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花鬘<ハナカズラ>







翌朝、ざあざあと雨が地面を叩く音を感じながら、私はゆっくりと目を覚ました。
何だかとても楽しい夢を見ていた気がするのに、ちっとも内容を覚えていない。
そのことを残念に思いながら、ぐーっと伸びをする。
眠い目を擦り、ベッドから起き上がって、窓にかけられたカーテンを開けた。
外は恐ろしいくらいの大雨だ。空は一面灰色、湖も濁って見える。世界が滅亡するときは、きっとこんな天気に違いない。
そんな最悪の天候の中、それでも私は口元が緩むのを止められなかった。

今日、やっと、シュヴェルツのところに帰れる。

あまり認めたくないが、そう思うと心が沸き立って、何だか躍りだしたくなる。
早く会いたい。帰りたい。――シュヴェルツのところに。
昨日は、帰ったら何をしようと考えていたせいで、あまり眠れなかった。
それでまだ眠いような、けれど帰還の喜びの方が勝っているような、不思議な心地だ。

「リツ様、おはようございます。そろそろお目覚めのお時間ですよ。入ってもよろしいですか?」
「はい」

メイドさんたちと一緒に部屋に入って来たジュリアは、私に少し心配そうな視線を向けてきた。
きっと昨晩のおしゃべりのせいで寝不足なのではと心配してくれているのだろう。
大丈夫だよ、という意味を込めてジュリアに「おはようございます」と笑いかけると、ジュリアも柔らかく微笑んだ。
それにしても、と用意された着替えを見つめる。

「きょう、どれす、とても……すてき。なに?」

今日のドレスは何だかやたらとごてごてしているけど何事だ? と尋ねたつもりだ。
淡いグリーンのドレスは裾の部分がたいへんなボリュームで、ふわふわしている。
胸元には細かい宝石のようなものが縫い付けられ、袖や裾には繊細なレースがたっぷりとあしらわれていて、まさしくお姫様のドレスみたいなのだが……もしかしてもしかしなくても今日の私がこれを着るのだろうか。
何だかやたらと重そうで、私は思わず顔をしかめた。

「どれす……」

こんな動きにくそうなのを着るの? と嫌な顔をしたが、ジュリアは「リツ様によくお似合いになりますよ」と微笑むばかりだ。
……このドレスを着て馬車に乗るのか。リドウを押し潰してしまうんじゃないかな、と思いながら、私は了承の意味を込めて渋々頷いた。
やっぱり今日もリドウのようにだらだらして過ごすのは、無理そうだ。

ということで、私がやたらと豪華なドレスを着せられたのと同様に、今日のリドウはいつもに増してきらきらしい衣装を着せられていた。
彼の濃紺の上着の襟の部分には、きらきら輝く宝石が縫い付けてある。
重そうなマントまで身に付けていて、私は思わず「おおっ」と目を見張った。
昨日は寝癖をつけたままだったのに、今日は髪もちゃん整えられていて、ちょっとした王子様みたいな格好だ。

ただしリドウの場合は私と違って服に着られている感じは全く無い。
きちんと髪を整え、豪奢な衣装を身に纏ったリドウは、ちゃんと身分の高い人に見えた。

「りどう、すてき」

なかなかやるな、と頷くと、リドウは「当然だろ」と頷きを返した。
そうしてから、まじまじと私を見つめる。

「リツも動かず黙って笑ってれば一応見られるな」

言葉の意味が分かればぶん殴っていた可能性はあるが、今の言葉を『そんなドレスを着ていたんじゃ動きにくいだろ』と言われたのだと誤解した私は、苦い表情で大きく頷いた。
リドウは大笑いしてから、「嘘だよ、冗談。可愛い。似合うって」と褒めてくれたのだけど、……何か全然嬉しくないぞ。もしかしてさっきの悪口だった?



そんなこんなで、ジークフリードのお城を出立して十日目の今日、やっとシュヴェルツのお城に戻れるというその日、外はとんでもない豪雨に見舞われていた。
ちょっと待てば少しは収まるかも、とシャーロットのお家でしばらく雨が落ち着くのを待っていたが、雨足は強くなるばかり。
この行列を取り仕切っているシャーロットと、リドウの護衛を任せられている騎士さんの中で一番偉そうな人は、どうしようかと相談している。
これが元の世界で、移動手段が車やバス、電車であるならばこのくらいの雨は何の問題も無いのだろうが、ここは異世界。
馬車に乗っているのは私とリドウ、それからジークフリードの国から来ている数人のおじさんくらいである。後は皆、騎馬か徒歩だ。
この大雨の中、馬を走らせるのも大変だろうし、徒歩だと更に辛いだろう。

