第十三話 逃亡








リィは一度、どこから話そうかというように視線をうろつかせた。
そうしてから、ぱちぱちと瞬きをしてリィの言葉を待つ私を見つめ、口を開く。
「……この村は、色々と特殊なんだ。<石>と、そして国の要とも言える神木がある。この神木が問題なんだ。村を淀ませる、その全ての原因と言っていい。あの神木は人の血を好むからね」
そこまで言って、リィはガインに視線を向けた。
この先を話すかどうか迷っているのか、瞳がちらりと揺れる。
けれどガインはそんなリィに顎をしゃくってみせて、話を促した。ガインの仕草にリィは諦めたように息を吐き、再び私を見つめる。

「神木は、時の移ろいと共に咲かせる花の色を変える。それは知ってる?」
リィの言葉に、首を横に振る。そんなこと知るわけがない。
っていうか、と前置きをして、私はリィに視線を向ける。
神木。その言葉で頭に思い浮かんだのは、私が目を覚ましたときにすぐ傍にあった大きな木だ。
「神木って、あの、白い花の咲く大きい木?」
「ああ、そうだ。そう……もう、白の時期だ」
リィの言葉には幾分か苦いものが含められていて、私は思わず首を捻る。

白の時期って、何?

「神木の花は、普通は赤い。血を塗りこめたような赤をしている。けれど数年をかけてゆっくりと白に近付いてゆくんだ。真紅が、桃色に、桜色に、そして最後には白くなる。それが、合図だ」
何の、と思わず口をついてでてきた言葉に、リィは表情を消した。
「祭の、……贄の儀式の、合図」
吐き出すように紡がれた言葉の意味がよく理解できず、思わず「にえ?」と口にする。
にえ、ニエ……贄?生贄とか、そういう意味?
ぱちぱちと瞬きをする私から視線を外して、リィは小さく息を吐き出した。

「そう、贄。人を捧げて、そして神木にその血を与える。そして村の加護を願う。たとえば地震や日照りによる水不足や、多くの天災から逃れるために」
ぽかんと口を開けて固まる私を一瞥して、リィは暗い目をする。
「馬鹿らしいと思わないか?」
「お、思う」
っていうか、ありえない、そんなの。
ときは21世紀。カミサマだのイケニエだの、そういうのはそろそろ卒業してもいいのではないかしら。
別にそういう存在を信じるなとは言わないけれど、それは人に迷惑をかけない程度なら、の話だ。

贄なんて、そんなのは馬鹿げている。

「けれどこの村の人間はほとんどがそうは思わない。もう何十年も、何百年も続いてきたものだから」
はあ、なるほど。そう思いながら、こくこくと頷く。
悪しき風習ってやつだな。―――そんな風に軽く考えることができるのは、あまり実感がないせいだ。

「……それに、」
そう言ったのは、ガインだ。
神木のあるであろう辺りに視線を向けて、ガインは半ば独り言のように言葉を紡ぐ。
「それに、最近はその周期が短い」
「……神木の花が白くなる、っていう、周期?っていうか、今の話聞いてると、イケニエを奉げたら花が赤くなるみたい、なんだけど」
まさかそんなことあるはずなかろうと思いつつ、こてりと首を傾げて問うと、ガインは小さく頷いた。
「そうだ。贄を奉げれば、数日後には花は元の通りに赤くなる。そしてすべての厄災から逃れられると言われている。この周期は少なくとも書物に残っている記録で見る限り、100年前は10年に1度。多くても5年に1度ってところだった。なのに」
そこで一度言葉を切り、ガインは声を潜める。
「今では、1年に1度だ。下手をすればそれ以上」
「い、1年に1回も人を殺してるの?」
恐る恐る口に出した言葉に、二人はそうだと頷いた。
町ぐるみで1年に1度の人殺し。しかも理由がカミサマに捧げるため。それは、現代の日本に生き、宗教やカミサマなんてものをほとんど意識したことのない女子高生にはどうしても理解できない事実だった。


