花鬘<ハナカズラ>







初対面では人形のような男だと思ったが、シュヴェルツはやはり人間のようだ。
朝起きたばかりだというのに口煩く何かを言い続けるシュヴェルツを眺めつつ、私は大きなあくびをした。
大きなベッドの上で、私はネグリジェ、シュヴェルツはガウン一枚という何か間違いが起こってもおかしくない姿なのに、シュヴェルツはまるで朝帰りをした娘を叱るお父さんのような口ぶりで何かを口にしている。

ところでそろそろ朝ごはん食べない?お腹空かない?なんて思いつつ、お腹に手を置いた。
しかしシュヴェルツは気にせず何かを話し続ける。
遮るのも面倒で、適当に聞き流して十分ほどしたとき、扉を叩くノックの音が聞こえた。
シュヴェルツはお説教に夢中のようで、気付いてくれない。朝ご飯じゃないかな、とお腹がきゅうきゅうした。


「そもそも私とリツは昨日婚儀を終えたばかりで、本来なら昨晩は初夜だぞ、初夜。何度も言うが、誤解をするなよ。私は子供には全く興味が無いし、お前が妻で無ければ手は出さない。それに」
「しゅべるつ、しゅべるつ」
どれだけおしゃべり好きなのだ、この男。
そう思いつつぱすぽすと腕を叩いて、ノックされる扉を指差すと、シュヴェルツは口を閉ざしてベッドから立ち上がった。
そのまま長い足を動かして扉へと近付き、何かを口にする。
そうすると扉が開かれて、メイドさんが2人、部屋の中へ入ってきた。2台の銀色のカートには1人分ずつの朝食が乗せられている。

ごはんごはん!とわくわくしながらベッドから立ち上がってカートに近寄ると、シュヴェルツは「そこにいろ」と一言を言い放った。
意味が分からない、ご飯が食べたいのだ。
ふわふわでまっ白のパンをじっと見つめると、シュヴェルツは私の腰に両手を当ててぴょいと抱き上げ、そのまま再びベッドの上に降ろした。
そういえばこの世界では朝食はベッドの上で食べるのだったか、と思い出し、大人しくそのまま待機することにする。

しばらくじっとしていると、熱い紅茶も淹れられ、朝食がベッドの傍まで運ばれてきた。
『ベーコンがある』
2週間の間、修行僧か!というほど動物性たんぱく質を全く摂取していなかったので、この世界にはお肉やお魚、卵を食べる風習が無いのかと思っていたが、そうではないらしい。
私は少しばかり驚いて、シュヴェルツを見つめた。

「しゅべるつ」
「どうした」
これ、卵とかベーコンとかあるけど、食べてもいいのか?と首を傾げると、シュヴェルツは「卵だ」と言葉を口にした。

「たま?」
「卵。覚えろ。たまご、だ」
「たまぽ」
「たまご」
「たま、ご」

それでいいと頷かれ、お?と思った。
もしかして、シュヴェルツ、言葉を教えてくれるのだろうか。
じゃあこれは?と紅茶の入ったカップを指差す。シュヴェルツは「紅茶」と言葉を口にした。

「こーた」
「紅茶」
「こーちゃ」

次はこれ、とパンを指差す。シュヴェルツは少し迷う素振りを見せたが、それでも私に付き合ってやろうと思ったのか、パン、と口にする。
「ぱん」
じゃあ次はこれ、次はこれ、とお盆に乗った朝食を一通り指差し、名前を教えてもらうことになった。
一時間経っても終わる気配のない言葉の授業に痺れを切らしたのは私が先で、カーテンやベッドを指差して私に言葉を教えようとしていたシュヴェルツを振り切り、私は冷めた朝食に口をつけた。うう、スープが冷たい。
私が白パンを頬張る間も、シュヴェルツはお腹が空いていないのか、更に言葉を教えようとしてきたが、知らない振りをしておこう。

ちなみに余談だが、私は一度聞いたくらいで覚えられるような頭の持ち主ではないので、勿論ほとんどの単語を覚えることができなかった。
それでもとりあえず、この美味しいオムレツは『たまご』なのだということくらいは覚えたぞ、シュヴェルツ。













そうして朝食を摂り終わった後、部屋にアリーとリアンがやって来た。
オムレツにかかっていたトマトソースをネグリジェに零してしまったせいか、シュヴェルツは口煩く何かを言っているが、うるさいな。だったら最初からベッドの上でご飯なんて食べなければいいだろう。
私はこちらの世界に来て1週間ほどしたら、ベッドの上で朝食を摂るのをやめたぞ。零すから。
シュヴェルツの小言に似た響きの言葉を聞き流しつつ、デザートだった林檎らしき果物のコンポートを口に入れた。舌がとけそうなくらいに甘い。

「お早うございます、シュヴェルツ様、リツ様」
2人はそう言って綺麗な動作で礼をする。
これはやっぱり朝の挨拶、なんだよね。私も「おは……ござい、ます、ありー、りあん」と口にして、ぺこり、頭を下げた。
実は、こちらにやって来て3日目あたりにこれをやったことがあるのだが、そのときに凄い勢いで止められ、何か間違いを犯したのだと思い、これまでずっとやってこなかったのだ。
二人は前回と同じように慌てたが、シュヴェルツはそうではなかった。

