だってそれは、本当に突然のことだった。
豪雨の中、目に雨粒が入って、瞬きを一つ。
そのたった一瞬の内に、私は知らない場所に居たのである。
そしてその一瞬で私の人生はがらりと変わり、現在、私は2週間も軟禁状態に置かれていた。




花鬘<ハナカズラ>







今日という日はとても晴れていて、青く広がる空には雲一つないという快晴だった。
さっきから建物の外から絶えることなく聞こえてくる言葉は、どうやらとんでもない数の人間が何かを叫んでいる言葉らしい。
私は風に乗って聞こえてくるそれらに対して『いったい何を叫んでいるのだろう』と心底疑問に思っていたが、時々若い女の子の嬉しそうな高い声が重なっていたので、おそらく悪いことではないのだろうと思う。多分。

それにしても、これはいったいどういう事態なんだろうと、私は自分を囲む5人の女の人と、その5人を更に囲む20人は居そうな男の人をこっそり眺めた。
まるで私の警護でもするようにして、私たちはどこかへ向かっている。
というか、私は他の人に促されるまま、どこかへと向かわされていた。
私の周りを囲む5人の女の人は、みんなお揃いのクリーム色のブラウスと紺色のロングワンピースのようなものを着ていて、今まで想像していたメイド服より随分と装飾が少ないものの、まるでメイド服のようである。
ここ数日間彼女たちはずっと、それはもう寝るときでさえも私の傍にいて、あれやこれやと世話を焼いてくれたのだから、やっぱりメイドさんのようなものなんだろう。

そんな彼女たちは今朝、まだ夜が明けきらない前にそっと私を起こしたかと思えば、いつもより数倍早いスピードで丁寧に私の髪を纏め、何故か化粧なんかもして、ついでに豪華絢爛な真っ白のドレスを着せたのである。
細かい刺繍がなされたそのドレスはとにかく重く、ここ2週間ほど薄いワンピース一枚で過ごしてきた私には鋼の鎧を着込んだような気さえしていた。

これだけでも意味が分からないのに、着替えてしばらくしてから部屋の扉がノックされ、私はメイドさん達に促されるままに部屋から出されたのである。
部屋から出たのはしばらくぶりのことだったので物凄く驚いてしまった。ヴェールを被せられていたので、前がすごく見にくかったけれど、それでもやっぱりすごく嬉しい。
ヴェールの奥で久しぶりの外に瞳をキラキラさせながら、彼らに促されるままどこかへと向かう。

歩くたびにかつんこつんと音のする廊下を、足音をたてて歩いているのは私だけで、私以外の人はみんな静かに廊下を歩んでいる。
どうやったらそんなことができるのだ、忍者なのか。
私はそう思いながら、なるべく足音を立てないように努力してみたのだが、勿論無駄だった。


前を歩くのは、メイドさんが1人と騎士服のようなものをきっちりと着込んだ男の人が10人ほど。ちなみに残りは私の両サイドと後ろにいて、まるで厳重警備されている気分である。
あまり顔を上げるのはどうやらよくないことらしいので、視線だけ前方を歩く男の人に向けた。
彼らはその服装といい、腰に携えている剣といい、やっぱり軍人さんとか騎士さんなのだろうか。
彼らはメイドさんたちと同じくほとんど何もしゃべらなかったけれど、時々何かを確認するように小さく言葉が交わされている。

いったいどこに行くんだろう、何が起こっているんだろう、これからどうなるんだろう。
私の頭に浮かぶのは疑問符ばかりで、立ち止まって誰かに尋ねたい気分だったが、そんなことできるはずがない。
立ち止まることくらいはできるが、尋ねることは間違いなく不可能である。

何故尋ねることができないのかというと、それは私が彼らの言葉を理解できないからで、そして彼らには私の言葉が理解できないから、という理由に他ならなかった。


そうなのだ、私はどうやら、言葉の通じない国へとやって来てしまったようなのだ。
こちらへとやって来てから2週間ジャスト。その間、私は誰とも会話をしていない。
最初は「何がどうなってんの!」とか「え、誰も話せないの?!」とか騒がしくしていたが、今では本当の本当に誰にも言葉が通じないことが判明したので、ほとんど誰とも話していない。
勿論、勿論私だって言葉を覚えようと努力はしたのだ。そこのところは誤解しないで欲しい。
けれど、いつも私の身の回りの世話をしてくれるメイドさんたちは、この2週間、鉛でも飲み込んできたのかと思うほどとにかく寡黙だったのだ。

たとえばベッドという単語を覚えようと思い、ベッドを指差して首を傾げたりする。
「これは何ですか」という言葉さえも分からないので、そういったボディーランゲージしかできないのである。
そうすると、彼女たちは「それはベッドです」などと答えずに、素早く寝る準備を整えるのである。

そしてたとえば本を指差して、首を傾げたりする。これは何ですか、という意味で。
すると彼女たちは新しい本をどっさりと持って来てくれるのだ。
そもそも読めないのだから持って来られても困る、と心底思った。

何も言わずに何でも準備してくれるのだから、彼女たちはある意味でとても優秀なのだろう。
生活していく分には不便はなかった。毎日決まった時間に朝食を摂りお茶をして昼食を摂りお茶をして夕食を摂り、そしてお風呂に入れられてベッドに押し込まれるのだ。
私が退屈そうにしていると、例えばメイドさんが楽器を弾いてくれたり、何か本を読んでくれたりするのだが、正直音楽にはあまり興味が無かったし、全く知らない言語で読まれる本というのは睡眠導入剤としか思えなかった。

外に出たい、というようなことをジェスチャーで伝えたことは一度や二度ではないが、一度も許可を貰えた事が無い。
揃って首を横に振るばかりで、彼女たちは決して私を部屋から出してはくれなかった。
トイレは部屋に設置されているし、お風呂もそうだ。
よく風の通る部屋は涼しく、日当たりもいい。お腹が空いたと思う前に食事は運ばれてくるし、お風呂はこじんまりとしているものの、清潔に保たれている。
快適すぎる生活であることは確かだが、しかし、私はいわゆる軟禁状態に置かれていたのである。


会話が成立しないので未だにここはいったいどこの国なのかは分かっていない。
服装から考えるにヨーロッパ辺りなんだろうかとは思うが、赤や青、緑、と奇抜な髪や瞳の色を見ているとどうも「まさかとは思うけど異世界っていうやつなのだろうか」と思えてしまう。
というか、認めたくないが、本当の本当に異世界なんじゃないだろうか。
たしかに皆髪を染めていてカラーコンタクトをしているということも有り得なくはない。
けれど、まさかそんなこと、しないだろう。この国ではそれがルールなのかもしれないが、いやいや、やっぱりありえない。

ということは、やっぱりここは異世界。
信じたくないし信じられないけれど、異世界。
何で私がこんなところにいるのか分からないけれど、異世界なのだ。