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花鬘<ハナカズラ>







しかし「じゃじゃうま」というのは初めて聞く単語である。
こんなときに、シュヴェルツのこの形相で使う単語なのだから、あまりいい言葉ではないだろう。
ということで、私はいつか機会があったら使おうと、頭の中の異世界辞書〜悪口編〜に「じゃじゃうま」を付け加えた。
異世界辞書に新しく加わった言葉にじんわりしていると、物凄い形相のシュヴェルツが長い足を動かして私の元に近寄り、そうして何を思ったか荷物でも抱えるように、私を脇に抱えたのである。

『ぎゃー!ちょっと何するの、この変態!』
せめてお姫様抱っこでもせぬか!とじたばたしたが、シュヴェルツは「暴れるな!落とすぞ!」と何やら鋭く一声を上げて私の叫びを切り捨てる。
女の子の半分は泣くか黙るかしそうなその声に、しかし勿論、私は大人しくできるはずがなかった。
何といっても、上に格闘技馬鹿で喧嘩っ早い兄を持ち、下に野球馬鹿で腕っ節の強い弟を持つという過酷な状況に18年も置かれてきたのだ。

勿論基本的には仲がいいが、仲がいいからこそ子供のときから散々殴り合いの喧嘩をしたし、どちらかが泣くまでの口喧嘩(のち殴り合い)も散々やった。後者は今でも弟とやっている。
喧嘩の最中にシュヴェルツの声よりも太く大きな声で怒鳴られたことなんて星の数ほどあるのだ。子供のときはそれにプラスして拳まで飛んできたのである。
それなのにこの程度で黙っていられるかと、私はぐっと腕を曲げて思いっきり、そしてできるだけ素早い動作でシュヴェルツのお腹にそれを打ち込んだ。
兄に教えてもらった痴漢撃退法の一つだが、シュヴェルツにも勿論効いたらしい。一気に咳き込んで、私をぼてりと芝生の上に落とした。

『ぎゃうっ』
お腹から落ちてしまって、お昼に食べたものが外に出そうになる。
何とか堪えてひふひふと息を整えて、「しゅべるつ、じゃじゃうま!」とさっき覚えた悪口らしき単語を口に乗せたのはいいのだが。
「誰がじゃじゃ馬だ!妙な言葉ばかり覚えるな!」
そう声を上げたシュヴェルツに、ふぎっと頬を摘まれたのである。
いひゃいいひゃいと腕を叩くと、傍に控えていたリアンが今度こそ「シュヴェルツ様、おやめください!」と叱責のような声を上げる。

「リツ様はまだこちらにいらしてから20日も経っていないのです!こんなに小さくていらっしゃるのに、今までずっと我侭の一つも言わず、あのような部屋で文句の一つも言わず過ごされていらっしゃるのです!」
珍しいリアンの感情を露にした声に驚いたのは私だけではなく、シュヴェルツも、他のメイドさんたちも、そうだった。
リアンは女性の中でも背の高い、すらりとした美人で、そんな彼女がこうやって声を張り上げると、なかなか迫力がある。
私は「おお」と感心しながら、リアンを見つめた。

「私などがこのように物を進言するのは厚かましく、刑を申し付けられても仕方の無いことだと重々承知しております。ですがリツ様はまだこんなに小さくていらっしゃって、突然親元から引き離され、言葉も分からずにいらっしゃるのに、―――」
「おい、待て。分かった。分かったから、口を閉じろ」

疲れたような呆れたような仕草で、シュヴェルツは右手をひらひらと揺らした。
こら、リアンが一生懸命お話しているのだから、最後までちゃんと聞かぬか!とシュヴェルツを睨み付けると、シュヴェルツは疲れたように息を吐き出す。
何故シュヴェルツが溜息など吐くのだ!溜息を吐く権利は、むしろ私にあるのだぞ!
そう思いつつ、ぎゅっと眉を顰めて首を傾げると、シュヴェルツは服に付いた草を払いつつ、私に視線を向けた。
シュヴェルツのせいでべしゃっと落ちたのだ。起こせ、と両手をシュヴェルツに向けると、呆れたような表情で腕を引っ張ってくれる。
よろしい、と頷くと、やっぱり頬を摘まれた。痛い。

リアンは今さっきの発言を気にしているのか何なのか、俯いたままだ。
シュヴェルツのせいだ。シュヴェルツが悪い。ちゃんと話を聞いてあげるべきだ。
言いたいことがあったらもう一度言うといいのだ、リアン。シュヴェルツが邪魔ならパンチでもしておくぞ、と拳をきゅっと握ってみせる。
ぐーの形になった手を見つめ、シュヴェルツは「おい、その手を収めろ」と眉を顰めて言い放った。
リアンはもういつも通りの様子で、シュヴェルツに向かって深々と頭を下げる。
紡がれた「申し訳ありません」の言葉は「ごめんなさい」の意味だとすでに覚えたのだが、何故リアンがシュヴェルツに謝るのかさっぱり分からない。
首を捻ると、シュヴェルツに「もう十分だろう。部屋に戻れ」と腕を掴まれた。