うんうんと唸りつつ、今まで話してもらった話を自分の脳内に刻みつけ、そうして、首を傾げる。
「で。それが魔女狩り云々って話とどう関係するの?」
私の言葉に、ガインは小さく笑みを作った。嘲るような、笑みだった。
「そろそろうちの国も贄の儀式を無くしたいんだとよ。特にうちの村は回数が多い。国からせめて回数を減らせと言ってきた」
おお、それはよいことである。基本的に文化の違いは容認するべきだとは思うが、イケニエはやっぱりまずいだろう。
うんうんと大きく頷いた私の正面で「だが」とガインが口にする。

「神殿にとってはそれは喜ばしくないことらしい。儀式の回数を減らすなんてそんなことできるかと拒否したものの、相手は国だ。回数を減らすことさえもできねえっつーなら、軍を向かわせるとまで言ってきたらしい。…………うちの村の神殿側は国に従って儀式をやめるよりは、他国に<石>を渡してでも儀式を続けたいんだとよ。どうせ首謀者はラズロとフィンだろ―――しっかし、本気でやるとはな。山を越えりゃ国境とは言え、あいつら本気かよ。何考えてんだ」
「……誰と誰?」
「ラズロとフィ……ああ、そうか、分からないんだったな。司祭とその妾だ」
ハッと笑ってそう言ったガインに、リィは咎めるような視線を向け「フィンはガインの妻だろう」と呟いた。

「司祭、が、ラズロ。その妾……て誰。私の知らない人?」
司祭様は分かったが、その妾と言われても。しかもその女性がガインの奥さんってどういうことなのだ。
異世界の恋愛事情はサッパリ分からない。
一夫多妻制ならぬ、多夫一妻制ということなのだろうか。それは私の生まれ育った世界ではなかなかお目にかかれなかった制度である。すごいな、異世界。

私が多夫一妻制に感動して「ほう」と頷くと、ガインは「言っておくが、多夫一妻制なんだものじゃないからな」と眉を顰めながら口にする。
え、違うのか。だったら浮気か、と私は何だか申し訳ない気分になった。ガイン、浮気されているのか。そんな話をさせて申し訳ない。
もぞもぞした私に、ガインは訝し気な視線を向けて、口を開く。

「マッティ、お前もフィンには何度も会っただろ」
ガインは私を見つめながらそう言って、短く刈り上げた髪をがしがしと掻く。困った、と言わんばかりに。
私は珍しい表情のガインを見つめつつ、こちらの世界に来てから出会った人達の顔を順々に思い出そうとした。
けれど言葉を交わした人間はひどく少なく、片手で足るほどである。
ガイン、リィ、そして美人なお姉さんと、司祭様。そのくらいだ。
その他に居たか?と考え、ぽくぽくぽく、と三拍分のときが流れる。そして「まさか」と思いつつ、私は口を開いた。

「まさかとは思うけど、フィンって、あの、美人のお姉さん?」
何度も会ったことのある女性といえば、彼女しか思い当たらない。
そうだと頷かれ、あの美人が!と驚愕する。
あの美人が、あれだけの美人が、言っては悪いがかなりお年を召していた様子の司祭様とらぶらぶいちゃいちゃしているというのか。
想像できない、というか想像したくない。あの美人とガインなら、まあそれなりにお似合いのカップルだと思えるが、齢40か50は超えていそうな司祭様で相手となれば、ちょっと、その、乙女の美的妄想からは外れてしまう。
年の割に素敵だったとは思うし、あんなお父さんがいたらなかなか自慢かもしれないとは思うけれど……なんて考えた私を見つめる2対の視線は真剣そのもので、私は慌てて背筋を正した。

今はらぶらぶいちゃいちゃがどうの、とか考えているときではない。
司祭様とあの美人さんが隣国にこの村を売った、というのが問題なのである。
しかしながらイケニエがどうのとか、軍がどうのとか……平和な学校生活を送っていた私には想像できる話ではなく、私は思いっきり眉根を寄せた。
いかにも考えています、というような様子で腕まで組んだものの、やっぱり分からない。
私は「あの、もう一回簡単に説明して?」と間抜けにも頼み込んだ。

