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花鬘<ハナカズラ>







結局、私がきちんと目覚めたのは、シュヴェルツに膝枕をしてもらってから1時間も経った頃だった。
ぱらりと書類の頁を捲る音が聞こえ、ゆるゆると目を開ける。
頭の下の、枕ではない何かの感触といつもと違う視界で、誰かの膝枕で寝ていることに気づき、私はふらふらとその人の顔を見上げた。
そうして見つけたのはシュヴェルツで、『あれ?なんで私はシュヴェルツの膝枕なんかで寝ているのだろう』と疑問に思う。
ぱしぱしと瞬きをしてシュヴェルツを見上げていると、シュヴェルツも私の視線に気づいてその瞳をこちらに向けた。その瞳は、青く深い海の色をしている。

―――綺麗だな。

シュヴェルツは美人だと思うけれど、その中でも一番、目が綺麗だと思う。
いいな、本当に綺麗だなぁ。
寝起きの頭でそんなことを考えていると、シュヴェルツは読んでいた書類を手にしたまま、口を開いた。

「……起きたのか」
今のシュヴェルツの言葉は朝の挨拶ではなかった気がするのだけど、何て言われたのかよく分からない。
とりあえず朝の挨拶を返すと、シュヴェルツも「おはよう」と私と同じ言葉を返してきた。
起きるようにと促され、私は目をこすりながら、ゆっくりと体を起こした。

視界に入った机の上には二人分の朝食の準備が出来ている。
シュヴェルツはじっと私を見つめていたが、その理由が分からずに、私は首を傾げた。
そしてお腹の虫が上げたきゅうという鳴き声に応えるべく、ソファから立ち上がる。

「おしょくじ、たべる」
私の言葉にシュヴェルツは軽く息を吐いてソファから立ち上がり、「考えすぎか」と聞いたことのない言葉を呟いて先に席に着いた。
後を追って、私も席に着くと、メイドさんが紅茶を用意してくれる。
私はその綺麗な動作を眺めながら籠に盛られたパンを一つ手に取った。
今日のパンはふっくらと狐色に焼かれた丸いパンだ。口に入れると、バターの匂いがふわっと香る。

うん、相変わらずパンが一番美味しい。
他のものも美味しいといえば美味しいんだけど、ときどき「何でこの味付けにしたんだろう……」と思えるような不思議味のものが出てくることがあるのだ。
やっぱり文化の違いがこういうところにも現れるんだなぁと思いつつ、パンをちぎって口に入れる。

シュヴェルツは私の食事の様子を見つめながら、「パンばかり食べていないで、他のものも食べろ」とお母さんのように言葉を紡いだ。
人には人のペースがあるんだから放って置いて欲しい。弟のくせに、などと思いつつ、生野菜のサラダにも口をつける。
甘酸っぱく、妙にしょっぱいドレッシングはあまり好みの味ではなかったけれど、郷に入れば郷に従えというし。

異文化交流、異文化交流と内心で呟いて、少しずつ咀嚼していく。
シュヴェルツは私の食事風景を眺めつつ、満足気にしていた。
美味いかと問われ、まさか微妙とは言えず―――そもそもそういう曖昧なニュアンスの言葉を、私はまだ知らない―――、美味しいと答える。
シュヴェルツは私の言葉にそうかと頷き、自分の分の食事を片付けていった。
そうしてもう食事が終わろうかというとき、シュヴェルツは少し迷った様子を見せながら「リツ」と私を呼ぶ。
デザートのフルーツを突付きつつ、何かと尋ねると、シュヴェルツは午後は暇かと問うてきた。

「ひま?」
言葉の意味が分からずにそう呟くと、シュヴェルツは何やらごまかすようにこほんと空咳を零す。

「少しは言葉を覚えたようだからな。たまには外に連れて行ってやる。少し遠出することになるが、ちょうどロザリアの花が見ごろだ」
「……なに?」

割と早口で言われてしまって、私は思いっきり眉を寄せた。
そんなに早口で言われても聞き取れないのを分かっての行為か?
“少し”、“言葉”、それからメイドさんが教えてくれた花の名前“ロザリア”。私に聞き取れたのはこの3つくらいだ。
むっと眉根を寄せつつ今の文章の意味を考えていると、シュヴェルツは何だか面白くなさそうに息を吐き出した。

「まあいい、メイドに確認する」
何を言われたのかさっぱり理解できず、とりあえず曖昧に頷いて、「ごちそうさまでした」と手を合わせた。
シュヴェルツの行動が意味不明なのはいつものことだ。あんまり気にしないでおこう。

ふー、お腹一杯。
ナプキンで口元を拭いていると、シュヴェルツは「それはどういう意味だ?」とさっき私がやったように、手を合わせて見せる。

「いみ?」
「それは、何だ?」

あ、ごちそうさまが気になるのか?
勝手にそう判断して、脳内で単語を組み立てる。

「ありがとうございます、……き、くさ、とり、たいよう、そら、あめ、じめん。ありがとうございます」
素晴らしい日本文化について教えてやろうと思ったが、私の語彙力では難しすぎた。
しかしシュヴェルツは何となく言いたいことを理解してくれたらしく、「リツにしては殊勝なことだな」と頷く。
“しゅしょう”の意味は分からなかったが、適当にうんと頷いておいた。今の言葉を聞いて貶されることはないだろうから、多分褒められたのだと思いたい。
残っていた紅茶を飲み干して、よいせと立ち上がる。