頭を下げた私の首根っこを掴み「簡単に頭を下げるな」と言い放つ。
意味は全く分からずに首を傾げると、シュヴェルツは私をベッドから下ろし、床に立たせた。
そうしてからシュヴェルツは私の肩を掴んで胸を張らせ、顎を引かせ、「おはよう」と口にする。
アリーとリアンはシュヴェルツの行動におろおろしていたが、止めることはしない。私はシュヴェルツと同じように「おは、よ」と口にした。

「それでいい」
「そ、いい?」

シュヴェルツは私が言葉を理解できないと知っているはずなのに、容赦なく言葉を発する。
アリーとリアンは心配そうに私を見つめてきて、私はあっと思った。
これまで『メイドさん達はみんな無口なんだなぁ』と思っていたけれど、もしかして、私のせいだったのかもしれない。
こちらの世界にやって来て数日の間、混乱して混乱して暴れたことがあったのだ。メイドさん達はみんな優しく言葉をかけてくれたけれど、知らない言葉の響きが怖くてぎゃんぎゃんと泣いてしまったのである。
3日もすればどうにか混乱は収まったが、それ以降、メイドさん達は私に気を使うようにしてあまり言葉を紡がなくなってしまった。

もしかしてもしかしなくても私が原因である。
こ、これはどうにかして言葉を覚えねばならぬ。言葉が分からなくては今後の生活に支障がありすぎる。
アリーとリアンに頼もう、でも頼み方さえ分からない、と肩を落としたとき、シュヴェルツはぐいと私の顎を掴んで自分の方へ向かせた。首が痛い。

「リツ、言葉を覚えろ。他に覚えることは多々あれど、まずはそれだ。―――お前たちも、リツを甘やかすな。できるだけ早く言葉を覚えさせろ」
最後の言葉はアリーとリアンに向けられていて、二人は「承知いたしました」と綺麗に礼をとった。
同時に私は自分の顎を持ち上げるシュヴェルツの手を叩き落す。
シュヴェルツは一度動きを止め、「それともう少ししとやかに教育し直せ」と私の頬をうにうにと摘みながら言葉を紡いだ。痛い!

『痛いってば!昨日からいったい何のつもりだ!』
げしげしとシュヴェルツに蹴りを入れると、シュヴェルツは眉を顰めて私の足をぐいと持ち上げた。ちょっと、パンツが見えるではないか!
慌ててネグリジェを押さえつけると、シュヴェルツはふんと鼻で笑った。
腹立たしい!と眉をぎゅっと寄せた私のネグリジェを見て、アリーは驚いたように目を見開く。

「リ、リツ様、」
名前を呼んだアリーはほんのりと頬を染める。
何で赤くなるのだと首を傾げ、自分のネグリジェとシーツに滲んだトマトソースに気付いた。
まさか妙な誤解をされたのかもしれない。
シュヴェルツはアリーの様子に全く気付いた様子を見せず、とんと私の背中をアリーの方へと押す。


「父上と母上はこのことを知らないのだろう」
何と説明するべきか、と悩んだ様子のシュヴェルツに、けれどリアンは「いいえ、ご存知です」と平坦な声で言葉を紡いだ。
何だと!とシュヴェルツが大きな声を上げる。
「どういうことだ!」
「ゼフィー様が陛下にはご報告をなされたようです」
「またあの男か……!」
ぎりぎりと拳を握り締めながら言葉を紡いだシュヴェルツだったが、言葉の中にあった“ゼフィー”の名前に、よっぽど仲が悪いのだなぁなんて思う。

まったく、2人ともいい大人なのだから、少しくらい相手が気に入らなくてもにっこり笑っておけばいいのだ。わざわざ負の感情を表に出すなんて疲れるだろう。
いやはやしかし。図体はでかいがレディーへの対応は全くなっていないし、昨日の言い合いを思い出してみても、明らかにシュヴェルツはうちの中学2年の弟と同じくらい子供である。

未だにお姉様に物事を譲るということを知らぬ―――たとえばお土産の色んな種類のケーキを選ぶときとか、たとえば明らかに切り方を間違えた大きさがバラバラなケーキを選ぶときとか、対戦型のゲームのお気に入りのキャラクターの選択とか、絶対に譲ろうとしない―――小生意気な弟にシュヴェルツを重ね、ふへっと笑うと、シュヴェルツは何も分からないはずなのに、心の中で悪口を言われたことが分かったように私の頬を摘んだ。
だからこれが駄目なんだと何度言わせるのだ!


かくして私とシュヴェルツの初夜は清らかな朝を迎えたわけで、夜明けのコーヒーではなく夜明けのオムレツを堪能した私は、自室に戻って再びぐーかぐーかと眠ってしまった。
そのおかげで、何故か『めくるめく愛の夜をお過ごしになられて、お疲れになられたのだろう』と妙な誤解をされてしまったようなのだが―――ちょっとー!妙な誤解をしないで欲しいのだ!私はこんな変態と妙なことをする気など無い!