っていうか、ガイン、自分の奥さんが司祭様とらぶらぶいちゃいちゃしているって知っているのに、何で離婚しないの?大人の事情ってやつ?私なら絶対に嫌だ、そんなの。とりあえず相手をぶん殴って浮気相手もぶん殴って、それから離婚届をばしっと叩きつけてやりたい。慰謝料は勿論がっぽりいただきたい。
小難しい説明よりはこの手の話題の方がよっぽど考えやすい。思わずそんなことを考えた私に、ガインはブルーの瞳を瞬かせ、口を開く。

「言っただろ、魔女狩りだって」
いや、言われたけど意味が分からない。
そう突っ込むには、あまりに空気が硬く、私は何も言えずにとりあえず曖昧に頷いた。
曖昧さを美徳とする日本人にありがちな私の反応に、ガインは軽く息を吐く。

「魔女は<石を創る者>だ。<石を創る者>とは何か、一言で説明するなら、一国を簡単に滅ぼせるほどの力を秘めた<石>を創る者のこと。この<石>はこの国にとっては、最大の武器になる。そして勿論他国にとっては、最大の脅威となるだろう。おそらくオーヴェスト……ああ、隣国のことだが、オーヴェストには<石>は使えないが、それでもフィオレンテ……これは昨日リィに聞いたと思うけど、この国の名前だからな、マッティ。フィオレンテから力を奪うことはできる。<石>は一年に一度しか創ることができねえし、その効力も一年で途切れるから、これを奪えばオーヴェストにとってはまたとない好機になる」

……つまりはこの村の誰かが物凄い爆弾―――1年に1度しか作れない、しかも利用可能期間は1年だけという扱いずらい爆弾―――みたいなものを作っていて、その爆弾を隣国に渡す代わりに、イケニエの儀式を続けたいと……そういうことだろうか。
あまりにも簡単すぎる説明だが、纏めるとおそらくこのようなことになるのだろうと思う。
そこまでしてイケニエの儀式にこだわる理由がさっぱり分からない。私は首を傾げた。

「その<石>と<石を創る者>をオーヴェストに渡す。そうすりゃオーヴェストがこの村をフィオレンテから守ってくれるんだとさ。そうすりゃこの村は贄の儀式をやめずにすむんだと」
他の国に自分の村を、自分の国から守ってもらうのか。すごいな、それ。現代の地球で行われたら軍事介入がどうのとか、まずいことになりそうだが……こちらの世界では違うのだろうか。
ガインの言葉に再び曖昧に頷く。分かるような分からないような、微妙なところだ。
しかし、ガインは何でそんなこと知ってるんだろう。リィもそれが気になるらしく、訝しげな視線をガインに向けている。
ガインはその視線に気付かないのか、それともそういうふりをしているのか、気にせずに言葉を続けた。

「創り手は他の誰でもない、マッティだ。この魔女狩りは、マッティ、お前を狩るためのもんだ」
ええ?!という声は言葉になったのだろうか。私はかぱっと口を開けて固まった。

「な、何、えええ!?なん、何で?!私?!嫌だよ!ええ?!殺されるの?!」
私の大声に、ガインは焦ったように私の口を塞いで「でかい声出すな!」と小さな声で怒鳴りつけてくる。
リィもリィで「まさか、そんな……」と顔を蒼白にしているし、私は私で大混乱だし、この中でガインだけが何故か全てを知っている。
ガインは今の大声で場所がばれたかもしれないと眉を顰め、ぐいと私の腕を引いた。
私とリィを交互に見つめ、ガインは「全部話す」と言葉を紡ぎ、さっと立ち上がった。


「逃げながらだ。街道へ出る。―――文句はないか、リィ」

私にも聞きやがれ。とりあえずそう突っ込んでおいた。