花鬘<ハナカズラ>







<シュヴェルツ視点>


窓の外に薄桃色の花を見つけ、ふっとペンの動きを止めた。
さやりと風に揺れる、小さな花。最近、花の名前を覚え出したリツだが、あの花の名前も知っているだろうか。

庭にも所々に植えられているのだから、おそらく知っているだろう。
この花を知っているか、と尋ねれば、リツはおそらく自慢げに胸を張り、花の名前を口にして、どうだと言わんばかりに笑うのだろう。
そこまでが容易に想像できたところで、「シュヴェルツ様?」と声がかかった。
ふとそちらに視線を向け、ああそういえばアズが来ていたのだったと思い出す。
医師見習いとして王宮医に付いているアズは、幼少の頃からの付き合いだ。
女だてらに護身術程度だが剣を振るい、医師としての道を志すアズは、後宮の女と違って面倒でなくていい。
2度ほどアーノルドとアズと3人で酒を飲んだことがあるが、よく酒を飲めるのもよかった。

「ああ、すまない」
「いえ。窓の外に何か面白いものでもございました?」
「いや、美しいなと思っただけだ」

まあ、とアズがおかしそうに吹きだす。
何だ突然、と眉を顰めると、アズは小さく笑いながら首を横に振った。
「いいえ、ただ、シュヴェルツ様も花を美しいと思われるのだなと」
「失礼な奴だな、お前は」

申し訳ございません、とアズは笑う。

「ですが私もジルの花が好きです。ご存知でした、シュヴェルツ様?ジルの花の根は薬にもなるんですよ。花は砂糖漬けにしても美味しいですし。美しくて、薬にもなって、美味しいなんて素晴らしいと思いません?」
「砂糖漬けにするのか?」
「はい、綺麗で甘くて、たまには宝石でなくてこういうものを女性に贈っても喜ばれるのではありませんか?」

オリヴィア様もお喜びになりますよ、というアズの言葉に、そうだなと頷きつつも、頭に浮かんだのはリツの顔だった。
たしかに、リツは宝石もドレスも喜ばないが、花なら……砂糖漬けにできるという花なら喜ぶかもしれない。
いつもお茶の時間には「これが美味しいから食べろ」と人に菓子を押し付けてくるリツのことだ、きっと喜ぶだろう。
数日前、城の外に連れて行ってやったときの嬉しそうな顔を思い出す。
それと同時に倒れたときの青い顔を思い出し、僅かに眉を寄せた。

「シュヴェルツ様?あの、申し訳ございません。何かお気に触りましたか?」
「いや、何でもない。あの花を少し切らせることはできるか?」
「ええ、ではすぐに庭師に伝えさせましょう」

アズはそう言って、ドアの外に控えている人間に言葉を渡す。
それからすぐに両手でやっと抱えられるほどの花が部屋に届けられた。

「……さすがにこれは多いな」
リツに渡せば、花に埋まってしまいそうだ。
両手いっぱいに花を抱えている小さな姿を想像してみて、それはそれで面白いかもしれないと考え直す。
ちょうど茶でもしている時間だろうし、顔を見に行くか、と花を抱えたまま席を立った。
アズは私の抱えた花を見つめ、本当に綺麗ですね、と微笑む。

「ジルは私の一番好きな花です。本当に綺麗……」
そっと落とされた言葉が耳に届き、それならと2・3本を引き抜く。
そうしてアズにそれを手渡そうとすると、アズは慌てて首を横に振った。

「も、申し訳ございません!そのようなつもりで申したのではありません!」
「これほどあるのだから、その中の2・3本くらい何でもない。いいから持て」
「ですが、」
「いいから早くしろ」

そう言うと、アズはそろそろと手を出して、花を受け取った。
僅かな重みが手から消えてから、ドアへと向かう。

「シュヴェルツ様、ありがとうございます!」

たった2・3本の花に対する礼にしては高い声に軽く笑って、後ろを振り向く。
アズは僅かに頬を染め、嬉しそうに微笑んで、ありがとうございますと、深々と頭を下げた。




そうして花を抱えてリツの部屋に着いたとき、そのドアの前にリツの姿を見つけた。
何故かアーノルドも傍に居て、こいつの前で花なんて渡すと後で色々と面倒そうだから、渡すのは後にするかと思う。
しかし、何となく、早くリツの喜んだ顔を見てみたいとも思う。

『しゅべるつ、ありがとうございます!』

城の外に連れて行ってやろうとしたときの喜びの溢れる声を思い出して、私は口を開いた。
しかし。

……何と言えばいいんだ?

