第十六話 








ああしかし、本当に美人だ。男の人なのにこれほど『綺麗』の言葉が似合う人を、私はテレビや雑誌でも見たことが無い。
不躾なくらい、じろじろとその姿を検分していると、その彼は高い靴音を響かせて近くに寄り、冷たい視線で私を撫で付ける。
その冷ややかな視線を受け、思わずぶるりとした私に、彼は「お前が魔女か」と問うたのである。

「……多分」
現在絶賛記憶喪失中なので、自信はありません。
心の中だけでそう付け加えると、彼は柳眉を歪ませて「多分?」と零す。
そうしてから苛立たしげに舌打ちをして、司祭様の方へ振り返った。
「本当にこの娘なのか?まさか偽物を渡そうとしているわけではないだろうな」
「まさか!本当にこの娘です。<石>を創れるのは、この娘しか」
司祭様の慌てた声に、私は首をかしげた。
石を創れるのはマッティだけ?いや、でもガインは本当ならフィンがなるはずだったと言っていた。つまり―――

「フィンも作れるんじゃないの?」
私はただ純粋に疑問に思ったからそう尋ねたのだが、これは結構まずい質問だったらしい。
石を創れる人間が一人ではないと知ったその見た目は王子様な彼は、「ではその娘も渡してもらおう」と司祭様の横にいたフィンに視線を向けた。
フィンは「そんな、私は―――!」と悲鳴のような声を上げたが、控えていた騎士の一人が素早くフィンに近寄って剣を向ける。
女性に何てことを!と私は心の中だけで怒声を上げた。実際に口に出せるほど、フェミニストでも無鉄砲でもない。
フィンのせいで捕まることになってしまったらしいので、正直、その恨みもあった。それでも女性というか弱い存在が拘束される光景は見ていると気分が悪くなる。
やめて!と高い声を上げるフィンから視線を外して、唇を噛んだ。

あーくそ、普通はここでヒーローが現れるんだけどな、なんて思いながら、隣のリィを見やる。
リィも私と同じように拘束されていて、ヒーローになれる可能性は低い。

「やめて!私は知らない!<石>を作る方法なんて、知らない!作れない!」
フィンのその悲鳴のような声は、ぱしん、という高い音によって遮られた。
どうやら頬を叩かれたらしく、白い肌に赤い跡が残っている。さすがにこれは我慢できぬ!と口を開こうとしたけれど、リィの「マッティ!」という声に、ぐっと唇を閉じた。
女性に何てことをする!と叫びたいのは山々だったけれど、ここで私が叫んだって何も変わらないし、むしろ私も殴られるだけだ。リィが私を止めたのも当然だろう。

ぐらぐらと怒りのマグマが煮え立つのを感じつつ、奥歯を噛み締める。
フィンはまさか叩かれるとは思わなかったのか、ショックを受けたように目を見開いて、くたりと体から力を抜いた。同時に零れたのはガインの名前で、その声はまさしく騎士の助けを待つお姫様のようだ。
冷たい床に崩れたフィンは、長い睫毛にそっと涙を乗せる。
「私は知らない」と「ガイン」を繰り返すフィンを無視して、見た目王子様、中身は多分極悪人の美形男性は「まずは所有する<石>とその原石を全て渡してもらう」と司祭様に言葉を放った。
フィンまで捕まってしまったせいなのか、司祭様は幾分か顔色を悪くしていたが、それでもその懐から板チョコくらいの大きさの小さな箱を取り出す。

乳白色の石で出来たそれは、特に宝石が飾られていたり模様が彫られていたりすることはなく、本当にただの石でできた箱だった。
その箱が司祭様の手から美形男性に渡る。そうして彼は、渡された箱をそっと開いた。
その箱の中身はこちらからはさすがに見えなかったけれど、彼は小さく息を吐いて、傍にいた人に何故か水と、それから何故か花を持ってくるようにと告げた。
なんで水?なんで花?と首を傾げる。
リィにちらりと視線を向けると、リィも行動の意味がよく理解できていないように眉をひそめて彼らを見つめていた。