朝ご飯は食べたし、そろそろ部屋に戻るか。
そう思いながら寝室に戻り、自分の部屋へと繋ぐ扉をノックする。
多分アリーかリアンがいるとは思うのだけど、と思いつつ、扉を開けようとすると、シュヴェルツが開けてくれた。
これも非力なお姉様への優しさの一つか!と感動して、シュヴェルツをしゃがませ、いいこいいこと頭を撫でておく。
その調子でオリヴィア様にも優しくするんだぞ、お姉ちゃんは女性の扱い方については厳しくびしばしと指導していくつもりだからね!と心の中で声を上げた。







その日の午後、私は何故かいつもより少しだけ余所行きっぽいドレスを着せられることになり、いったいどうしたのだろうと首を傾げていた。
髪も丁寧に梳られ、纏め上げられる。花まで付けられ、更に謎は深まった。
その服装のままいつものように刺繍のお稽古に励んでいると、ノックと短い言葉の後にドアが開けられる。
そこに居たのはいつもの通りシュヴェルツで、やっぱりいつもお通りお茶をしに来たのかと考える。

しかしメイドさんたちはお茶の用意はせずに、にこやかに私を立たせ、シュヴェルツの傍へといざなった。
ぽかんとしながらシュヴェルツを見上げると、「行くぞ」と手を差し出される。

「いく?なに?」
どこかに行くのか?と首を傾げるけれど、シュヴェルツはそれには答えずに私の手を取った。
て、手を繋いで行くのか?この年になってからは、さすがにさとちゃんとでも手を繋いで歩いたりしないぞ。
そう思いつつ、シュヴェルツに引っ張られるままに後をついていく。
すると迷路のような城内を10分も歩かされ、最後に大きな門をくぐって、外へ出た。
こんなところまで来たのは初めてのことで、まさか散歩をしてもいい範囲をこんなに広げてくれるのかとシュヴェルツを見上げる。

「ありがとう、しゅべるつ!」

これでまたしばらく楽しい散歩ができそうだ!とにこにこすると、シュヴェルツは呆れたように、けれどたしかに嬉しそうに笑った。
こういう笑顔を見たのは初めてのことで、ちょっとびっくりする。
私も何だか嬉しくなって、にこにこし続けると、誰かが馬を2頭率いて近くまでやって来た。
こちらの世界の人間はみんな大きいように、そして猫も大きいように、馬も大きい。
馬をこんなに近くで見るのは初めてだったし、そもそも私が知っている馬より大きいし、ということで、私は大いにびくびくしてしまった。

馬は賢いというけれど、それでもこんなに大きいと怖いものは怖い。
それでもやっぱり触ってみたいのが女心というやつだ。
そろりと手を伸ばし、馬にちょんと触れてみた。
その肌はしっとりと温かく、おおお、と感嘆の息が零れる。

す、すごいなあ。大きい。これ、乗れるのだろうか?

大きくて怖いのと、初めての馬に興奮するのと両方で、まじまじと馬を観察する。
すると馬を率いてきた男の人が、シュヴェルツを見やって「姫を早く乗せて差し上げては?」と小さく笑いながら言葉を紡いだ。
その言葉にまずはシュヴェルツが馬に乗り、こちらに手を差し出す。

え、ええっ?私も乗るの?それに?と戸惑いながら辺りを見渡すと、男の人はどうぞと私の膝、腰ほどの高さの2段になった台を傍に置いてくれた。踏み台にしていいよ、ってことだろうか。
「あ、ありがとうございます」
どうも、と頭を下げて、ドレスの長い裾の端を掴み、一気に膝丈まで持ち上げる。最近は毎日丈の長いドレスばかりを着せられて、随分と色白になってしまったふくらはぎが丸見えになった。
しかも、この前ぶつけた青あざを見つけてしまい、ブルーな気分になる。

しかし、これで裾は汚れまい!と思ったのだが、シュヴェルツに「何をしているこの鳥頭!」と叱り飛ばされてしまった。
どうして叱られたのかさっぱり分からず、ぽかんとする。
しかしまさかこのたくし上げたスカートのせいだとは夢にも思わず、さっさと乗れとでも叱られたのかと思い―――そんなことくらいで怒鳴らなくてもいいだろう!―――ふくらはぎを露出したまま、1段目に足をかける。
弁明しておくけれど、このときの私は、勿論、この世界である程度の年齢になった女性は、恋人の前くらいでしか足を出さないなんてことは知らなかった。

しかし2段目に足をかける前にシュヴェルツは馬から飛び降り、ドレスの裾を掴んでいた私の手を払い、そのまま担ぎ上げた。

「ぎやっ」
「暴れるな!」

何がどうなっているのだと目を白黒させている間に、シュヴェルツは私を馬の上に乗せてしまう。
しかも、シュヴェルツはきちんと跨っているのに、何故か私は横座りなのである。
ふざけるな、こんなバランスの取り難い体勢で初の乗馬体験ができるか!―――そう思いつつ、またがる体勢に変えようともぞもぞする。
するとシュヴェルツはそれに気付いたのか、動くなと無茶なことを命令してきた。

「いやだ!いや!できません!」
「何もリツに手綱を引けと言っているわけではないだろう。そのまま大人しく座っていろ」

どうやらシュヴェルツは私が体勢を変えるのに反対のようだが、そんなことできるはずがない。
一生懸命「いやだ」と「できません」を繰り返したが、シュヴェルツは結局聞き入れてはくれなかった。
そうして私は横座りのまま、初めて、お城の外に出たのである。