へや、の単語は聞き取ることができて、私は思わず「いや!」と声を上げた。
「いやいやいやいやいやいやいやー!」
随分と上手になったノーの言葉に、シュヴェルツは「お前はそういう言葉しか覚えてないのか!」と頬を摘まれる。
何でシュヴェルツは叩くでも殴るでもなく頬を摘むのだ!乙女に対して何たる仕打ち!いい加減にしないと私もそのお綺麗な面に拳を叩き込むぞ!
そう思いつつぶんぶんと拳を振り回すと、シュヴェルツは暴れるなと叱りつけながら私の両手首をがっちりと掴んだ。

「戻るぞ」
嫌だ嫌だ離せ、私は絶対にここから動かぬぞとべったり芝生に座り込んだが、シュヴェルツは「面倒をかけるな」などと言いながら私を抱き上げる。
今度は肘鉄など入れられぬようにということなのか、両手首をがっちりと捕まれたまま抱き上げられたのである。
仕方ないのでとりあえず足をばたつかせたが、シュヴェルツに「暴れるな!」と叱られた。
こうなれば仕方ない。シュヴェルツは何としても私を部屋に戻すようである。私は目をぱっちりと見開き、暴れるのをやめた。ここからは時間との戦いである。

シュヴェルツはいきなり暴れるのをやめた私を訝しく思ったようだったが、すぐに「言葉を覚えてその態度を何とかしたら、好きに散歩でもすればいい」と言葉を紡ぐ。
言うまでも無く、意味が分からない。
しかしそんなことはどうでもいい。こういうときに―――たとえば兄や弟と喧嘩をして負けそうになったとき、両親に「うわーん!いじめられたー!」と助けを求めるために―――とるべき女の子の行動と言えば一つである。
私はいい加減に乾いてきた目を、それでもぱっちりと見開いたまま、シュヴェルツがお説教のような響きの言葉を紡ぎ続けるのを聞いていた。
そしてその時はやってきたのである。よし、と心の中で拳を握る。

「しゅべるつ」
細く、なるべくか弱い様子を醸し出しつつ名前を呼ぶと、シュヴェルツは抱き上げたままの私を訝し気に見やった。
その瞳が自分に向いたとき、私はすでに宝塚でトップスターを張れるほどの―――無論、誇張表現である―――演技力を用い、目の乾燥のおかげで零れた涙をそっと指で拭ってみせた。
十数年間の兄弟喧嘩で培った演技力はなかなかのものらしく、シュヴェルツはぎょっとしたように「お、おい」と声を漏らす。

「泣くな。泣くくらいなら暴れろ」
シュヴェルツは焦った様子で何事かを口にしたが、そんなもの私に理解できるはずも無い。
超清純派で学校祭ではミスの座を得た友人の美緒ちゃんを思い出しつつ、私はできるだけ儚く見えるようにくすんと鼻を鳴らした。そうして、滲んだ涙を再びそっと指で拭う。
さすがにこの方法は兄弟喧嘩では全く意味を成さず、それどころか気持ち悪いだの何だの言われるに違いないが、シュヴェルツは赤の他人である。更にぎょっとして、慌てて私を地面に降ろした。

「分かった、塔の裏庭くらいなら散歩を許可してやる。ただし今日のように一人で飛び出して行くならベッドに縛り付ける。いいか」
シュヴェルツはやけに怖い顔でそう言ったので、私はてっきり『泣いても駄目に決まってるだろうがこのちんくしゃが』とでも言われたものだと思ってしまった。
ということで、もう一押しとばかりに今度はシュヴェルツだけじゃなく傍に控えているメイドさんや騎士さん達にも分かるように、大げさに顔を覆って見せたのである。
堪えるような嗚咽を漏らすと、シュヴェルツは「おい!」と悲鳴のような声を上げ、アリーとリアンがすっ飛んできた。アリーは慌てて「リツ様、どうなさったのですか」と私の前にしゃがみこみ、リアンはその横にしゃがみこんで気遣わしげにそっと背を撫でてくれる。
他のメイドさん達もおろおろと私とシュヴェルツを交互に見つめているし、シュヴェルツに付いて来た騎士さん達も困った顔だ。
さすがに罪悪感を感じたものの、これは自由を賭けた戦争である!決して負けてはならぬのだ!ということで、私は俯いてすんすんと鼻を鳴らした。

シュヴェルツは今度こそ頭を抱え、搾り出すように言葉を紡ぐ。
「分かった。自由に外に出てもいい。いいが、頼むから必ず侍女を連れて行け。それから走るな暴れるな人に喧嘩を売るな。少しは自分の身分を考えて行動しろ」
シュヴェルツの様子から考えて、おそらく嫌々ながらの了承だろう。多分。
私は確認のため、「ここ、いい?」と芝生の上でもじもじした。我ながら気持ち悪い。

ここに居てもいいのだな。外に出てもいいのだな、という意味だが、シュヴェルツは何となく言いたいことを理解したらしい。イエスの意味の言葉だけを紡いだ。その了承の言葉と同時に、私はわーいと飛び上がる。
「はしる、するー!」
じゃあちょっくら散歩に行って来る!と駆け出そうとすると、シュヴェルツに首根っこを捕まれた。
何だ、いいと言ったではないか!と睨みつけようとするその前に「お前は!」と怒鳴られ、それから延々一時間、私はシュヴェルツに意味の分からないお説教をされることとなったのだった。