そうしてすぐに綺麗な器に入れられた水と、それから籠いっぱいに毒々しい桃色をした花が運ばれてきた。
まずは水が綺麗な銀盆に入れられ、その上に花びらが山のように盛られる。
いったい何事なのだろうと首を傾げていると、美形男性は先程渡された箱の中からガラスのようなものを取り出した。
あれが<石>っていうものなのだろうか。ただのガラスの欠片のようなそれを見つめつつ、私はこっそり首を傾げた。

私の視線の先で、彼は盛られた花びらの上に、その石をゆっくりと乗せた。
親指の爪くらいしかない大きさのその石は、花びらの上にころりと転がる。
その様子をふむふむと眺めていた私に、まずは視線が向けられ、そしてお声が掛かった。

「証を見せよ」
あかし、の言葉にぽかんとして、どういう意味だろうと首を傾げる。
彼は私が間抜け面をして首を傾げてみせたことに、ぴくりと眉を動かし、「早くしろ」と苛立たしげに声を放った。
え、何が?どういうこと?と聞きたいのは山々だが、目の前の彼にそんなこと問おうものなら、苛々ゲージが溜まって斬り捨てられそうである。私はとりあえず、恐る恐る彼の方へ一歩を踏み出した。

1歩、2歩、3歩、そして12歩目、ついに彼と、そして花が溢れそうな銀盆に手が届く距離となってしまう。
私は冷や汗を流しながら、「それで私はどうすれば」と消え入りそうな声で尋ねた。
彼にその声は聞こえなかったのか、それとも答える気は無いのか―――絶対に後者だろう。不親切すぎる!―――「証を」とそれだけを唇から紡ぎだす。
彼がどのような証を望んでいるのか全く分からない。まさかここが教会のように美しいからといって、私に愛の誓いでも述べさせようというわけでもあるまいし、と考えて、がくりと肩を落とした。

いいなあ、世間の異世界トリップしてしまった女の子には、たいていこういう美形の王子様が旦那様としてついてくるというのに……私といったら、今まで甘い体験の一つもない気がする。
馬鹿げたことを考えつつ、私は少々投げやりな気持ちになって、口を開いた。

「証って、何の」
「ふざけるな、早くしろ。―――<石>を創れと言っている」

なるほどそういうことか!と思いつつ、しかしその方法がさっぱり分からないので、やはりどうしようもない。
まずい、どうしよう。本気で何をすればいいのか分からない、と視線をうろうろさせて何かヒントになりそうなものを探す。『石の創り方』のような教科書とか参考書とか無いの?と無理なことを思った。
そしてハッと目を見開く。そこには教科書よりも確実なものがある。

フィンだ。
きっと彼女なら、<石>とやらの作り方がわかるのだろう。
フィンに「ちょっとやってみせてください」と言おうか言うまいか悩んで、結局口を開けない。
私だって命が惜しい。だから、私がその<石>とやらを作れるのなら、作って見せてあげてもいいが、その方法が分からないのだ。
だからせめてお手本を!と心の中で請う。けれど、フィンにやって見せてと頼むのも、さすがに良心が咎めた。

私の視線がフィンと山盛りの花との間を行ったりきたりしているのを眺め、彼はかちゃりと腰の剣に手を伸ばした。
なんて短気!と思わず一歩後ずさる。
彼はフィンと私を交互に見やり、「どちらが先でもいいが」と言葉を切った。

「出来ないと言い張るのなら、殺す」

生まれて初めて殺気とやらを感じ、私は『やっぱりこの人の奥さんとしてこの世界にやってこなくてよかった』と心の底から安堵した。
こんな短気な王子様なら、こちらだって願い下げだ。
私がそんなことを考えると同時に、フィンはふらりと視線を上げて、「いいわ」と微笑む。
背筋がそわりとするようなその淡い微笑に、思わず一歩後ずさった。
冷たい床に膝を付いていたフィンは、ふらりと、まるで熱に浮かされたように立ち上がる。そのままふわりとこちらまで歩いてきて、そっと左手を差し出した。