もう一日シャーロットのお屋敷で天候が回復するのを待つという話も出たようだったが、結局、我ら一行は予定通りお城に向かって前進することを決めたらしい。
降りしきる雨の中、私とリドウも馬車に押し込まれ、車輪はゆっくりと回り始めた。



***



馬車が止まる頃、リドウに名前を呼ばれて、私はぱちっと目を覚ました。
こんなドレスを着ていたのではリドウみたいにだらだらできない! と思っていたが、昨日の睡眠不足が祟ってか、完全に眠っていたらしい。
重い瞼を擦り、きょときょとと馬車の中を眺めた。リドウはちょっと呆れ顔だ。

「ぅあ? え? なに?」
「何、じゃないだろ。お前、よくこんないい男の前でそんな間抜け面晒して眠れるな。口開いてたぞ、それでも本当に女か?」

言葉の意味はしっかり分からなかったものの、リドウが自分のことを“素敵な男性”と言ったことくらいは分かって、思わずふへっと変な笑いを零す。
リドウは「あっ、こら、何笑ってるんだよ!」と目を吊り上げた。

「りどう、よいだんせい」
「全然嬉しくない」

ちゃんと褒めたのに、リドウはぶすっとむくれている。
まあまあ、そう怒らなくてもいいじゃないか。寝起きでうまいこと反応できなかっただけだ。許せ。
それにしても、と口元を手で隠しながら大きな欠伸をした。

「なに? おきる?」

せっかく気持ちよく眠っていたのにどうして起こしたのだ? と尋ねると、リドウは「もうそろそろ着くらしいぞ」と教えてくれた。
ぱちぱちっと瞬きをして、何? と身を乗り出す。

「とうちゃく? しゅべるつ?」
「そうだよ」
「とうちゃく!」
「まだだからな、扉を開けるなよ!」

もう着いていたのか! と馬車の扉を開けようとすると、慌てたリドウに扉を押さえられてしまった。
何だ、まだなのか。たしかに馬車はまだ動いているみたいだ。でも、起こしてくれたってことは、もうそろそろ着くんだろう。
そう思うとそわそわして、いてもたってもいられなくなってくる。
リドウは私を見つめて「兄上の方がいい男なのに」と何度目になるか、呟いた。


そんな会話をしてから三十分ほど経過した後、ようやく馬車はゆっくりと停止した。
リドウはまた私が先走らないように、「人が開けるまで扉を開けるなよ」と念を押してくる。
うむ! と頷いて、ちょいちょいとドレスの裾や前髪を直すことにした。

シュヴェルツ。アリー。リアン。ゼフィーも元気だろうか。
アズとオリヴィア様はどうしているんだろう。彼女たちは本当に私のことを異世界に帰してくれようとしたのかな。
そう思いたいけど、あのどろどろした水はとても怖かった。アズも、オリヴィア様も、よく分からない。
ちょっぴり不安になって、それを打ち消すように慌てて首を横に振る。せっかく帰ってきたのだから、楽しいことを考えたかった。

「ありー、りあん」

みんなに会うのは久しぶりで、何だか気恥ずかしい気もする。
どんな顔をすればいいんだろう。
アリーとリアンの顔を見たら、懐かしさと嬉しさでちょっと泣ける気もする。シュヴェルツの顔を見たら、というのは、何故だか想像できなかった。
そんなことを考えたとき、ようやく、というべきなのか、扉がそっと開かれた。
途端、ざあざあという雨の音が大きく聞こえる。
道中馬車を叩き続けた雨は、今もまだ全く収まりを見せないようだ。
相変わらず空には厚い灰色の雲がかかり、白いお城まで灰色に染めようとしている。
正面からこうやってお城を見たのは初めてのことで、私は今日が晴天でなかったことをちょっと残念に思った。
青い空をバックにしたこの白いお城は、きっとびっくりするくらい綺麗なんだろう。

「リドウ様からどうぞ」

騎士さんの言葉に、リドウはひらりと先に降り立つ。
彼の頭上にはすぐに騎士さんによって傘が掲げられた。高貴な人々は、やはり傘も自分で持ったりはしないらしい。
リドウが降りた後は、勿論私の番である。
シャーロットが馬車の横にいて、私にそっと手を差し出した。

「リツ様、どうぞ。僭越ながら、私が抱えさせていただきます」
「かか、える?」

あれ? それって、お母さんが子供にしてあげる、“抱っこする”という意味ではなかったか?
きょとんとする私に、シャーロットは「ええ、どうぞ」と甘く微笑む。
んんん?

