第一話 絹雨降る空の下




ぽたりと、雨がコンクリートの道路に落ちた。
初夏の空は綺麗な青で、柔らかく輝く太陽の光がとても心地よい。
夏の空によく映える白い雲。それに混ざってうっすらと存在する雨雲。
薄い灰色の雲は、美しいコントラストを描く空にひどく不釣合いだ。
嫌な空、そう呟いて、ぼんやりと窓に付いた雨粒を視界に入れる。


晴れてるのに、雨。

「……また?」
まあいいや、と手に持ったシャーペンを机の上に転がす。
高校3年生ともなれば、手にシャーペンを持つ時間が延びた……ような気がしないでもない。
まあ、まだ進級して3ヶ月だし、受験までは1年も時間があるし。そう思いながら、明日提出のはずのプリントに目を通す。
綺麗でもなく、読めないというほど汚くもない自分の字を目で追った。
とりあえず埋められる問題は埋めたとプリントを机の上に放る。
「んー……」
ぐっと大きく伸びをひとつして、窓の外を見つめた。
鮮やかに広がる蒼い空と細い細い絹糸のような雨。
光をキラキラと反射して 七色に輝くそれは、色とりどりの宝石を空から零したような美しさを誇っていた。


梅雨や冬の冷たくて重い雨は好きじゃないけれど、夏の軽くて甘い雨は好きだ。
雨の後の虹も、水溜りに映る世界も、サラサラと降る雨が乾いたコンクリートにじわりと染み込んでゆく、その瞬間も。
ふ、と頬を緩ませて、雨がやむまで休憩でもしようと思った。
椅子から立ち上がって窓の傍へ向かい、ゆっくりと窓を開けた。


例年よりも長い、というよりは長すぎる程の梅雨がやっと明けたというのに、毎日のようにこんな雨が降る。
温暖化の影響、気流の関係、作物への影響と様々な事が毎日ニュースで伝えられていたり、 他にも宗教団体なんかが、神がどうの人間がどうのと怪しい説を唱えているとか。

うー、と小さく唸る。雨はすぐにやむと思っていたのになかなかやまない。
外は綺麗だけど、でも、少しだけ怖くなった。
世界に自分が一人だけ存在してるみたいだ。雨の音しか聞こえないからだろうか。
開いた窓から外に手を伸ばす。雨が、指先に触れた。
どんどん濡れてゆく自分の手のひらを見つめる。
たいして冷たくはなく、寧ろ火照った体を冷やしてくれる。
……外に出て雨の中くるくる回ってみたら楽しいかもしれない。でも恥ずかしいからやめておこう。 ぼんやりとそんなことを考えつつ、手を部屋に戻した。
濡れた手を軽く拭いて、また外を見つめる。



はぁ、とちいさなため息
くるくると様々な考えが頭の中を巡る。綺麗な空は嫌いじゃないけれど、今の自分には少し辛い。
考えたくない事まで考えてしまう。―――いったい自分は何のために受験なんてしてるんだろう、とか。
正直、今の自分には将来の夢なんかない。大学なんて行っても意味がないかもしれない。
けれど、それでも学歴を取得するためだけに受験をする自分は他人から見たら滑稽かもな、と少しおかしくなった。
―――ああもう、全てが面倒で退屈で。
こんなこと考えても意味はないのに、けれど今の自分には夢とか希望とか、そんな物がない気がした。
何かが足らないこの状態はひどく苦しい。何かを渇望しているというのに、その何かが分からない。
でも、
「……どうやったら見つけられるの、そんなの」
ぽつりと言葉が零れて、その言葉がなんだか悔しくて哀しくて、軽く唇を噛んで前を見つめた。

いつのまにか雨はやんでいた。後に残るのはただ、光を浴びて輝く水滴だけ。
は、と重い気持ちを外に吐き出す。溜息をすると幸せが逃げる、なんてことはない。
今逃がしたのは幸せではなく、悩みとかそんなものだ。
少しだけ軽くなった心で、例えこの心の平穏が仮初めのものであっても構わないと思った。
きっとまた同じような事を考えて、悩んで、またどこかに置いておく。そしていつかまた、その存在に気付くのだ。
何度もそれを繰り返して、いつか答えを見つけられればいい、そう思う。

「うん」
声に出して、なんとなく気持ちが軽くなる。
勿論、全てに於いてこんな悠長な事は言ってられないんだろうけど、今は目先の受験についてだ。
勉強してるうちに分かってくるのかもしれないし、大人になって初めて分かるのかもしれない。
そこまで考えて、自然に笑みが浮かんだ。
沈んだ気分でいるのは簡単だし、楽だ。でも、飽きてしまう。
よし、とひとつ頷いて再び机に向かう
勉強する自分に酔うのもたまにはいいか、と笑んで、グラスに残った麦茶を飲み干した。






カチリ。時計の針が2時31分を指した。

ぼんやりと時計を確認する。同時に零れた横髪を耳にかけた。
ぺンをくるりと回して、小テストと名づけられた3枚のプリントの内の2枚目に目を通す。
これが終わったらコーヒーでも飲もうかな、そう思いながら自分の持っている知識を総動員してペンを走らせる。

時計の音。ペンの動く音。風の流れる音。聞こえる音はそれだけだ。
問題を読みながら、今後の生活でこんな知識使うのか!と、誰でも1度は思ったことのありそうなことを考えた。
様々な公式が目まぐるしく頭の中を回転して、いったいどれを使えばいいのかと、唸り声を一つ。
「んんー?」
そう呟いた瞬間、突然、ぐらりとした揺れを感じた。

「……え?」
目眩がしたような不思議な感覚。
机の上に置いてあったはずのグラスが倒れる。
何?とそう思って、座っていた椅子から立ち上がろうとした。
けれどそれはできなくて、身体にどん、と重く鈍い衝撃を感じる。
目の前が真っ暗になる、その瞬間、ふわりと身体が浮いた気がした。



最後に目に入ったのは、毎日着ている紺色のブレザー。
中学1年の頃からずっとずっと憧れていた高校の制服だった。