときは何も知らなかった」
ぱきり、ガインは小枝を踏んだ。

「しばらく神殿で暮らして畑作業だの神殿内の掃除だの靴磨きだの、何でもやった。ま、余所者だから疎まれてたのは分かってたけど、神殿を出てもどうしようもなかったしな。他に行くところも頼れる人間もいないんだから、耐える他なかったっつーか、まあ、適度に手ぇ抜いてたけど」
かさり、私が草を踏む。ガインは前を見つめたまま、歩みを止めない。
けれどリィは歩みを止めた。
ぐっと繋いだ手に力を込められ、引っ張られる。うわ、なんて言葉を零して私はリィにぶつかった。
いきなり歩みを止めたリィと、それに引き摺られて歩みを止めた私に気付き、ガインはこちらを振り向く。

「どうした。行くぞ」
ガインは訝し気にそう言い、私もリィの手を引いてやったけれど、リィはガインに真っ直ぐ視線を向けたまま動こうとしない。
首をかしげて「リィ?」と名前を呼ぶと、リィはぐいと私の手を引っ張って、何故か自分の背に庇うようにした。
え、何。どうしたのだ。敵でも出たのか?
そう思いつつきょろきょろと辺りを見渡すと、リィは「ガインは神殿側の人間ってことだろう。信用できない」と硬い声で言葉を紡いだ。
その言葉にきょとんとしたのは私だけで、ガインは「まあたしかに神殿には世話になったかもな」と頷く。
ガインの肯定に、リィはざりっと音をたてて後ずさった。

「だったら付いて行けない」
「俺が完全に神殿側の人間だったらわざわざこんなことすると思うか?あんときお前ら放っときゃそれで終わりだっただろうが」
「罠かもしれないだろう。だいたい、何でガインは僕たちを助けようとするんだ」
「別にリィを助けようと思ったわけじゃねえ。嫌ならお前はここに残れよ、リィ。マッティまでお前に付き合わせるな」
「なっ……僕は!」
「行くぞマッティ。リィはもう放っとけ。どうせリィ一人なら見つかっても殺されやしない」
「ふざけるな!ガインこそ、」

ガインとリィの言い争いは収まる気配がない。
さっきはさっきでこれから街道に下りるか山を下るかで喧嘩してたし、この二人は何でこんなに仲が良くないんだろう。
仲が良くないというか、妙に意見が衝突するんだよな。そこは性格の違いというところなんだろうか。しかし二人とも折れることを知らないというか……と、そこまで考えたところで、私は「ちょっと」と口を開いた。

「ちょっといい加減にしなよ。二人ともマッティが大好きで守ってあげたいのは分かったけど、何でそう喧嘩腰なの?こういう緊急事態で頭に血が上ってて正常な判断ができないって言うなら一発殴ってやるからちょっとしゃがんでよ」
ぐっと拳を握ってそう言うと、二人はぴたりと口を閉ざす。
二人を交互に見つめて息を吐き、「私は」とリィと手を繋いだままガインの方へと一歩を踏み出した。

「私はこんな他人の体で死にたくないの。死ぬなら畳の上で我が子に看取られたいの。ということで喧嘩するなら後にして。マッティが戻ってきてから二人でマッティに求愛でも『俺はこうやってお前を守ったんだぜ!』っていうアプローチでも何でもすればいいけど、今の私はマッティじゃないの。隣のクラスの超格好いいナイト様、蓮井君が好きなの。―――分かったらさっさと行くぞ!」
ついうっかり名前まで出してしまった憧れの人だが、二人はぎょっとしたようだった。
誰だそれと言われたが、二人に説明しても分かるはずがない。マッティじゃなくて私のことなんだから放っておいてほしい。
説明して欲しいなら、恋する乙女の視線で蓮井君の素敵さについて語ってみせるが、そんなことしてる場合じゃないんだろう。さっさと行くぞ、とリィの手を引き、前にいるガインの隣に並ぶ。

二人とも互いに言いたいことはあるようだが、それでもマッティという存在はそれほど大きいのか、鶴の一声というように二人は再び前へと進み始める。
獣道は随分と歩きにくいが、前を歩くガインが適当に道を作ってくれるので、何とか歩くことはできた。
泥を被ったブーツは薄汚れてはいるが、歩きやすいことは歩きやすい。
渋るリィの手を引き、私は前を歩くガインに「それで」と言葉を投げかけた。

「それで、ガインがこんなことしてくれる理由は何?メリットは?神殿側の人間なんだったら、こんなことしたらそれこそもう二度と戻れないんじゃないの?」
私の質問に、ガインは背中に哀愁を漂わせる。
「お前、鋭いのか鈍いのか馬鹿なのか、いったいどっちなんだ。……自分で言ったんだろ」
「えっ、じゃあ本気でマッティが好きだからこんなことしてるの?」
それはすごい。まるでドラマや漫画や映画のような愛だな、なんて思った。
愛する人のために家―――今の場合は神殿だけど―――を捨てるのか。愛に生きる男だな、ガイン。
ガインの言葉に気が気でないのはリィで、咎めるように繋いだ手に力を込められる。そういえばマッティとリィは夫婦なのだった。

今まで彼氏の一人もできなかった私としては、いきなり二人の男性に好意を持たれるという状況になったわけで、何とも言えない微妙な気分になる。
だって二人が好きなのは私じゃなくてマッティなのだ。
一人はマッティのために家を捨てるという情熱家で、もう一人は時々失言をするものの危ないときはちゃんと自分の背に庇ってくれる旦那様という、第三者視点ではなかなか羨ましい状況であるだけに、相当空しい気分になる。

あっちの世界の私は死んだんだろうか。私はこの世界で暮らしていかなくちゃだめなんだろうか。
どう考えても元の世界よりは未発達なこの世界での生活を思うとどうしても憂鬱になるし、しかも他人の体だし、どうせならいっそ一思いに死なせて欲しかったなどと思ってしまう。
せめて自分の体であったならよかったのに。
この体の持ち主、マッティには旦那はいるし旦那以外に自分を想う男の人はいるし魔女だとか<石を創る者>だとか……何でこんな妙な経歴の人間の体に私が、とそこまで思ったところでガインははっと息を飲んでリィと私をぐいと引っ張った。
大きな木の陰に押し付けられ、リィと私はぐっと潰されそうになった。ちょ、ちょ、ちょ、リィの手がちょうど私の胸の辺りに!
ぎゃあっと悲鳴を上げそうになった私を、けれどリィもはっと息を飲んで抱き寄せる。
いったい何だというのだこの破廉恥やろう!若干涙目になった私は、けれど響いた静かに通る声のせいでぎくりと体を固まらせた。


「―――ガイン、裏切るつもりか?」


その声はまるで氷の剣のように冷ややかで、鋭く、森の空気を切り裂く。
小学校のときに見ていたアニメの凄く格好いい悪役の声に似ている、などと言ったら怒られるだろうか。
私はやけに冷えた空気の中、そんなことを思った。