そもそもよく考えろ、思い直せ。相手はリツだ。
この花もすでに砂糖漬けにされたものなら喜んだかもしれないが、今はただの花でしかない。
おそらくリツにも花を愛でる心はあるとは思うが、宝石もドレスも喜ばなかったリツが花ごときで喜ぶか?
まあ一応贈り物なのだから礼くらいは言うだろうが、リツは馬鹿かと思うくらい正直だから、礼を言いつつ思い切り興味の無い表情をされる可能性もある。
他の娘なら頬を染めてうっとりとしながら礼を言うだろうが、リツは別だ。

ああ、やはりこんなもの渡すべきではないのではないか、とまで思いだしたとき、リツと目が合った。
どうしたの、それ?そういう言葉が聞こえたようで、私は何故か焦りながら口を開いた。

「執務室から見えた花が美しかったから、そう言ったらメイドが庭師に花を切らせて持って来た。私は要らぬと言ったが、切ってしまったものは仕方ないだろう。このまま捨てるよりは人にやった方がいいと思っただけだ。リツも要らぬなら、捨てていい」

実際とは全く異なる経緯は、まるで言い訳のような響きを帯びている。
何故このようなことを言ったのか、我ながら理解できなかった。

たとえばオリヴィアや他の女にするように、美しかったから、喜ぶと思ったから、と言えばいいのだろうが、花を見つめるリツのぽかんとした間抜けな表情を見ていると、間違ってでもそういう言葉は出てこない。
ごまかすような口早な言葉は、勿論と言うべきか、リツには全く通じなかったらしい。
言葉を聞き終えたリツは、むっと眉を寄せた。
それから繰り出される「なに?」の言葉に、私の眉も寄る。
やはりこんなもの渡そうなどと考えるのではなかった、と自分の行動を悔やんだとき、リツに付けてあるメイドが「まあ!」と大きな声を上げた。

「まあ、ジルの花ですわね。とっても綺麗ですね、リツ様!」
大げさな笑顔に、リツは不承不承といった様子で―――この娘は本当に腹立たしい―――「はい。はな、きれい」と頷く。
喜ぶかと思ったが、このようなむっとした表情を見せられて、苛立ちが生まれた。
せっかくわざわざ持ってきてやったのに、笑うどころか礼も言えないのか。
そうして眉がさらに寄ろうとしたとき、「ありがとうございます」と舌足らずな声が届いた。

「はな、きれい。わたし、たのしい」

“楽しい”ではなくて“嬉しい”だろう。
そう思ったが、リツとしてはおそらく「綺麗な花をありがとうございます。嬉しいです」とでも言ったつもりなのだろう。
両手から零れんばかりの花を受け取ったリツは、その甘い香りを嗅いで、幸せそうに笑った。
そのあまい表情に、先程まで感じていた苛立ちがすっと消える。
さわりと柔らかく胸を撫でる感情には気付かず、リツの腕の中から花を一本抜き取って、長い茎を手折ってから軽く編まれた髪に差し込んだ。

髪に花を挿されたリツは不思議そうに私を見つめたが―――無論、このときリツがこの世界の流行について考えているだとか、私が部屋から居なくなったら外そうだとか考えているとは思いも寄らない―――、最後にはやはり「ありがとうございます」と軽く頭を下げた。

リツは小さいので、頭を下げると顔が見えない。
というか、頭を下げなくても、横に並べば大抵つむじしか見えない。

頭は下げなくてもいいから笑った顔を見せろ。

そう思いつつ、くいと顎を持ち上げると、リツは何故か指に噛み付こうとする。
リツの思考回路がまったく理解できない。
ぱっと顎から指を外すと、リツは私とアーノルドを交互に見やり、どうぞ、と部屋へと誘った。





メイドの淹れる茶を飲みながら、ふと隣を見やると、リツが焼き菓子をかじっているところだった。
少し固いらしいそれを、かしかしとかじる姿は見ていると面白い。
菓子屑が口の端についていて、ふっと笑みが零れた。
そうして口の端を拭ってやろうとして、アーノルドの何とも言いがたい視線に気付く。
その視線がにやにやとこちらに向けられているのに気付き、膝から僅かに浮かせた手を再び膝に置いた。
ふかふかした頬の感触が指に思い出され、目の前のアーノルドを憎く思う。

アーノルドの気色悪い視線をやめさせようと、それで、と言葉を紡いだ。
「それで、お前は何故リツといた」
じろりと睨み付け、何か妙なことを吹き込んでいないだろうな、と内心で呟く。
ああ、と頷くアーノルドは、「実は」と言葉を紡ぎはじめた。

「オリヴィア・シュードリヒ。あの女が姫を庭に連れ出そうとしてたぞ。何をするつもりだったのかは知らないが、まさか本人の言葉のとおり散歩だのお茶だのということはないだろ。今回は偶然俺がいたからよかったけど、もしあのまま一人で庭に連れられてったらどうなってたか分からないぞ」

オリヴィアがリツを散歩やお茶に?
たしかにそれはまず無いだろう。そう思いつつ隣のリツをちらりと見やる。
リツはアーノルドの言葉を聞きながら、何かに気付いたように、ぺらりと自分の袖を捲り―――袖だろうが何だろうが、男のいる前で服を捲るな!とあとで十分言い聞かせなければならない―――「うわあ」と驚いたような小さな声を落とした。
そして、自分も驚く。

