花鬘<ハナカズラ>







さむい。

夢現にそう思い、ぱたぱたと手を動かしてブランケットを探る。
それはソファの下で見つかって、私はずりずりとブランケットを引っ張りながら、何だか変な夢を見たなぁなんて思った。

あの状況、私がこの世界にやってきたときと何だか似ている気がする。
私の場合はお城の敷地内の泉の中だったけれど、あそこだって木が生い茂っていたし、周りをローブを着た変なおじさんたちが囲んでいたのだ。
メイドさんが大きな布で濡れた体を覆ってくれ、泉から上がるところまで同じである。

私の場合は変な塔に直行だったけれど、夢の中の女の人は少女漫画のヒロインのように旦那様が迎えに来てくれていたな、いいなあ。
ああでもやっぱりそれは嫌だな。結婚してから好きになるのって、何だか難しそうだ。
あんな風にいきなり異世界に呼ばれて、勝手に結婚を決められるなんて、耐え難いに決まってる。

私はうとうとしながらそんなことを考え、再び眠りについた。
今度は朝まで、何の夢も見ることがなかったけれど。





翌日、私は早朝というにもまだ早い、夜中に目が覚めた。
この世界に来てから早一ヶ月半ほどだけれど、今まで思いつかなかったことが頭を過ぎる。
もしかして、この世界には、私みたいに異世界から来た人間がいっぱいいるのではないだろうか、ということだ。
いっぱいとまではいかずとも、数人くらいは居てもおかしくない。

だって、私は偶然ここに来たのではない。
魔法のような力で、故意的にここに連れて来られたのだ。

そんな力があるのなら、今までに何度か同じことがあったって何もおかしくない。
私が初めての異世界人にしては、何だかみんな異世界人に対して耐性がありすぎる気がする。
ということは、やっぱり私の前にも何人かは異世界からの人間が連れてこられたのではないだろうか。

もっと早く気付けばよかった!と自分のぼんやり加減を恨み、すっくと立ち上がる。
そしてシュヴェルツのベッドに駆け寄り、「おはようございます、しゅべるつ!」と大きく声を上げた。
「起きろ!」と言いたかったけれど、気持ちよく寝ているのに「起きろ!」はさすがに可哀想だ。

せめておはようの挨拶にしておこう。
ということで、何度もおはようございますを叫んだけれど、シュヴェルツは目を閉じたまま起きようとしない。
昨日の疲れっぷりはすさまじかったけれど、もしかして過労死か?と恐る恐る顔を覗き込めば、「うるさい」という声とともに突然長い腕が体に絡んできた。
そのままシーツの間に引きずり込まれ、叫べないようにと大きな手で蓋をされる。

しばらくもがもがと暴れたが、だんだん疲れてきて、動きを止めた。
昨晩は私も眠りが浅かったせいか、だんだん眠くなってくる。
ブランケット一枚ではたしかに少し寒かったし、シーツの中はシュヴェルツの熱で温かい。
寝ぼけているのか、それともお姉ちゃんに甘えているのか、頭を撫でられ、何だか気持ちよくなりながら私もうとうとと目を閉じた。

もう一眠りしてから聞けばいいか、なんて考えて。






***







遠くで鐘が鳴る。
その音を聞きながら、ああそろそろ起きなければと手足に力を入れる。
いつものように疲れた体に鞭を打ち、起きようとしたところで、何故か妙に体が軽く感じた。
上半身を起こし、いつもならまず体に残る疲労に溜息を一つ零すところだが、やはり妙に体が軽い。
何だこれは、と思いつつ、ふと視線を落とせば何故か隣にリツがいる。
すーすーと寝息を立てるリツは、人の枕を奪って、腕の中に抱え込んでいた。

……こいつは人のベッドで何をしているんだ?

そう考えようとして、昨晩のことを思い出す。
そういえば、突然私の部屋に来たかと思えば、何か妙な言葉を放ち―――しかし、メイドはリツにいったいどこの三文小説を読ませているんだ―――ひとしきり騒いだ後、何故か馬乗りになってきたのだった。
その前にも幼子にするように頭を撫でられ、何故か肩を触られていたが、まさか誘われているわけでもあるまいし、というか万が一誘われていたとしても昨晩の疲れ様ではおそらく抱けなかっただろうし、いったいリツは何を考えているのだろうと、そこまでを考えた覚えはある。
しかしそれ以降は全く思い出せない。
おそらく眠ったのだろう。

人を傍に置きながらこれほど深く眠ったのは、もしかしたら初めてのような気がして、少々複雑な気分になりながら寝息を立てるリツを見つめた。
後宮の女と過ごしたほとんどの夜は、たいてい事が済めば自分の部屋へと戻ったし、一番馴染みの深いオリヴィアとは何度か朝まで過ごしたこともあるが、それとて一応眠りはしたがそれはひどく浅いもので、ひどく疲れたのを覚えている。
柔らかく温かな体は嫌いではないが、眠るときに人が傍に居ると落ち着かない。
ほんの少し相手が身じろぐだけで目が覚めてしまい、眠れないのである。
ということで、夜はなるべく一人で眠るようにしていたのだが、昨晩は何故あれほど深く眠れたのだろう。
隣にこの寝相の悪いリツがいたというのに。