「ぎゅ?」

抱き締めるジェスチャーをしてみると、シャーロットは「はい」と頷いた。
肯定が返されたことに仰天し、えええ!? とのけ反る。
シャーロットは「ドレスの裾が汚れますから。どうぞ、姫」と手を差し出している。

ドレス。汚れる。
……そ、そうか。たしかにドレスを汚すのは良くない。

そうやって自分を納得させながら、おずおずとシャーロットの手に自分の手を重ねる。
シュヴェルツなら「うむ、苦しゅうない」とふんぞり返ることもできようが、それ以外の人となると、さすがに恥ずかしい。
ちょっと重いとしても、それはこのふわふわしたドレスのせいで、私の体重だけのせいじゃないからね。
そう言い訳をしながら、馬車から少しだけ身を乗り出して、シャーロットの腕に体重を預けようとする。
けれどその寸前に、どうしてなのか分からないけれど、ふとお城の方に顔を向けた。

「……あ、」

鈍い色をした厚い雲、ざあざあと落ちてくる大粒の雨。
日中だというのに何だか薄暗くて、空気がじめじめしていて、けれど“そこ”だけは何故だかきらきらして見えた。
“そこ”、つまり、シュヴェルツのいるところだ。

――シュヴェルツ。

馬車からお城まではなかなかの距離が合って、その表情までは分からない。
でも絶対に、目が合った。
リツ、とその唇が動いた気がする。
それに答えるように、私も思わず呟いた。

「――しゅべるつ」
「リツ様!」

シャーロットと重ねていた手をぱっと離して、ふんわりしたドレスのスカートの部分をわしっと掴み、馬車から飛び降りる。
それから、ざあざあと雨の降る中に飛び出した。
皆がぎょっとしたことに気付いたけれど、ばしゃん、と水溜りを踏んで、足を前へ踏み出す。
頭から爪先まで、全身に雨があたる。ちょっとだけお化粧までしてもらっていたのに、その顔にも雨は容赦のない攻撃を仕掛けてきた。
でもそんなのどうでもいいや。雨は冷たくて、ちょっと痛いけど、ぼろっと零れた涙を隠してくれるのはありがたかった。

シュヴェルツ。シュヴェルツ。――シュヴェルツ!

ばかばかばか、シュヴェルツのばか!
何でそんなに遠くにいるのだ! 敬愛すべきお姉ちゃんと久しぶりの対面なのだから、もっと馬車の近くで待っていればいいのだ!
そっちはずっとお城にいて、こっちは長旅の後なんだぞ! 馬車に乗っているだけとはいえ、十日間も移動してきたんだぞ! 何で私が走らなくちゃいけないのだ!
……私ばっかり、会いたかったみたいじゃないか!

そんなことを思ったとき、ずるりと足が石の上を滑った。
汚れないようにとドレスの裾を掴んでいたせいで、上手に受け身も取れなかった私は、恐らく人生で最大級の転びっぷりをみんなに披露した。
正面から見事に転び、胸元につけられていた、きらきらの宝石が泥水に濡れる。
繊細なレースも、ふわふわのフリルも、全部台無しだ。
リツ様! と誰かの声が上がった気がする。シャーロットと他の騎士さん数名が駆けてくる足音が、背後から聞こえた。

――か、顔を上げたく、ない……!

もういっそこのままここで寝たふりをしたい。
あっ、そうだ。そうしよう。長旅の疲れが出て、急に眠ってしまったことにしよう。
そんな馬鹿げた考えが脳裏を過ぎったとき、ばしゃんと水を踏む音がして、私は寝たふりを諦め、恐る恐る顔を上げた。
シャーロットか、ジュリアか、もしかしたらリドウかもしれない。
けれど、そこにいたのはさっきまでお城の雨避けの下にいた、シュヴェルツだった。
リドウみたいに誰かに傘をささせるわけじゃなく、私と同じように、雨に濡れている。
息は乱れていないけれど、多分ここまで走ったんだろう。クリーム色のズボンには、激しく水溜りを踏んだような水跳ねの跡があった。
シュヴェルツの後ろから、誰かが慌てて傘を持って走ってくるのが見える。それから、アリーとリアンの姿も見えた。