リツの腕には、くっきりと赤紫色の痣ができていた。
おい、それは何だ。どこで出来た痣だ。痛まないのか。そう問う前に、リツはぺらりと袖を戻してしまう。
そうしてまたティーカップに手を伸ばそうとするリツだったが、この馬鹿は何故私に何の説明もしない!どこかでぶつけたにしては大きな痣だった。
手首をぐるりと締め付けるその痣は、まるで強く手首をつかまれたときのような―――とそこまで考えたところで、反射的にリツの腕を取った。
そのまま袖を捲りあげ、眉を顰める。

「オリヴィアにやられたのか?」
言葉には疑問符をつけたものの、そうに違いないという確信があった。
昨晩、リツの“新しく覚えた単語披露大会”に付き合ってやったとき、薄いネグリジェに包まれた腕にはこんなものはなかったはずだ。
メイドの仕業ではないだろうし、リツはあまり人に会わせていない。
よくこんなことを、と思い、ぎりりと歯噛みする。
そもそもリツは女で子供だというだけでも庇護の対象ではあるし、更に、異世界の人間であるということが原因なのか、他の女や子供に比べても小さくて脆弱な生き物だ。
そういう者によくこんな乱暴な真似を、と考えると、ひどく腹が立った。

「はい」と頷いて痛いだのひどいことをされただの言うかと思ったリツは、予想に反して「いいえ」ときっぱりとした口調で言い切った。
聞き間違えか?と驚けば、リツは赤紫色になった手首をとんと軽くテーブルにぶつけ、「わたし」と口にする。
自分がやったとでも言っているのか?そんなはずがあるか!
本当のことを言わないリツに苛立ちながら、そして頬を摘んでやるべきかと悩みながら口を開く。

「嘘をつくな」
「うし?」
「嘘だ、嘘」
「うそー」
「語尾を伸ばすな」
「うそ」

そうだと頷けば、そうかと頷きが返される。そうして菓子だの茶だのを勧められたが、この馬鹿はどれだけ能天気なんだ。
嫌な感情がぞろりと胸を這い上がった。

リツが悪いわけではない。
この馬鹿は今の自分が人の上に立つ存在だと、僅かとも理解していないだけだ。
それはまあ仕方ないとする、だが、何故リツは私に嘘をつく。

今回のことはリツに非があったわけではないのだから、正直に答えれば叱りはしない。
それどころか、おそらく心配までしてやるだろう。

それだというのに、リツは何を思ってこんな妙な嘘をつくんだ。
苛立ちを抑え、もう一度、これはオリヴィアの仕業かと尋ねると、リツは私の目をじっと見つめて「いいえ」とやはり否定の言葉を口にした。

「いいえ、わたし」

繰り返されるその言葉に、さすがに苛立ちが言葉に滲む。
「これがぶつけたときにできる痣か?何故嘘をつく必要がある。正直に答えろ」
この言葉にも、リツは「わたし」と言い張った。
この馬鹿の考えることがさっぱり分からない。そう思ったのが顔に出たのか、リツは念を押すように言葉を口にした。

「わたし。おりびあさま、ない」
「リツ!」

思わず零れたリツの名は、まるで責めるような響きを含んでいた。
小さな肩がびくりと揺れる。こちらを見つめるリツの瞳には僅かに恐れが滲でいて、内心で「くそ、」と毒づいた。
怯えさせたいわけではない。本当なら、もっと―――
もっと、どうしてやりたいのかは、明確には思い浮かばなかった。

自分の感情が理解できないというのは煩わしい。
その原因であるはずの、目の前の娘は、今度はへらりと笑って「わたし、げんき」と口にした。
元気なわけがあるか。その腕の痣はいったいどうしたと聞いている。いいから正直に答えろ!
そう言おうとしたが、リツはきっぱりと「げんき」と言葉を重ねた。
それから今度はにこりと笑う。
可愛いといえなくもない、あの笑顔だ。
この表情は嫌いではないはずだが、今は何故だか苛立ちが収まらない。

「ありがとうございます、しゅべるつ」

礼の形を取っているはずのそれは、はっきりとした拒絶の言葉に聞こえた。
もうこの話は終わりだと、お前に真実を話すつもりはないのだと、そういう風に聞こえた。
リツによって創り上げられた壁に、開こうとしていた唇をきつく閉じ、ソファから立ち上がる。
これ以上ここにいては、次は自分がリツを傷つけてしまうのではないかと思った。
私の思った通り、言う通りに反応しないリツを見ていると苛々する。
だが、決して傷つけたいわけではないはずだ。
それでもこのままここに居て今の話を続ければ、おそらくリツを傷つけてしまうか、もしくは自分が傷つけられるような、そんな気がした。

「そろそろ戻る」
落とした言葉は、冷たく固い。その声にリツは僅かに身を強張らせ、舌足らずな声で「しゅべるつ?」と機嫌を伺うように名前を呼んだ。
普段なら「何だ」と尋ねてやるところだが、そういう気になれない。
聞こえなかったふりをして、そのままドアへと向かう。
ドアが閉まる瞬間、リツの不安気な表情が過ぎったが、それには気付かなかったふりをした。













      


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