そういえば以前の夜もそうだったな、と思い出し、リツの頬を突付く。
リツは「うう」と小さく呻いてシーツの中に潜り込もうとした。
その間抜けな寝顔に息を吐き、やはり疲労のせいか、と結論付けて、今日はなるべく早くに切り上げようかと考える。
眩しいのかそれとも寒いのか、頭まで潜り込もうとするリツを捕まえ、シーツの間から引っ張り出した。

「起きろ、朝だ。いつまでも寝るな」
私の言葉にリツは面倒くさそうに顔を上げて目を擦り、「あかるい」と眠そうな声を出す。
「明るいのは当たり前だ。もう日は昇っている」
ふうん、と気の抜けたような声を返され、眉を寄せる。
まだ眠いのなら寝かしておいてやってもいいし、別段無理をして起こす必要はないのだが、久しぶりにリツと食事をするのも悪くないように思える。

毎日なるべく時間をつくって顔を見に来るものの、最近は少し立て込んでいて茶を一杯飲めるか飲めないかというほどの時間しか一緒に居てやれなかった。
少しは寂しい思いもしていたのではないかと思い、丁度いいから朝食でも一緒に摂るかと思ったのだが、誘ってみるとリツは眠いらしく、非常に嫌そうな表情を浮かべる。
食事だろうが何だろうが、人を誘ってこれほど面倒くさそうな表情を返されたのは初めてのことだ。
若干腹立たしさを感じつつ、「いつまでも自堕落な生活を送るな、起きろ」と無理やりベッドから引っ張り出す。

リツは眠そうに目を擦りながら、ふらふらとソファに近付き、倒れこむように深く腰掛けた。
その隣に腰掛ければ、リツは「ううう」か、それとも「んんん」かよく分からない呻き声を零して、こちらに圧し掛かってくる。
肩の辺りにぐいぐいと頭を押し付けられて、何がしたいのか分からずに、とりあえず自分の太腿の上にリツの頭を置く。
するとリツはもぞもぞと体を動かして、眠りやすい体制に落ち着けたようだった。

さっさと朝食を摂って、執務室に向かわなければ。片付けなければならない案件がいくつもある。
そう思いはするが、おそらく寝惚けているとはいえ、リツからこうして触れてくるのは非常に珍しい。というか、初めてのことではないだろうか。
なかなか懐かない野生動物を懐かせたような気分を味わいつつ、指で髪を梳いてやると、リツは心地よさそうに目を細めた。

いつもこうなら、と考えても仕方のないことを考えて、ぼんやりと昨日のことを思い出す。
日が暮れる一刻ほど前だったか、リツに付けている侍女が―――アリーといったか?―――突然、執務室に飛び込んできたと思ったら、口早に挨拶の口上を述べ上げ、そうして「リツ様にきちんと謝罪なさいませ!」と叱り付けられたのだ。

―――突然何だ。しかも、謝罪?私がリツに?何のために?

そう思い、眉を顰めると、侍女は自分の方が泣きそうになりながら、「リツ様はきっと今頃泣いていらっしゃいます!」と声を上げた。
泣いている?その言葉に更に眉を寄せる。いったい何故。
その疑問に答えるように、侍女は声を震わせながら、手を硬く握り、こちらに強い視線を向けてきた。

「先程オリヴィア様がリツ様のお部屋にいらっしゃいました。突然、何のご連絡もありませんでしたのに!『先日お伺いするとたしかにお伝えしました』とおっしゃって……!」
「オリヴィアが?」

呟いて、思い浮かべた女の顔に、思わず首を傾げる。
他の後宮の女のように面倒なことを言わず、部屋に寄ればただただ甘く癒してくれるはずの女だ。
他の女ならばそういう馬鹿げたことをしたとしても、まあ、頷けなくはないが、オリヴィアはそういうことをする女ではないはずだ。
しかし、この侍女もまさか嘘を言っているわけではあるまい。そう思いつつ侍女の姿を眺める私に、侍女は更に言葉を連ねた。

「しかも、リツ様の―――シュヴェルツ様の奥方様でいらっしゃるリツ様のお部屋で出されたお茶ですのに、自分のメイドに毒見までさせて……!それに比べ、リツ様は本当にご立派でした。あのような失礼な振る舞いをされて、それでも微笑んでご対応なされました」
ふるふると震えるメイドは、おそらく真剣に怒っているのだろう。
最後にキッとこちらを睨み上げ、「このようなこと、これきりにしてくださいませ!」と高い声を上げて部屋から出て行く。
失礼いたしました!の声だけが投げ捨てられて、部屋に残された私は、まずは一つ溜息を落とした。