「しゅべるつ、」

いつもみたいに叱られるかと思った。
雨の中を走るなとか、ドレスを汚すなとか、もしくは“じゃじゃうま”と悪口を言われるかもしれないし、いつもみたいに頬を摘まれるかもしれないとも思った。
でも、今なら、そのお叱りの言葉も頬を摘まれるのも、もしかしたらちょっと嬉しく思ってしまうかもしれない。
そんな馬鹿げたことを思った私だったけれど、予想に反してシュヴェルツは「この鳥頭! 何度も同じようなことを言わせるな! 走るな暴れるな大人しくしろ!」と叱りつけたりしなかった。

その代わりに長い腕がすいっと伸ばされて、どういうわけだか濡れた石畳の上から抱き上げてくれる。
転んだせいでぐっしょりと濡れたドレスがシュヴェルツの服をも濡らしてしまった。いや、シュヴェルツも雨のせいでかなり濡れているんだけど、とりあえず私のように泥水までは被っていない。
今日のシュヴェルツは白い長衣を身に付けている。リドウというか、他国の賓客を迎えるための、正装なのかもしれない。
それが汚れるのも構わず、シュヴェルツは私を抱え直した。

な……何で無言なのだ。今日だけは叱ってもいいのだぞ!
いつもみたいに頬を摘まんで「このじゃじゃ馬」と叱らないか!
そんなことを思いつつ、たまには私の方がシュヴェルツの頬を摘まんでやろうと手を伸ばす。

「……しゅべるつ」

たしかにちょっと痩せたみたいだ。
頬を摘まむ代わりに、ぺたっと手をシュヴェルツの頬に置くと、シュヴェルツはちょっぴり眉を寄せた。
冷たい、という意味の言葉は聞こえた気がする。
あっ、ごめん、冷たかったか、と手を離そうとすれば、シュヴェルツは器用にも私を片方の腕だけで抱え直して、空いた手で私の手をぎゅっと握った。
シュヴェルツの手はあったかい。まるで、私の冷えた指先を、暖めようとしてくれているみたいだ。

「しゅべるつ、」

名前を呼ぶと、青い瞳が私に向けられる。
その瞳を見て、いろんなことが頭の中を巡った。
ジークフリードから聞いたんだからね。もう家族のところに帰れないって。シュヴェルツだけのせいじゃなくても、シュヴェルツのせいだ。何でこんなところに私を呼んだの。言葉だって分からないし、家族も友達もいないし、漫画だってテレビだってゲームだってないし、ご飯は毎日パンだし、たまには白米とお味噌汁だって食べたいのに!
ああ、でも。

「しゅべるつ」

会いたかったのだ。
ここに帰りたくて、そしてシュヴェルツに会いたかった。
唯一言葉が通じるジークフリードは「ここにいればいい」って言ってたし、私が「ここに残る」って言ったら、メイドさんたちは優しくしてくれたんだろう。
いつか、エリー様じゃなくて、リツ様って、私の名前だって呼んでくれたかも。
だから、きっとジークフリードの近くにいたほうが、楽だった気がする。
でも、会いたかった。この青い瞳がもう一度見たくて、「じゃじゃ馬」と頬を摘んで欲しかったのだ。

「しゅべるつー」

空から降ってくるのと同じくらい大粒の涙が、ぼろぼろと目から零れていく。
後で文句を言われるかもしれないが、その首にむぎゅっと抱きついた。雨は冷たいのに、シュヴェルツはあったかい。
その暖かさだけでまた泣けてきた私に、焦れたような声で「リツ」と名前を呼ばれる。
その声が、ずっと聞きたかったのだ。

「リツ、顔を上げろ」

ばか。何であえて泣き顔を見せなければいけないのだ。
少女マンガのヒロインみたいに綺麗にぽろぽろ泣けるならともかく、涙なのか泥水なのかでぐちゃぐちゃになっているであろう顔を、誰かに見せる趣味は無い。
だというのに、シュヴェルツはそれまで私の手を握っていた手を離し、人の顎を掴んで無理やり顔を自分の方に向けようとした。

「いや!」
「嫌じゃない、顔を見せろ」
「いや! じゃじゃうま!」
「誰がじゃじゃ馬だ!」
「しゅべるつ!」

叫んだ途端にぱちっと目が合って、その青い瞳の中にはやっぱり、涙でぐちゃぐちゃになった自分がいる。
慌てて手で顔を隠そうとしたけれど、その前に、ちょっとびっくりするくらい綺麗な顔が近づいた。
睫毛が長い。雨に濡れているからなのか、きらきらして、星屑がくっ付いているみたいだった。

「しゅべ、」

シュヴェルツの薄い唇が、そっと私の唇に触れる。
それは何だかちっとも嫌じゃなくて、胸がぎゅーっと痛くなった。







      


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