その手は私ではなく、王子様に向けられている。
私はフィンの行動に首を傾げながら『よし、次は私がやらされるんだろうから、きちんと手順を覚えておこう』とこっそり決意した。
王子様も<石>を作る手順は知らないらしく、差し出された白い手に、僅かに眉を顰める。
フィンは小さく笑って、剣を、と甘い声で囁いた。

「創り手の血が必要なの」
フィンの言葉に、王子様は一度悩むように視線を漂わせる。
そうして傍に控えていた人に「貸してやれ」と一言、命じた。
いくら女性とはいえ、今の状況で彼女に刃物を持たせるのは危ないのでは、とこっそり心配する。
しかしそんなことは百も承知らしく、王子様はいつでも剣が抜けるようにということか、何気ない仕草で腰の剣に手を置いた。

フィンは見るからに非力だし、妙なことはしないとは思うけれど、それでも心配は心配だ。
<石>とやらを創ればとりあえず今は死ななくて済むらしいのだから、是非妙な真似をせずに創って欲しい。
ハラハラしながらフィンを見つめていると、フィンは渡された短剣をそっと自分の人差し指に押し付ける。
痛そう、と思わず眉を顰めるけれど、フィンは痛みを感じていないかのように赤い雫を石の上へと落とした。

ちらりと石を見やると、フィンの血を受けたその石はぷくりと小さく膨らむ。
最初より僅かに大きくなった石に、フィンはぱたりぱたりと赤い雫を落としていった。
それを含むと、最初は親指の爪ほどのサイズだったはずの石は、ぷくぷくと小さく泡立ちながら、最終的にはつやつやと丸みを帯び、ゴルフボールサイズの大きさの球体になった。

ひええ、異世界だー!
私は心の中でそんな声を上げた。何てミラクル、何てファンタジー!
こんな状況だというのに、私は少し興奮しながらその奇跡的な変化を見つめていた。王子様も流石に驚いた様子だ。
これが<石>なのだろうか、とフィンと石を交互に見やる。
するとフィンは、今度はゆっくりと口を開いた。

「―――わたくしの名は、フィン・アルローゼ。<終末>の名により、あなたにわたくしの祈りを奉げます」

げえ、個人名が入るのか!と目を見開き、考える。
え、え、え?マッティの場合も<終末>の名とやらでいいの?それとももしかして個々に異なるの?ついにで“あなた”って誰?石?と焦りながら耳をすませた。
フィンの囁くような小さな言葉に、石は花びらの上でまるで歓喜するようにほのかに震えている。
フィンはそれに淡く甘く微笑んで、ふうっとその石に息を吹きかけた。

「ひえっ」
思わず間抜けな声を上げたのは私だけだったけれど、どうか許して欲しい。
だって、フィンの吐息を受けた石は、というかその周りを囲んでいた桃色の花びらが、一気に茶色く萎れたのである。
そして花の色を、瑞々しさを、全てを吸い込んでしまったように、石は血よりも赤い紅に染まっていた。
いかにも禍々しいそれに、今度は「うわあ」と思いっきり嫌そうな声を出してしまう。

私なら絶対にそれに触りたくない、と思うのだけど、王子様は「なるほど」と無表情でそれを手に取った。
そしてしばらく手の中で遊ばせて、床へ転がす。
ころころと転がるその石に、王子様は突然自分の剣を突き立てる。しかしその石は割れるどころか傷一つつかず、そのまま床を転がった。それどころか、怒ったように紅の靄を纏いだす。
ひええ、気持ち悪い、と眉を顰めた私とは反対に、王子様は小さく息を吐き、フィンを見やる。

「たしかに、本物だな」

たしかにすごく奇妙な石であることは確かだ。
私は床に転がったままの石を見つめ、そんなことを考えた。
怒りは収まったのか、紅の靄はいつの間にか消えている。石は床に転がったままだけど、それでも何となく、気持ち悪かった。
それにしてもこれが<石>かあ、とじろじろ床に転がる赤い球体を眺めていると、「では」と声が掛かる。

「次はお前だ」

そうだった、次は私だった。